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参院選

noteって政治のテーマに弱いよね。と思ったのでそれについて考えてみる。

コロナとか、ウクライナとか、キーワードを入れると、勝手にテロップをつける程度に時流のテーマに介入してくる運営だが、政治に関しては少し距離を置いているように見える。

あくまで私見だが、noteってスピリチュアル系も多く、政治というテーマを強化するのにはあまり向いてないと思う。

スピリチュアルが、政治と相性がよくないのは、公共のルールというのは、科学的な因果関係に基づいた情報の積み重ねで決めるべきだと思うが、因果関係のバイパスや、相関関係の誤用によって、物事や問題を単純化させることがスピリチュアルでは時々行われている。

単純な例でいえば、○○は嘘つきだから〇〇が言ってるからそれは嘘に違いない。〇〇は〇〇を予言したから、これも当たるに違いない。
要は、データの分析としては、根拠に乏しいのに、信じるか信じないかはあなた次第、という2次元論だと、個人レベルではよくても、社会的課題の最適化には向かないのである。

Twitter

一方、Twitterは政治的影響力の多いSNSと言われている。Twitterが政治関連のトピックが人気なのは、自分の意見を簡単に投稿でき、他人の意見を簡単に参照できるからである。
さらに、自分がいいねした内容だったり、フォロワーの投稿により、同じような意見が集まりやすく、エコーチェンバー現象が発生しやすいのもTwitterの特徴である。

似たもの同士というのは、同じような課題をもっているので、共感しやすいし、同族を増やすことが、自らの利益につながるという、錯覚をもたらすことも一因かと思う。

いずれにしても、現状のブログやSNSというのは、人々の政治的関心や、意見を一部可視化することに貢献してきた。しかし、その情報がどこまで正しいかというと、玉石混合であるがゆえ、SNSがここまで普及してきたが、世界が平和になったという話はまったく聞かない。

投票

最近見た記事でZ世代は、すぐ多数決で決めたがるという話があって、本当かどうかは別として、それって面白いなと思った。多数決というのは、時にある種のマジョリティの暴力であり、民主主義だからと言ってそれが正義なわけではない。

また、意見が二分されるようなものは、むやみに投票で僅差によるジャッジをつけることより、それぞれが抱える問題点を最小化し、共通しているメリットを拡大させることのほうが重要だと思う。

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