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つながりすぎた世界

SNSなどで、世界がいつでもどこでもつながっている世界を、現代の人々はこう呼ぶ。

確かに、様々なSNSを可視化すれば、その網目は、地球をすっぽり覆っているだろう。

とはいえ、人々がそれで本当に繋がっているのだろうかというと、個人的には甚だ疑問である。

もし人類が手にしたテクノロジーや能力を集結させ、我々が本来行うべき知的生命体としての次なる進化に向けて、共に足を踏み出せば、Human 2.0ぐらいまでなら、たやすくアップグレードできるだろう。

それにも関わらず、コロナの有無に関係なく、依然と世界のあちらこちらでテロや紛争が繰り広げられている。
もう少し狭い視点でみても、例えば、隣の住人がどんな人かすら知らないという、都市の日常がある。
あくまでも繋がっているのはネット端末であり、人々は分離して活動している。

数多くの国が、国という体裁を数百年以上維持しているのに、その国を構成している国民、市民一人ひとりの、意識や、存在意義を取りまとめるシステムを持ってはいない。

にも関わらず、国民は、国民性のような共同体に対する所属意識を持ち、それを自身の一部であるかのように感じてたりする。

まあたしかに、人種や、国籍とかで人々を色分けするような、そういう区分方法もあるが、我々が手にしたテクノロジーや、知り得た歴史などから考えて、もうちょっと良い道があるんじゃないかと思う。

しかしそれが、どうゆうカラクリなのか知らないが、とにかく、現在に至るまで、それらは封印されているのである。

もし世界の人々が、本当の意味で、コネクテッドな状態になったらどうなるだろうか?
おそらくミクロな衝突が、大部分で発生した後、いくつかの集合体となり、それぞれが異なる機能を持つようになるだろう。

これは企業や国家が、巨大化することにより、さらに強化されるのに似ている。

企業や、国家などという不誠実な共同体はさっさと解体して、個々が自由に活動したらどうなるだろうか?

多様性という意味ではそれもありかもしれない。しかし、共通の意識を持ち、巨大化したほうが、いくつかの目的は達成しやすいというのがこの世界のルールでもある。

つながる事失うもの

つながる事というのは、独立性を失うという事でもある。データを受信するのは、その情報を参照するという事である。
外部の情報にまったく依存せずに、独自の動きをするのであれば、テレビであれ、ラジオであれ、インターネットも不要である。

つまり、つながる事というのは、独自性を失う事を意味している。

つながる事の意味

動物や、植物は群れで生活しているものが多々ある。
少なくとも生存戦略的に、どちらが正しいという解はないのだが、群れには群れのメリットが存在する。
例えば、言葉を使うと、人々は神話を共有する事ができる。
お金を使うと、人々は労働を、超分業化する事ができる。
国があると人々は税金を共有する事ができる。

つながるつながらない

私は、時が来れば、コネクテッドヒューマン的な人類も登場すると思っている。これは、人類にとって重要な第一歩だと思う。
とはいえ、全てがそれに置き換わるとは思っていない。
いくつかのネットワークで、違いが現れるだろうし、ネットワークに参加しないのも一つの選択肢だと思う。ネットワーク同士の統廃合もあるだろう。

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