君たちはどう生きるか を誰とみるか
宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」を長男(高1)と見てきました。
「君たちはどう生きるか」は家族の誰かと見たいと思っていた作品だったので、ちょこちょこ家族に声をかけていました。
すると長男が快諾。
「いいよ!ポテト食べたいし」w
息子の気が変わらないうちに、連休の「海の日」朝イチで行ってきました。
親子で考える映画という珠玉の時間
長男と見る映画は「シンウルトラマン」以来。振り返ると割と私のリクエストに応えてくれるいい奴なのですw
ウルトラマンは一時期、息子たちが大ハマりしていたので見に行ったのですが、今回はどうしても親子で行きたかった映画。
いつか息子が「なぜオヤジはこの映画をボクと見に行ったのだろうか」と思い返してくれたらいいと思っています。
親がどれだけ人生を語っても、正直伝えられることには限界がある。歳を重ねれば重ねるほど、伝える私と息子たちとはギャップがあるのは当たり前で、であれば伝える手段を考える必要があるんじゃないかな、と。
映画自体は思ったより、人生訓めいた作品ではなかったけど(と私は思いました)、どう受け取るかは本人次第だし、それはそれでいい。
親が何かしら伝えたくて映画に誘ったんだと、この映画のタイトル「君たちはどう生きるか」からは分かるはずです。
伝える時間と空間は限られているという現実
これから社会人に向かっていく息子たちと接する時間はどんどん減っていく。それはいい意味で自立に向かっているということ。
学ぶという行為は受け取る本人次第で、どれだけ伝え手が一生懸命教えてもインプットはしないと思います。だからこそ教える側が相手の立場に立って伝えていかねば、親としての私は学ぶ姿勢の大事さと相手の気持ちに立つ謙虚さを子どもたちかは学ばせてもらいました。
映画の教訓、それは友の存在
私がこの映画から学んだのは「友」
生きるのが辛くとも、友がいれば捨てたもんじょないよ、と。
友は人間である必要はない
映画の中の鳥だって立派な友
自分の心の支えになる、励ましてくれる存在さえいればなんとかなる
そんなことを感じた映画でした
映画を見終わった後、しきりに「あれは何の意味があったのか」とギミック、隠喩を語っていた長男
考えることを辞めなければそれでいい
立ち止まって悩んで、それでも前を向いてもらえたらいいなと改めて思いました。
また子どもたちと観たくなる映画を見つけたら、躊躇なく誘いたいものです。
親としてどう生きるかをこれからも考えていきたいと思います。
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