長澤翼の対話(第2回)
こちらは「アートと対話を楽しむ会」で扱った作品に対し、長澤翼自身が行った内容です。
当日のイベントの様子はこちらからご覧いただけます↓
■長澤翼の対話
登場人物は二人。サラリーマン風のスーツを来た男性と、男の子か女の子どちらにも見える子供が一人。サラリーマン風の男性の表情は険しい。一方こどもの表情は喜びに溢れている。状況的に違うのは雨のようなものを防いでいるかそうでないか。サラリーマン風の男性の表情が険しいのは雨の影響が大きいかもしれない。
大きなカバンを持っているから外回りの営業か、これから大切な接待があるのだろう。
そんな日に限って土砂降りの雨に嫌気をさして傘を低くもち濡れないようにしているのである。これは雨というのは迷惑なものであると先入観に注意喚起を促しているアートなのかもしれない。
一方こどもは雨を喜んでいるように見えるのはなぜか?この二人の反応の差異には大切な要素が隠れているような気がする。
その要素として「事実は1つだが真実はそれぞれ違う」ということが伺える。「あなたにとって雨というものは迷惑なもの」であっても「私にとってそうとは限らない」ということだ。
今度は雨の方に視点を移してみるが、はたしてこれは雨なのだろうか?色がついているため“雨のようなもの”と言った方が正確かもしれない。
いずれにしても我々が雨だと認識しているものとは様子が異なる。色が虹色であることから、これは虹が何かの拍子に急速に冷え瞬間的な灼熱により溶けだしたのではないだろうか?あまりにも一瞬であったことから水滴に光の色が吸収されたのだ。それは雨となり我々が住む地球上に降りそそぎ街中を虹色に変えてしまった。こんなにも摩訶不思議なことが起きているにも関わらず、大人にとっては関係ないのだ。仕事という目の前のタスクに追われて視野が狭くなっている。
見えているようで全く見えていないものがあるということだ。一方こどもは時間に追われる存在とは遠い。なので今起きている摩訶不思議な状況に心身で喜びを感じることができる。この絵の構図は子どもの頃にはあったのに、大人になって忘れてしまったものを表現しているのではないだろうか?
大切なものは意外にも身近なところに転がっているのかもしれない。
海面に大きな穴がある。中には都市が形成されている。穴の淵には展望台があり人がいて釣りをしたり海を眺めたり和やかな雰囲気が伺える。釣りやデートの穴場なのかもしれない。この穴の厚みを考えると海自体はそこまで深くないのだろう。しかしこの展望台の役目はなんだろう。
恐らく嵐などで海が大荒れした時や危険な生物が近づいた時にゲートを開閉を判断をするために機能しているのであろう。
さて、今度は穴の中に見える都市に視点を移してみよう。飛行機が飛んでいたり、大きな幹線道路があったり、車が渋滞していたり、オフィスビルが立ち並んでいたり、車のライトがついていたりと様々な時間が流れている。穴の付近の展望台のライトがついてることを考えるときっと夜。でもこの年はほぼ夜のような世界なのかもしれない。形成されている都市に対して海の穴が小さ過ぎる。
つまり光の量が足りていないということが想定できる。勿論この穴の数が多ければ話は違うがそうも考えにくい。というのもこの都市は後天的に人間によって地下に作られたからだ。そうでなければ地下に住む理由が乏しい。
景観の問題か、人口爆発により住む場所や資源が枯渇したか、紫外線の兼ね合いなどいろいろな事が想定できる。ある種これは人類の未来的な姿を描いた絵なのかもしれない。
光が足りてない暗い世界を軸に過ごすようになった人間は、たまにこうして地上へ上がって気分転換をするのかもしれない。
圧倒的な存在感を放っているのは中央の大きな魚である。大型の鯉のようなビジュアル。海は大荒れで手前にある船は嵐で難破してしまったのだろうか。
恐ろしい事に嵐に紛れて顔が鷲のような生き物が船の人々をさらっていこうとしている。嵐で度々行方不明者が出るのは、もしかするとこの謎の生物の仕業なのかもしれない
。しかし何のためだろうか?さらって行こうとしている生き物は顔と羽以外は人間のようだ。人間を捕食すことで人間のような四肢が得られるのかもしれない。
そうであれば大事件である。災害として捉えられていたのは実は狩りの現場であるからだ。
今度は少し視点を移してみよう。鯉のような生き物の背中にのっている「昇天丸」という男は何処かでその噂をききつけていたのかもしれない。嵐にも負けないような生物を仕え登場し、難破した船に乗っていた人にとっては救世主である。このような嘘か真かわからない事に飛び込む勇気はなかなか持てない。しかし勇気を持って行動をすることで救われる者がいるのも事実。
どんなに困難なことであろうと、行動しない限りは結果は変えることはできないのだ。さて、今のあなたにこの様子は他人事に見えるだろうか?
26人の女性と1人の男の子がいるこの場所は何処なのだろう。恐らく芸者たちの控え室ではないだろうか。美しい着物で着飾っている女性たちは現役の芸者たちなのだろう。一見慌ただしく見えるが凛とした美しい表情を浮かべている(美しい着物を着た女性たち)。
画面左下には唯一の男の子が描かれているが、よく見ると猫を追っているように見える。きっと猫に夢中で追いかけてきて親から離れてしまいここまでやって来たのであろう。芸者さんたちの控える場所までやってきてしまって、それに気づいた女性が子供を止めているのである。猫のすぐそばに立っている女性も猫に気付き驚いている様子で、今にも動き出しそうな佇まいを成している。
季節は冬できっと高いところにある非日常的な場所であろう。なぜなら雲から覗いたような構図でその雲が建物の距離と近い様に感じるからだ。
ハレの日の女性たちの裏側の世界を自然的に表現した美しい絵である。
⬛︎この活動を通じて伝えたいこと
アートとの対話を通じ主体性を育むこと。
それは「正解のない問い」に向き合う姿勢を養うことでもあると考えております。
対話型鑑賞はアートだけでなく、ビジネスや教育の場でも活用できます。
「教える者、教わる者」の関係を越え「正解、不正解」の枠を越えて一緒に学ぶことの重要性を感じています。
いただいたサポートはHITOMOJIのコンセプトである“想い出の一文字を形に”を実現する為の活動資金として活用致します。