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「ちいさなかぶ!」第6話
※この作品に登場する企業・団体は、実在する企業・団体とは一切関係ありません。
日曜日。自由が丘駅の改札で、ほほえみ証券の株アプリを開く。「注文照会」のページにはコニシミノルデン420円の注文が表示されており、「執行待ち」と書かれていた。
「はぁ……」
土日で心の準備ができると思ったものの……逆に、猶予が与えられたことで土曜日はドキドキしっぱなしで、疲れちゃった。これなら、いっそ昨日買えちゃったほうがよかったのでは……と思わずにはいられない。
そんなわけで長く感じた土曜日だったけど、今日はきっとすぐに時間が過ぎるはず! なぜなら……。
「花ディアス~」
声がして顔をあげると、私服姿の音ちゃんがのんびりと歩いてきていた。それを視界に入れた瞬間、わたしの視線は少し下に吸引される。
お……おヘソが!
音ちゃんの私服はキャップ帽を始めとして全身スポーティな感じで雰囲気はかっこいいのだが、だぼっとしたカットソーは襟ぐりが大きく開いて高校生にしては育ちのいい胸元が覗いているし、裾が短くておヘソも見えている。半袖ではまだわずかに肌寒い4月。長袖なのは当然として胸元とお腹が見えているとはいったいどういうことなのだ……。しかも長ズボンはところどころ破れている。
「だ、大胆だね」
「そ? 春っぽいっしょ!」
夏じゃなくて?
「花ディアスもヘソ出してみたら? アガるよ~」
「えぇっ、無理無理っ!」
ケーキが生きがいな帰宅部女子のお腹がどうなっているか……想像できるものならしてみるがいいっ!
ちなみにわたしの服は全身CUで、青い小花柄のシャツに白いロングプリーツスカートというそんなお腹と足をカバーできるファッションである。
「ね、なるっちってどんな服着てくるかな~」
「え、うーん……シンプルで落ち着いた感じ?」
「青とか似合いそー」
なんて話していたら、改札から蓮ちゃんがやってきた。
「待たせてすまない!」
「……!!」
わたしと音ちゃんは仰天した。その尖った肩幅に。
まさかのバブリー!?
服自体は青いワンピースなのだけど、肩にパッドが入っていていかめしい。ウエストはキュッとしまっていて、スカートはタイト。これでファー付きの扇子を持って踊ろうものならもう完璧にテレビで見たバブル時代のそれだ。だけど不思議と、本当に不思議なことに……蓮ちゃんは着こなしていた。
「なるっち、めっちゃレトロじゃん!!」
「そうか? そうだな。これは母上の若い頃の服だ」
蓮ちゃん……いつも想像の超えていき方がすごいよ。
「花氏、音氏、今日はよろしく頼むぞ」
今日はわたしと音ちゃんで蓮ちゃんに自由が丘を案内してあげるのだ。東京・自由が丘といえば、おしゃれな街と素敵なショップが建ち並ぶ人気のお出かけスポット。自由が丘に生まれてこの方17年、自由が丘マスターのわたしとしては腕が鳴ります!
「ディアスは確かスイーツとカフェ巡りが好きなんだよね?」
音ちゃんがわたしを見て言った。つまりわたしに言っているということだ。
花……どこに行った?
「うん、そうだよ」
「ウチそのへんは詳しくないからさ。ディアスが案内してよ」
「いいの!?」
「うむ! 私もそういう女子らしきものを楽しんでみたい」
2人の背後に後光が見える。
新学期に入ってから苦節一週間、ようやく心から楽しいと思える時間が来た気がする!
「じゃあ、ついて来てね!」
ひとつめ。
「ここは世界的に有名な紅茶屋さんの日本初の支店! パッケージがおしゃれすぎない!? ここのアフタヌーンティーセット高すぎて頼めないけど憧れなの!」
みっつめ。
「ここはね、パリマタンっていうわたしが一番大好きなケーキ屋さん! パリの朝っていう意味なんだよ。はぁ~パリ行きたい♪」
ななつめ。
「ここは日本のモンブラン発祥のケーキ屋さんなの! モンブランと言えばここ! 覚えておいて!」
じゅっこめ。
「あのね、ここは最近できたばっかりのフルーツサンドイッチの専門店だよ! 見て、最高の萌え断でしょ!?」
じゅうさん。じゅうご。にじゅう……。
「花氏! 花氏!」
「え?」
20店舗ほど紹介したところで、蓮ちゃんに止められた。
「どれだけあるんだ!?」
「え、40店以上かな」
「多!!」
「そりゃ、自由が丘はスイーツとカフェの激戦区だもん」
よく見ると2人の顔には疲労の色が浮かんでいる。
華の女子高生がスイーツ巡り疲れとは、情けないですな。
「とりま、どっかで休まない?」
音ちゃんの提案には快く同意したい。
「そうだね。どこか入りたいカフェはあった?」
「マクドルかな」
「はぁ!?」
音ちゃんの発言に、思わず今年一番の大声を出してしまった。
普段発しないわたしの怒声に2人がビクッと震えたのがわかるけど、止められない。
「違うでしょ!? マクドルはそういうカフェじゃないでしょ!」
「うぇ!?」
「せっかく友達と自由が丘に来たのに、なんでおしゃれなカフェ入らないの!」
言ってしまった。本音。
音ちゃんがオロオロとしながら「だってさ、どこも高かったよ。ケーキ700円もすんじゃん!」と漏らした。
「そうなのだ、花氏。どのカフェも魅力的なのだが、私も……今日、そのな……」
蓮ちゃんがもじもじとしている。
「今日、何?」
「……500円しか持ってなくて」
と、しょんぼりと肩を落とした。
ごごご500円だとォーッ。
コーヒー1杯で詰みじゃないかーッ!
「アハハ、あたしは800円」
音ちゃんはヘラヘラっと笑って頭をかいた。
そうね……そういうことなのね。がくっ。
「わかったよ。500円じゃケーキセットは無理だもん……」
「すまない! 花氏!」
蓮ちゃんが両手を合わせてわたしに謝ってくれる。ちょっと落ち着いたら、ブチ切れてしまったのがとても悔やまれてきた。
「ううん、こっちこそごめんね。友達とおしゃれなカフェに行くのが夢だったから……つい、ガクッと来ちゃって」
「あ……」
蓮ちゃんがより小さくしぼんでいく。
言い過ぎた、と思った時、音ちゃんがわたしと蓮ちゃんの肩に手を乗せた。
「じゃあさ、株で稼げたらそれやろう!」
「えぇ? 株で!?」
「ケーキセットって一人1500円は欲しいじゃん? 3人で4500円だね」
「4500円か……時間はかかるかもしれないが、実現可能な範囲だと思う」
「い、いいの? せっかく稼げたお金の使い道が、ケーキセットで……。音ちゃん、推し活は?」
推し活、という言葉に一瞬音ちゃんの表情が揺れた。が、「いいんだよ!」とぷるぷると首を振る。
「リア友の方が大事っしょ! それに、ウチもケーキ食べたいし!」
今度は「リア友」という言葉にわたしの心が揺れる。
わ、わたし……リア友認定されている!
なんだか嬉しくて恥ずかしくて、顔が熱い。赤くなってるかもしれない。
って、こんなことで照れてたらバカにされるよ!
「あ……ありがとう」
「目標を設定するのは良いことだからな! 4500円を目指して頑張っていこう!」
「おう!」
そんなこんなで時間は過ぎて、もう空は赤みがかっている。わたし達はさっき撮ったプリクラを眺めながら帰り道を歩いていた。
「ふふふ……」
普通の笑顔で写っているのが2つと、やばい変顔のと、変なポーズのと4種類。変顔のやつはありえない顔の音ちゃんとわたしに囲まれて萎縮している蓮ちゃんがいて、見てるだけで自然と口角が上がっていく。
ふと隣を見たら、蓮ちゃんもプリクラを眺めて微笑んでいた。
「蓮ちゃん、今日は楽しめた?」
「うむ! プリクラは良いものだ。スマホで撮る写真とは、まったく別の良さがあるな」
わかる。なんか、この小さいシールにその日の思い出がギュッと詰められるんだよね。
「ウチが愛用してるプリクラがさー、フリューンって会社が作ってて、それも株があるなんてビックリだったわ」
「フリューンはプリクラ機でナンバーワンのメーカーらしいぞ」
「ねぇディアス。フリューンの株っていくら?」
「えっとね……」
フリューンの株価を調べてみた。1050円。10万円超えてる。惜しいー! 買えない!
「マジか。ウチ、大人になったらフリューンの株買う!」
「音氏の推し企業が出来たな!」
株トモと一緒に遊ぶだけで、株の知識が増えちゃった。普通の高校生とは違う目線で街を歩けるって、ちょっと優越感かも……。
「ね。最後にさ、明日の成功祈願しねー?」
「あ、いいね!」
自由が丘で祈願と言えば、熊野神社である。
入口の鳥居を入ると、蓮ちゃんがほっと一息ついた。
「なんだか神聖な感じだ」
「そう? いつも来てるからわかんないな」
手水舎で手を清めてから、本殿のお賽銭箱に5円を入れた。二礼二拍手をして、目を閉じる。わたしは両親の教えで、最初に感謝の言葉を述べてからお願いをするようにしている。今日の感謝の言葉は、これしかない。
新しいクラスになって友達がいなくて絶望していたけど、蓮ちゃん音ちゃんに出会えて、なんとか楽しくやっています。ありがとうございます。
そして、明日はコニシミノルデンの株が上がりますように……!
なにとぞ、よろしくお願いしますっ!
◆
翌朝。
「うーすけおはよ~」
水槽にエサを入れると、うーすけがヒレをパタパタさせながら土管から出てきた。うなぎは数か月ご飯を食べなくても生きていけるらしいけど、うちのうーすけは毎日食べる。今朝はウネウネしてなんか……テンション高そう。機嫌がいいのかな。
そういえば……うなぎって縁起がいいんだっけ。
これは……いいことある!?
音ちゃんと一緒に登校することにも慣れてきた。朝のHRを終えたのが8時50分。あと10分で一限目の授業が始まるけれど、同時に株式市場も始まる。
学校ではスマホの電源をオフにするので、指値した株価で株が購入できているかどうか、さらに値動きして上がっているか下がっているかは昼休みになるまで確認できず、ソワソワすることしかできない。なんたる生き地獄!
むー……やばい。気になりすぎる。
ちらりと時計を見る。10:25。
まだ昼休みまで2時間もあるよ……!
こんな様子で両手を握って祈ったり、頭を抱えたり、脱力したり、まったく集中できない午前中を過ごした。
そして、運命の12:30──4時限目の終わりの鐘がなる。
うぅ……! きたっ……!!
心臓がバクバク鳴り始めた。
こんなに緊張するのって、高校受験の合格発表以来かも!?
教室から先生が出ていくと、わたし達はさっとお弁当を持って屋上へ移動した。うちの学校は屋上がテニスコートになっていて、フェンスの壁と天井があるため誰でも入ることができる。教室ではあまり騒げないので、屋上へ行こうと事前に話していた。
「じゃあ、見るよ! 見るよ!」
「お願い! 減ってませんように! 増える! 増える!」
神頼みしているのは音ちゃんだ。蓮ちゃんは冷静なようだけど、ゴクリとつばを飲み込むのが見えた。
スマホの電源をONにして、ほほえみ証券にアクセスする。昨日まで何もなかった「国内株式」の欄は時価評価額が42720円となっており、評価損益は──
「わあっ!!」
画面に表示された「+720円」の文字が、燦然と輝いていた。
「プラスになってるーーー!!」
プラスってことは……!
「こ、これって儲かってるってこと?? だよね??」
「そうだ!」
蓮ちゃんが力強く答えてくれて、わたしは身体中の緊張が一気に解けて、脱力する。
はあああ……よかったぁぁ……!!
よかったーーー!!!
熊野神社の神様、ありがとうー!!!
「花氏、更新してみてくれ」
「ほぇ?」
蓮ちゃんの言う通り更新して画面を再表示すると、評価損益が+719円に減った。
「あれ!? 減っちゃったよ!?」
「また更新してみるのだ」
また更新してみると、+720円に戻った。
「わ、戻った!」
「こんな風に、秒単位でどんどん値動きをするのが株だ」
「へー!」
すごい! リアルタイムで株価が動く! これは楽しいかも……!
「プラスってことは、今ウチら達720円儲かったの!?」
音ちゃんが目をキラキラさせて尋ねる。
「いいや、これはまだ『今売ったら720円儲かりますよ』という含み益の状態で、利益が確定したわけではないのだ」
「んなるほどぉ。これを売らないと儲かったことにはならないのかぁ」
「うむ。そして、ゲットした42720円をさらに投資する。こうやってお金を増やしていくのだ」
わたしは、雪玉がどんどん転がって大きくなっていく様子を想像した。どこまで膨らんでいくんだろう……一瞬意識が桃源郷に行ってしまったが、いやいやそんなにうまくいくはずないと気を引き締める。
「それじゃ、これはいつ売るの?」
「もう少し様子を見ようと思うが……」
蓮ちゃんが、ふと表情を暗くして、うつむく。
「蓮ちゃん?」
「花氏は、これで……よかったか? もしここで下がっていたら、どうなっていただろうか」
わたしはハッと息を飲む。
「それは……」
「……私の思い違いなら良いのだが……。花氏は、本当は自分から株をやりたかったわけではない……のではないか?」
心臓をギュッと掴まれたかのように、息が止まった。
「え、そうなの?」
音ちゃんがわたしと蓮ちゃんをキョロキョロと交互に見る。
「私と音氏に付き合って、無理に始めてくれたのではないか? 私……薄々気が付いてはいたのだが、一緒にやれるのが嬉しくて……本当のところを聞けなかったんだ」
蓮ちゃん……わかってたんだ。
「でも、まだ戻れる。ここで売っちゃって終わりにすれば、これ以上減ることはない。たった700円だが、儲かって終わりにできるぞ」
「…………」
わたしと蓮ちゃんの間に、涼しい風が吹き抜ける。
頭が真っ白になって、何も言えない。
「えっ、やめるの? ねぇ、やめないよね、花ディアス?」
音ちゃんが焦った様子でわたしのスカートの裾を引っ張った。
「わたしは……」
わたしは、ぎゅっと制服の胸元を掴んで考える。
蓮ちゃんの言う通り、最初はただ仲間はずれになりたくない一心で始めた。今だって株価が下がってたら、正直、絶対後悔してる。やっぱり、やめときゃよかったって思ってる。
でも……今は、ここで「じゃあもう株はやめよう!」という言葉は……言いたくない。
なんでだろう?
わたしは自問自答しながらも、口を開く。
「……確かに、最初は勢いだったよ。後悔もした。でも……」
思い出すのは、ここ数日の出来事だ。
「株価を調べててさ、マクドル買えるじゃんってウキウキしてたら全然買えなくて撃沈したり。株を初めて注文したときのドキドキとか……ジェットコースターに始めて乗ったみたいな感覚っていうのかな? なんだかんだ、楽しんでたと思うんだよね」
「……花氏」
「昨日、自由が丘で遊んだ時も、ちょっと感動しちゃった。ずっと暮らしてきた街で、新しい発見があるってすごいなって。見方を変えるだけで、こんなに違った世界があるんだって」
わたしのたどたどしい言葉を、蓮ちゃんは目を潤ませながら聞いていた。
「だから……かな。今は、もっと続けてみたいと思うんだ」
「花氏……」
「蓮ちゃん、音ちゃん。わたし、株……やめないよ!」
蓮ちゃんはズビ、と鼻をすすったあと、「よがっだぁぁぁ」と濁った声をあげて抱き着いてきた。
「ウチもよかった!」
反対から音ちゃんにも抱きつかれ、サンドイッチ状態になる。
「うー、ピリったぁ。花ディアスがやめるって言ったらマジやばかったよ」
「ビックリさせちゃって、ごめんね」
「花氏の本音を確認できてよかったよ」
蓮ちゃんが今までに見たことのないキラキラした笑顔を見せたあと、徐々に紫色のオーラに包まれていった。
仄暗い海の底から手招きをするように、ニタ……と笑う。
「くっくっく……。これで、遠慮せずに深い深い株の世界へ連れて行けるな」
……あれ?
「よーし。じゃあ、手だして!」
音ちゃんが手を差し出して、蓮ちゃんも重ねた。一瞬躊躇したわたしの手を2人がさっと掴み、自分たちの手の上に乗せた。
「チーム『ちいさなかぶ』ここに結成! 皆の者、これから頑張っていこーう!」
「おーっ!」
蓮ちゃんの号令に、音ちゃんが声高々に応える。
「お、おぉ……?」
あれ? 今、無理やり手を持っていかれたよね?
やっぱりわたしって……騙されやすい? これ、やっちゃった?
一抹どころか二抹、三抹の不安を覚えながらも、わたしの株カツは幕を開けたのであった。
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