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御朱印ならぬ御陵印!?

 平成の終わり頃からブームになり、令和への改元の際には様々なトラブルをよんだ御朱印。そのブームに各寺社も参拝者を増やすためのツールとして創意工夫を(良し悪しはさておいて)し始めました。
 そんな中、さらには「御城印」「御鉄印」「御酒印」など色んなものができましたが、実は「御陵印」というものもあるんです。これは、ブームに乗っかったわけではなく、以前より存在していました。

御陵印とは

御陵印の歴史

 御陵印については、その存在は聞いたことがあったし、時々twitterでも見かけていましたが詳しくは知らないので、ネットで検索してみると、とても丁寧に解説してくれているサイトがありました。

 御陵印は「陵墓印」(りょうぼいん)とも呼ばれ、大正時代に初めて登場したと言われています。当時流行していた「皇陵」(こうりょう)への参拝や、神社仏閣の御朱印に倣って始められた記念印で、印があるのも歴代天皇陵だけでなく、他皇族の陵にも存在していたのです。
 当時の御陵印は現在と違い、「前方後円墳」などの陵墓を象った印や、なかの書体や模様なども様々な物があり、デザインが統一されていませんでした。
 御陵印の拝受は昭和時代になるとさらに流行し、多くの陵墓で御陵印が制作されるようになり、専用の集印帳も販売されていたと言います。しかし戦後、御陵印を集印する人数は減り、御陵印は歴代天皇の物だけ残されました。
 1975年(昭和50年)頃から印の形などのデザインも統一されていき、現在のように複数の印を管轄する陵墓監区事務所に設置されるようになったのです。なお、神代三陵の印に限っては、戦前の御陵印がそのまま使われています。

刀剣ワールド
https://www.touken-world.jp/tips/53601/

 とはいえ、御陵印を集めようなどとは思っていませんでしたが、これまたネットで「集めてまわろう 御陵印/小学館」というオリジナルの御陵印帳を見つけ、購入してみたんです。普通の御朱印帳と同じで、蛇腹式。しかも、各御陵についての説明が付いているんです。

左が小冊子、右が御陵印帳
見開きで4つの印が押せます

御陵印はいくつあるのか

 初代天皇から第124代昭和天皇までの歴代天皇陵の御陵印が93印。え?数が合わない?そうなんです。実は1つの御陵に複数の天皇が葬られていたり、近接する複数の御陵で1つの御陵印だったりするんです。例えば京都の泉涌寺境内にある月輪陵には12人の天皇が葬られていて、なおかつ2人の天皇が祀られている後月輪陵と合わせて1つの印になっていますし、龍安寺の背後の龍安寺朱山にある3つの御陵で1つの印になっています。

御陵印はどこにあるのか

 本来は御朱印同様、各御陵を訪れて、印をいただくのが筋なのでしょうが現在は93印+神代三陵3印の96印が、大阪府、京都府、奈良県、東京都にある5ヶ所の陵墓監区事務所に保管されているのでそちらに伺えばまとめて押すことができます。
 まぁ、いつか機会があれば・・・と思っていたらすぐにその機会が来ました(笑)今回の京都旅行です。

 5ヶ所の監区事務所のうち、2つが京都にあり、しかも近いんですね。なので今回、出発が日曜日。本来行程に日曜日を加えるのは嫌なのですが、今回は日程的にやむを得ず。で、混まないところ・・・・・・ということで、寺社ではなく御陵に行こう!ということに。「桃山陵墓監区事務所」と「月輪陵墓監区事務所」に伺うことにしました。

桃山陵墓監区事務所

桃山陵墓監区事務所
・京都府京都市伏見区桃山町城山
・明治天皇陵
・昭憲皇太后陵
・桓武天皇陵

 京都から京阪宇治線に乗って、桃山駅南口から歩くこと10分ちょっと。伏見桃山陵地の入口に到着します。

 ここから入っていくと、なだらかな上り坂でさほど疲れることもないですが、ここから入らず、もう少し道なりに進むと明治天皇陵の正面に続く230段の階段があります。私は(知らなかったので)こちらから入って行きました。
 この道をノンビリ歩いていると、ふと気になることが。寺社には日曜日って関係ないですが、これから行こうとしているのは宮内庁管轄の施設。もしや・・・嫌な予感が・・・嫌な予感があたれば今日1日の計画が全てパー(^^ゞドキドキしながら歩を進めます。

 事務所が見えてきました。人の気配はありませんが、電気は付いているようです。一縷の望みを持ちつつ、まずは天皇陵に参拝しました。

明治天皇陵(伏見桃山陵)
形状は「円丘」
昭憲皇太后陵(円丘)

 しかし不思議ですよね。かつて、権力の大きさをお墓の大きさで誇った古墳時代ならさておき、そこから千年以上経った現代でもなお、天皇を古墳に葬る習慣があるんですから。神社や仏閣も同じですよね。

 さて、いよいよ監区事務所へ。入口に近づくと張り紙が。「本日は休日ですので御用の方はインターフォンを押して下さい」良かった!対応してもらえそうだ。インターフォンを押すと、中から係の方が現れ、快く対応下さいました。入ってすぐの場所に御陵印を押す場所がありました。それなりに御陵印を押しに来る人がいるんでしょうね。

 こちらでは神代三陵(天津日高彦火瓊瓊杵尊;あまつひこひこほのににぎのみこと/天津日高彦火火出見尊;あまつひこひこほほでみのみこと/天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊;あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)を含めて29印、押すことができます。

 御朱印は神職や住職の方が押して下さいますが、これば自分で押します。中々に緊張しますね。結構、最初の方は上手くいかなかった。ちなみに、集印のポイントに朱肉は自分で用意した方がいいとあり、持っていって正解でした。

 何だかんだ30分ほどかかりました。途中、汗が滴って御陵印帳を濡らすところでした、危ない危ない(^^ゞ

月輪陵墓監区事務所

 桃山をあとにして京阪本線で京都に向かい、手前の東福寺駅で下車。泉涌寺を目指します。今回の月輪陵はこの泉涌寺の境内にあるのです。この泉涌寺は、第87代四条天皇、第107代後水尾天皇から第121代孝明天皇までの葬儀を執り行った菩提寺として「御寺」とも呼ばれています。
 しかし、泉涌寺自体に見所が色々あり、御朱印いただいたりと、うっかり月輪陵を見てくるの忘れました(^^ゞ

月輪陵墓監区事務所
・京都府京都市東山区泉涌寺山内町
・月輪陵/後月輪陵 他

 泉涌寺をあとにして事務所を目指します。こちらも日曜日でしたが対応下さいました。こちらでは全部で18印、押すことができます。

各監区事務所のしおりがありましたが、なぜか多摩陵墓監区事務所(大正天皇、昭和天皇陵)はなかった。

 正直、スタンプラリー的な乗りで、全ての陵墓をまわっているちゃんとした方にはお叱りを受けるかも知れません。でも、今までよりはちょっよ陵墓に興味は湧きました。今後は是非、残りの3つの監区事務所に伺って御陵印をいただこうと思います。


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