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【PTA】いまさら経歴をご紹介①幼稚園

こんにちは!
PTAかいちょーさんです。
子どもを4人育てながら、
いろんなところでPTAに関わってきました。

いまさらですが
PTA歴をご紹介してみますね。

長くなりそうなので
今日は
まず幼稚園時代から…


幼稚園でのPTA(父母の会)活動


地元の、
園庭が広くて
園バスと給食のある園に
3年×4人=12年間
お世話になりました。

初めて見学に行ったときに
のびのびと園児たちが駆け回ってるのを見て
すぐ決めました。

12年間も毎月授業料を納め続けて…
記念樹の一本でもたつんじゃないかと思いましたが
たちませんでした(笑)


ここでは
親睦会係という役割と
クラス委員的な役員と
副会長と
会長をやりました。

下の子が小さいひとは
基本的には役員は引き受けるな
という不文律がありました。

知らずに立候補したら
やめてくださいと電話がかかってきたことがあります。

そして
下の子が大きくなると
役員やってくださいと
担任の先生から説得が入ります。
(ここでP連を頼まれる人も)

一応役員は保護者会での話し合いで
クラスから選出されるのですが、
なかなか決まらないと
若い先生が
泣きそうになりながら
どなたかお願いできませんかね…と
日が暮れるまで説得し続けます。

その後
決まったクラス役員が集合して
会長やら副会長やら書記会計を決める会が
開かれます。

ちゃんと会則があり
会費を集め
総会を開く
という団体でした。


園長が昔ながらのひとで
保護者をがっちりおさえてる感じでした。
父母の会(PTA的なもの)は、
園の方針に従いながら
園の指示(主に園長夫人の指示)で動き
園行事のお手伝いをしていました。

なので
体制を変えよう
と思っても
園長の考えと一致しなければ
なかなか変えることはできません。

印象に残っているのは、
「誰も会長をやりたがらないから、
負担を減らすために
卒園式とかの会長挨拶をなくしたい」
とわたしが園長に提案したら、
「それはあなたが決めることではなく
園長であるわたしが決めること」
とバシンとやられたことです。

園長とも園長夫人とも
まぁ仲良くやってはいたんですが、
私立の幼稚園だったので、
根本で
『園長がボス』
というルールがありました。


そんな中でも
やはり
前時代的なやり方のままで
みんなが苦労しているところは
見過ごせず、
できる限りラクな形に変えようと
ちょこちょこと改革を仕掛けました。

毎学期
保育参観の日に合わせて
各クラスの親睦会係が
一斉に地元の集会所を予約し
『クラス親睦会』を開くのですが、
この予約合戦が熾烈で
早い者勝ちの嫌なムードになっていました。
これを変えようと
役員がまとめて集会所の予約をし
各クラスに分配するという方式に変えました。

あと
行事のお手伝い担当役員が
『A班』『B班』
のふたつに分かれていて
お互いに
自分の担当行事には頑張って都合をつけて手伝うけど
他班の行事にはノータッチ
という
完全分業制だったのを、
どの行事でもよいから
都合がつくひとが都合に合わせて手伝おう
というシステムに変えました。

また、
行事のお手伝いは
都度都度
園長夫人に聞いてから始める…
というやりかただったのを、
ちゃんと前年度の反省を活かして動こうと
記録に残したり
マニュアルを整えたりしました。

あと、
広報担当が非常に人気がなく
誰もやりたがらなかったので
廃止した覚えがあります。

こどもの日や運動会で
子どもたちに配るおみやげを
注文するのに毎年苦労していたので、
ラクにできる方法を考えたりもしました。


園行事のお手伝いは
かわいい我が子や他のオチビを
間近で見られるので
とても楽しかったです。

遠足付き添い、
田植え、稲刈り、お餅つき、
まゆ玉作りもやりました。
農家の嫁になったような
気分を味わえました。


まだまだわたしも若く
経験も浅かったころの
お話しでした😊

だいぶ遠い記憶となりました…
またなにか思い出したら
書き足しますね。

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