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シュタイナー教育と心理学⑥

ルドルフ・シュタイナー著 新田義之訳 『教育の基礎となる一般人間学』を読んでいます。

第2日目、第九段落目まで↓

第十段落要約

"反感"は前に生き通ってきた全生涯、全世界を映し出す。これは本質的に認識的性格をもつ働きである。認識が可能なのは、誕生前の生の像が照り込んでくるおかげなのだ。
認識は、誕生前にははるかに高度に実在として存在するのだが、"反感"の働きで映像(Bild)の状態にまで弱められてしまうのである。

第十一段落要約

"反感"が非常に強くなると、大変特殊なことが起こる。
(その説明のために表象の説明をする)
もし誕生前から現在の生に残されている力を私たちが用いないのならば、決して表象を作ることができない。今日物質界の人間として表象を作る時には、自分の中にある力を用いて表象を作っているのではなく、残存して働き続けている誕生前の時期の力を用いているのだ。誕生前の存在の生命を自分の中に持ち続けているが、私たちにはその声明を反射投影する(想起する)力しかないのだ。
さて、何かを表象するとすると、全ての表象は"反感"に出会う。そして"反感"の力が十分に強いと、内面化された像、つまり記憶が生じる
記憶とは、私たちを支配する"反感"の産物にほかならないのである。
こうして同じ反射といっても、漠然としている反感の生み出す気分的なものと、はっきりした反射との間の区別が得られる。後者は、記憶の中で今もなお映像の形で活動している知覚作用の生み出す反映作用なのである。
もし表象像に対して"好感"を持つようなことがあれば、これを「のみ込んで」しまうから記憶は全く起こりえない。記憶を持つのは、表象に対して一種の嫌悪を持ち、これを反射して投げ返すことによって、表象像を作り出すからである。

第十二段落要約

映像の形で表象を作り、記憶の中で反射投影して、像として捉えたときに生じるのが、概念(Begriff)である。



反感が強まり一種の嫌悪を持つと、表象像を作り出し記憶を持つ。
この第十一段落の「嫌悪」の単語は原文でどのように表現されていたのかわからないが、本当にこの訳で正しいのだろうか?
"好感"と"反感"は単純な好悪の表現ではないと言われていたことがここで崩されてしまい、大変困惑している。

この「嫌悪」が「反感」であれば今までの段落とのつながりもわかるのだが。



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