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「スポック博士の育児書」を越えて

「スポック」というと
スター・トレックのミスター・スポック
の印象的な顔が
まず浮かんでくるのだが…

わたしには
もうひとり
重要な「スポック」がいる。
スポック博士だ。



子どものころ、
母の本棚に
『スポック博士の育児書』
という分厚い本があった。

タイトルは毎日眺めていたが
内容はさっぱり知らなかった。

自分が子育てするようになって
この本のことを
調べてみたら、
これ
かなり有名な本だった。

スポック博士の育児書は
戦後に爆売れした育児本で、
聖書の次に売れた
と言われているらしい。

スポック博士の育児書に沿って育てられた子は
「スポックの子どもたち」と呼ばれ、
本が売れた分だけ
世界中にたくさんいる。

わたしも
その中のひとりだ。


子どもの自立心を育てるために
一人部屋で寝かしておきなさい。

赤ちゃんが泣いていても
抱き上げたりせずに泣かせておきなさい。

母乳や抱っこは
子どもの自立心の妨げになる。


…というようなことが
この本には
書かれているらしい。

この
スポック博士の助言は
当時の母子手帳にも取り上げられたらしく、
「抱き癖がつくから抱っこしない」
という育児が
日本中で多く行われた。

そしてわたしも
ひとりでベビーベッドに寝かされ
泣いていても
放っておかれる、
という育てられ方をした。

当時
いちばん良いとされた育て方だ。

真面目な両親は
わたしのためを思って
一生懸命に
最善の育て方を学び
その通りに育てたのだろう。



そんなわたしは
よく
「頑固な子だ」と
親から
(ちょっと誇らし気に)
言われていた。

第一子で長女のわたし。
わたしの母も第一子で長女で頑固。

お互いの頑固比べだ、
頑固な母の頑固な子育てがうまくいって
頑固な子が育っている、
というのが
ちょっと誇らしく
自慢に感じているようだった。

そして
頑固だという話とセットで
必ず…

あなたは
赤ちゃんのときに
ベビーベッドで泣かしておいたら
泣きながら
ベッドの柵を乗り越えた

という話が
武勇伝のように語られた。

そして
親はそれにもめげず、
またわたしは
泣いていても放っておかれたのだという。


わたしには
頑固なのがなぜほめられ喜ばれるのか
よくわからなかったし、
そもそも
頑固な子だ
と言われても
「わたしのこと」を見てくれている感じが
あまりしなかった。

しかしわたしは、
両親が
スポック博士の助言に従って
自立心を育もうとして育てた結果
立派に
理想通りに
頑固で自立心を持つ人間に育った、
ということになるらしい。



自立心を育もう
という育て方の一方で、
スポック博士の育児書には
別の側面もあった。

スポック博士の助言で育てられた
「スポックの子どもたち」は、
泣いても泣いても放っておかれる中で
自分が何かを訴えても無駄だと諦め
自分は無力で価値がないと思うようになり
自尊感情が育たなかった、
とも言われているのだ。

わたしも
自尊感情が育たなかったのだろうか…。

親のもとにいるときは、
たしかに、
親の顔色を見ながら
親の理想とする「いい子」であろうとしていた。
絶大な力がある親に対して
自分の考えを
自信をもって伝えることは
できなかった。

これが
「自尊感情が育たなかった」
ということなのかどうかは
わからないが、
どこか自信がなく
いつも
親のフィルターを通して自分を見ようと
していた気がする。

振り返ると、
苦しくて窮屈だったよね…

当時のわたしに声をかけてあげたい気分だ。

親元を巣立ってから、
ようやくわたしは
自分らしさと
のびのびした生き方を
手に入れることができたように思う。



そして
時代は変わり、
子育ての常識もすっかり変わり、
たくさん抱っこしてあげよう
と母子手帳に書かれるようになった。

スポック博士の助言とは違う育児
違う生き方
が推奨されるようになった。


わたしの根っこにあるのは、
スポック博士と親から育まれた
頑固な心と
自信を持てない自分
なのかもしれない。

でも、
スポック博士の育児を乗り越えて
ここまで生きてきたわたしは、
いま、
そんな根っこを持ちながらも
違う自分を
自分で選んで
生きている。

根っこも自分だし
いまのわたしも自分だ。

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