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長澤翼の対話(第5回)

長澤翼自身が行った対話内容をご共有致します。

Igor Morski-Untitled

この絵の時間軸は右から左に流れてゆく。何処からそう捉えるかというと、地面が右から左に向かって時計によってえぐられている箇所からである。
時計は転がり続け、この場所に来ていよいよ壊れ始め部品が散乱している様子。時計の中にはサラリーマンらしき30代~40代くらいの男性がいる。中にいる男の手足はコードのようなもので縛られている。コードの出先は時計の短針。男は短針に強制的に引っ張られている。これは時間から逃げることはできないという意味ではないだろうか。残酷にも「時間は一方通行であり逃げることはできない」という呪縛が視覚的なコードとなり、男を繋いでいるのである。男は時間に振り回され盲目となり強制的に走り続け、やがて時計が壊れ始めてなんとか時間の呪縛から逃れることに成功しそうだが、それは叶わない。
背景に注目しよう。何もない閑散とした場所にカラスが飛んでいる。ここは墓場だ。時間を止める、即ちそれは死を意味する。死肉は獣により貪られまた閑散とした場所になるのだ。時間というのは誰にとっても平等であるが、向き合い方次第では人生に大きな影響を与えるのである。

歌川国芳-源頼光公館土蜘作妖怪図(ミナモトライコウヤカタツチグモヨウカイヲナスズ)

妖怪の奇襲を描いた浮世絵。その被害者となるのは人間である。
人間たちの着物が派手なことから、身分の高い武士たちなのではないだろうか。もしかすると、妖怪たちの力を借りてこれまで数々の勝利と名誉を成してきた人間たちなのかもしれない。何処からそれが伺えるかというと、画面中央の赤面の妖怪と人間が囲碁を交えていることから、人間は妖怪を認知しておりこれまでも交流があったことが想像できるからである。
妖怪の力を上手く利用してきた人間たちが、最終局面では手のひらを返され奇襲される寸前の様子を描いたのがこの作品だ。妖怪側はこの奇襲までに人間たちに協力し人間を十分に肥やしこの時を狙っていたのだ。
画面の細かい構図に着目してみよう。右端の人間は酒に酔いつぶれて奇襲に気付いていない。中央の囲碁をやっている人間も気付いていない。その他二人が状況の変化に気付き姿勢を変えているがもう手遅れだ。圧倒的な数の妖怪の奇襲は避けられない。中でも右上の大きな妖怪は風呂敷なようなもので人間たちをまとめて捕らえようとしている。中央の赤面の妖怪は風呂敷の端にいて、すぐに動き出せるよう片膝をついている。
結論、この絵が何を伝えているかというと「油断大敵」ということなのではないだろうか。

ウィンスロー・ホーマー-スナップ・ザ・ウィップ

登場人物は10歳~18歳くらいまでの青少年(7人の少年と2人の少女)と大人2人(左側奥)。中央の18歳くらいの男性がおそらくこのグループのリーダー的存在ではないだろうか。体の動きに躍動感があり、その動きにまわりがつられて勢いを与えているように感じる。
また、この絵からは楽しいというよりは負の空気感がただよってくる。
何処からそう感じるかというと、左側の倒れそうになっている少女からである。これは男女差別を描いたものなのかもしれない。しかしただ単に男女差別を描いたものではなく、差別自体を皮肉っているような作者の意図を感じる。その理由は右側の3人である。この3人の表情や体の動きを見ると中央のリーダーを止めようとしているようにも見える。
舞台は広大な草原と後ろの納屋のような建物から想像するに田舎町。小さな町で住民も少なく協力体制が必要にも関わらず、性を持ち出して差別するのはくだらないことであるということを伝えたかったのかもしれない。
しかし現実ではこの町では差別は日常的なもので黙認されている。これは画面左側奥の二人の女性の大人が物語っている。一人は子ども達の方を見ているが、助けようとはせず見て見ぬような雰囲気が黙認されていることを物語っている。残酷にもこれが現実の人間の普遍的な社会なのかもしれない。

⬛︎この活動を通じて伝えたいこと
アートとの対話を通じて「考えることの楽しさ」を知れる機会を作りたいと考えています。なぜなら「考えること」は人間社会の「正解のない問い」に向き合うためにも必要な力だからです。
「教える者、教わる者」や「正解、不正解」の枠を越えて、共に考えることの重要性を模索していきましょう。アートにはそれを実現するための力があると信じてこの活動をしています。

■追伸
実際のアート対話会の様子はこちらからご覧いただけます。


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