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「待っているんだ」~難民について考える~

ある日、友人から誘われて集まりに参加した。

それは市内にあるキリスト教系のとある孤児院のイベントで
孤児院に住む子供たちや教会関係のお母さん方などが集まって
浜辺で遊んだりするもの。


大体そういうところに行くと、初対面の人からの
「名前はなんだ?」「インドネシアで何してるんだ?」
そんなようないつもの質問に答えるのが常。

何百回とされて来た質問で、来て初めのころは何て言えば伝わるかとか
結構考えてたりしてたけど、
今では答えるのに何の感情も湧かない程に慣れてきた。
まあ、聞いてる方もそんなに気にしてはないと思うんだけど。



少しするとそこにどうやらインドネシア人ではない若者が来た。
お母さんたちもなんだか興味津々。どうやらインドネシア語も少し喋れるらしい。
そんな彼と一緒におしゃべり。

お母さん方から同じようにいつもの質問。
「名前はなんだ?」「インドネシア語喋れるのか?」「どのくらいインドネシアに住んでいるんだ?」
そんなにインドネシア語も流暢じゃないみたいなのに容赦なく、
答えを聞く前にいろんな人から矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

お母さん方も彼のインドネシア語も理解しながら
うまく伝わらないときは英語が出来る子が通訳みたいに入りながら、
なんだかちょっと戸惑いながらも彼はいろんな質問に答えてた。


そうやってゆっくりコミュニケーションを取っていたんだけど
ただ一つの質問だけ、お母さんたちが理解出来なかった。


「インドネシアで何してるんだ」という質問に、
彼は
「待ってるんだ」
と答えた。
僕も最初は理解出来なかった。


最初はインドネシア語の聞き間違いかと思って
英語で聞いてみたりしても、やっぱり「待ってる」と言っていた。
「何を待ってるんだ?」
そんな質問には苦笑いをするだけで、
彼は黙ってた。


その質問に興味を失ったのか、お母さんたちからの次の質問は
「どこから来たんだ?」
彼は
「アフガニスタン」
と答えた。


ああ、そうか。
彼は難民としてインドネシアにいるんだ、
だから彼が何となくうまく質問に答えられず、
「待っている」という言い方をしたのも
そういうことだったんだ。


インドネシア人にとってありふれた質問でも、
日本と現地に所属する場所がある日本人には何気ない質問でも、
それは意外と人を傷つけたりすることもあるんだ。
(彼がこれで傷ついているのかは分からないし、
 彼にとってもこういう質問はありふれたものになっているのかも知れないけど。)


もちろん日本でもそうなんだけど、
悪意のないこういう言葉が凶器になってしまう世界に自分はいるんだと
第三者としてその場にいて、なんだかはっとされられた。



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僕はボランティアに今まで興味がなかった人間で、
というよりも世界的な社会問題というものを遠く感じてきた人間で、
不勉強すぎて恥ずかしくなるけど、
「難民」というものがどういうものかをよく知らない。


何となくのイメージは分かる。
だけどそれを自分事として捉えたことは
恥ずかしながら人生で一度もなかった。
「UNHCR」も知らなかったし、
「Refugee」という英語も知らなかった。
無知って人を傷つけたりもするんだね。


日本にいてぼーっと生きてると、あんまり難民について考える機会って正直ない。
会ったことはなかったし、海外旅行とか行っても観光地に行ったらあまり関係して来ないし。


「難民」とは紛争や戦争、人権侵害から自身の生命を守るために
祖国を離れざるを得なくなった人。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の2018年のデータによると、避難を余儀なくされた人の総数は
7,080万人にも及び、その数は近年増加傾向にあり
例えば紛争の続くシリアでは、国民の約3割の人が国外へ避難をしているそう。


インドネシアでも約1.4万の難民を受け入れており、その半数がアフガニスタン人。
でもはやり言語の壁や資金、学習機会も開かれてないことなどから
生活に苦しむ人も多いのが現状のよう。
まったく身寄りもなく、言語も通じにくい世界に入って
生活をするということがどれほど大変かは
何となく分かる気がするけど、
実際はその想像の何倍も大変なんだと思う。


日本はどうか。
2018年の難民認定者数はたった42人に対して
難民申請者は約10,500人。
認定率はわずか0.4%と、数字だけ見るとかなり少なく
国際的にも「難民鎖国」と名指しで批判される。

ただ、2017年のデータではあるが
フィリピン、ベトナム、スリランカ、インドネシア、ネパールの上位五カ国出身者だけで、申請者総数の約七割を占め、
難民出身上位五カ国(シリア、アフガニスタン、南スーダン、ミャンマー、ソマリア)からの申請者は、50人以下に留まる。


世界の難民と日本への難民申請者の間には全く相関関係がないのは、
立地や言語、社会体制から見れば上記の国の難民が選ぶ国ではないのは当然の結果。
でもどうやらこの日本の難民制度を悪用した就労目的の上記アジア圏からの労働者の流入が起こっていると言われている。


難民認定には時間がかかるので、生活の安定の為に
その期間に法律上労働を認めていて、
その期間を利用して労働する目的で日本で難民の申請をするんだって。
それを斡旋するブローカーも存在するみたい。


本当に祖国を離れざるを得ずに日本に避難してきた
本当の意味の難民が果たしてどれくらいいるのか、
そしてそういう人たちの認定期間が、
労働目的で来る彼らのような存在で伸びてしまっているようなことがあれば
すごく悲しく、やるせない話でもある。


ちなみに先進国で断トツに受入人数が多いドイツは
年間約40万人以上が難民認定されて
ドイツで生活を送っている。
ドイツは国として補助金を用意し、語学学習や職業訓練の機会も与えている。
もちろん国際貢献、人道支援という側面もあるが、
将来的には労働力としてしっかり国に貢献してもらおうとする、
国としての意図が何となく感じられる気がする。



でもどうだろう、もし日本に難民が大量に入ってきたら。
正直、本当に正直なところ、一日本国民として僕はなんだか「怖い」と思ってしまう。
何が怖いのかは分からない。
犯罪が増えそうとか、名付けるとしたらそういうことなのかもしれないけど、多分もっとあやふやなもので。

暗闇を見ているような、中身の見えない箱に手を入れるような、
そこに何があるか分からないという怖さ。
分からないという恐怖。
それが多分、本当に正直な感想。


きっとそういうものを取り除く為には
もっと知らないといけない。
難民のことを、彼らのことを。
制度のことも、国際情勢も、他国の事情も今後の未来も。


賛成も、反対も正直出来ない。
これってやっぱり結構情けない気がするよね。


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日本にいたら多分一生、「難民」について私は考えることがなかったと思う。


こうやって海外に来てそういう視点をもらった。
無知は恥ずかしい、情けないことではあるけど、
まだまだ知らない世界があることに、まだ新しく知ることがあることに、
最近はすごく面白いと思えるようになりました。

青年海外協力隊の活動ではないし、
ボランティアとしての結果でもないんだけれど
こういう日本にいるだけじゃ気づけなかった世界に気付けることは
こうやって時間をいただいて海外で生活させて頂いていることで
得られるものの一つだと、心からありがたいと思う今日この頃です。


(今回いろんなサイトやデータなどを参考にしています。
 認識の間違いやデータご使用などはご了承ください。)


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