「修行」で得られるものは何か

以前、内田樹「修行論」光文社(2013)https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334037543 を読みました。この本の内容は、非常に深くて難しいのですが、まえがきの段階で標題である「『修行』で得られるものは何か」ということはよく理解できました。私は武道の経験が無いのですが、ボーイスカウトの活動を通して青少年教育(特に、人間教育)に関わっていると、「なるほどな」と思えました。

一言でいうと、修行で得られるものとは、稽古をしている間には、本人も師匠もそうなることは予想できないけれど、事後的に振り返ってみると「こういうことができるようになったな」と実感できる能力なのです。

現代人の多く(というか、今の子供たち)は、「なんでこれをやるのか」が明確でないことをやるのを嫌がります。「一日100回素振りしろ」と師匠に言われて、「なんでですか?」と聞いて「いいからやれ」と言われても納得せず、そういったことはやりたがらない、というのが多いような気がします。しんどくて面白くないものならなおさらです。

逆に、「これだけ努力したら、ここまでたどり着く」というのが明確なものはしんどくても嫌がらずにやるのではないかと思います。「一日100回素振りしたら○○筋が鍛えられて、△△する力がつく」と言われると、「ほなやります」となる気がします。あるいは、「超一流の選手は、子供の時から毎日欠かさず□□をやっていたので、●●ができるようになった」というエピソードを聞くと、「ほな僕もやってみよう」となるのではないでしょうか。

つまり、努力は一種の商取引みたいなもので、「これだけ努力したらこういう結果になることが保証されている」と考えている人が多いのではないかと思います。修行の稽古に取り組む前から、以下のようなイメージがはっきりと思い浮かんでいるということです。

修行論.001

しかし、実際には、修行の稽古に取り組む前はこんな感じです。

修行論.002

どれだけ努力したらそうなるのかがわからないものなのです。これは、修業をする人自身もそうですし、師匠であってもうまく説明できるものではないのです。

では、修行で得られるものは何かというと、こんなイメージです。

修行論.003

つまり、ある程度修行が終わったときに振り返ってみると、「そう言われれば、今は自然とこれが出来てるけど、昔は出来なかったなぁ」ってものが修業によって得られる能力なのです。武道やスポーツで言えば、筋肉の使い方、体を動かすときのタイミングなど、自然と体が動いてできるようになったこと、でも、稽古や練習をやるときにそれを意識して習得しようとしたか、と言われると、別にそういうものではなくて、気付いたらコツを得てできるようになってたこと、なのです。

師匠や指導者の人は当然出来ることなのですが、うまく言葉で説明できなかったり、習得するまでの道のりが人によって違うため、みんなに一律に説明してもなかなか伝わらないものです。習得するタイミングも人によって違います。習得するまでの道のりや時間も人によって違います。だから、師匠は「いいから黙ってやれ」と言うしかないのです。

修業を受ける身としては、たくさん努力してもなりたい自分になれるかどうか保証されていないものなので、途中で心が折れてしまうものではないかと思います。ですが、続けていった後に振り返ってみると「あぁ、やっててよかった」と思えるものが身についているものだと思います。

私はボーイスカウトを通じて人間形成をしてもらった部分が大きいです。始めたときのことを振り返ってみると、「あぁ、こういうのが出来るようになったな」と分かるのですが、子供のときにそれの獲得を目指してやってたかと言うと、全くそんなことは無いのです。特に、人間形成というのは明確な答えが無いわけですから、今、指導者という立場で関わっていると「こういう人間になるから続けると良いよ!」と言いづらいというのが悩みです。私がやってきたことと同じことをやったとしても、私と全く同じような人間が出来上がるわけでもありません。ですので、「なんか、やってる意味がないので辞めたいです」とか言われてしまうと非常にツラいものがあります。

では、修行を続けてもらうためにはどうしたら良いか?というのは明確な答えが出ていないのですが、一つ思いついたのは、師匠が弟子の成長に気づかせるような働きかけをすることです。師匠は修行に入る前の弟子の状態を知っているわけですから、修行の途中段階で「こういう事ができるようになってるね」と言ってあげることで、「あぁ、こういうことか」と分かるようになるのではないかと期待しています。成長の実感は、努力を続けるための動機となり得ると思っています。

なので、私はボーイスカウトにおいては、後輩である子供たちやその保護者に些細なことでも「こういうのが出来るようになったね」と伝えること、そして、それが伝えられるように子供たちの成長箇所を見逃さないように気を付けています。たぶん、言われた本人はピンときてへんやろな、ということも多々ありますが、いつかわかってくれることを信じています。ある意味、師匠の側も忍耐と努力が必要なことなのかもしれません。

ではでは。

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