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『Neru - potatoになっていく』_考察

もう救えない スクラブばかりのブルペンじゃ

ちゃちな青春も お涙も それすらないもんな

相当に笑えない コメディのワンシーンもままならない

冷めたチャウダーを ただ混ぜ合わした さもそんな人生さ




掛け違えたボタンの身なりを いつのいつまで見ぬ振りしようか

そうかい 抗弁のしようもないな




たまたま火事場に逃げ込んで 善かれと油を放り込んで

生活も 計画も 全部がpotatoになっていく

ぐつぐつ明日が泡吹いて 白目のままに茹で上がって

将来像 成功法 全部がpotatoになっていく




このままみんなで浸り散らかして どろどろに未来を溶かして

そんな暮らしのままでKUSHA KUSHAになっていこうぜ




もう時間がない 我等に見下す権利などない

有象無象が発した ブーイングも 今なら勲章さ

相当に笑えない 誰だってそう言わざるを得ない

バカの一つ覚えのように 空回って ただバターになっている




始めはこんなつもりじゃなかった 誰か信じてくれやしないか

一切、反証の余地はないが




あたかも何も知らぬ顔で ここぞと薪を投げ込んで

生活も 計画も 全部がpotatoになっていく

こんがり明日が煮え切って 姿見えぬほど燃え上がって

将来像 成功法 全部がpotatoになっていく




このままみんなで浸り散らかして どろどろに未来を溶かして

そんなボウルの中で憂さ晴らしだとかしようぜ

そんな暮らしのままでKUSHA KUSHAになっていこうぜ

https://www.youtube.com/watch?v=Dun11cIEo9s


つばさなりの考察

『potatoになっていく』考察

スクラブばかりのブルペンというのは
スクラブ=医療用白衣、ブルペン=野球の投手の投球練習場と考えると
社会に出る前、あるいは一度退いて、病院にかかっている、社会参加のできない者を見ている医者の蔓延る場所と推定できるので、青春もお涙もないというのは、病気に臥している人間には、青春やお涙もないということがいいたいのではないだろうか。その後に続くコメディのワンシーンもないというのは、笑うことすら出来なくなってしまったと考えられるため、おそらくは身体疾患ではなく、精神的な疾患によるもので苦しんでいる患者が存在していると思われる。

掛け違えたボタンの身なりはおそらく直訳するべきではない。
どこかで道を外れてしまったことの比喩だと思われる。

たまたま入り込んだ火事場というのは、おそらく家庭(Neruさんの生い立ちを考えての解釈)かクラスだと思われる。
配属されるものであり、自分で選べない場所、ポジション。
そこで放ってしまった言葉がたまたま「火に油を注ぐ」ようなものだったのだと考えることもできる。
そうしたことで、なにもかもが分からなくなり、個々人を見ていたはずなのに、全員が均一の価値しかない、まるでファーストフード店で何気なく口にする、ありふれた同じような「potato」に化してしまったのではないだろうか。

そうなると、生徒指導も同じようなもので、生徒一人一人の将来まで考えてくれる親や教師などいない。
出来上がるのは、同じような勉強しかしてこなかった同じような子供だけ。

未来を溶かして、KUSHAKUSHAになっていこうとあるが
別にいつまでもしっかりしていなきゃいけない訳ではない。というメッセージにも感じる。
それか、自分の未来なんてどうせ大人に決められてしまうのだから、という諦めにも見える。

有象無象が発したブーイングというのは、誹謗中傷か、いじめか。
それらも、結局未来になってみればなかったことされ、「自分はいじめられなかった」という勲章になる。
笑ってはいけないのだけれど、笑うしかない、同調圧力のようなものを感じていたのではないか。

はじめはこんなつもりじゃなかった、でも反証の余地がない。
やってしまったことの結果として何かが起こってしまったのなら
どんなに「そんなつもりではなかった」と言っても加害者であることには変わらない。

あたかも何も知らぬ顔で ここぞの巻を投げ込んで
これは火に油を注いでしまったところに巻を投げ込んで、さらにその炎を大きくしようとする野次馬のことではないだろうか。
そうしてみれば、加害者たちは被害者にとっては同一に危害を加えてくる猛獣に見えるだろう。

そんなボウルの中で憂さ晴らしだとかしようぜ
というのは、
被害者が加害者をも巻き込んで、大火事にして、全員で燃え尽きて加害者も、はたまた自分すらも燃やし尽くして仕舞えばいい。という叫びに聞こえる。

総括

いじめの発端は自身にあったが、そこに野次を飛ばしたり、全員が敵に見えてファーストフード店のフライドポテトみたいに、一本一本の価値など変わらないくらい違いが分からないくらい憎い存在に変わっていった。
いじめは収束することなく、加害者は揃って「そこまでなるとは思っていなかった」というが、結果があるのだから原因を作った加害者を本当は葬りたかったのではないか。
自分が油を注いでしまった火の始末をするのではなく、それを加速させた加害者を皆殺しにして、自身も共に燃えてしまえばいいと諦めてしまった。

僕はそういう歌だと、感じた。