MENDOKUSAI

「めんどくさい」こいつ、やっかい。
いろんな気持ちと行動を邪魔してきて、なかなかどかすことができないこいつ。
こいつにまとわりつかれると、なにをするのも億劫で一歩、一ミリたりとも動きたくなくなる。
「お風呂に入りたくない」「課題したくない」「お茶碗洗いたくない」いろんな場面に顔を出してはぴったりととなりに座りだす。
わたしは、お隣どうぞなんて一言も言ってないのに、なに勝手に座っとんねん!!!!!

不思議なのが、このめんどくさいが出てこない時もある。
ご飯食べるときだったり(料理めんどくさいはある)、SNSを見たりするとき。…この他に案外思いつかなかったけど…
出てくる行動と出てこない行動の違いって何なんだろうね。
楽しいことだったり好きなことでもめんどくさいって思うときあるもんな。不思議。

めんどくさいに怒りを覚えながら、それに簡単に屈する自分も嫌なんだよね。どうしてやらなきゃいけないと頭ではわかっていても後回しにしたり、やらなかったりするん?ダメね。
生まれてからもう数十年経ってるけど、いまだめんどくさいを克服できたことがない。逆に言うと生まれてから今までずっとそばにいてくれている。
もうこいつを切り離すことができないんだと思う。
こいつを消し去って、なにごともテキパキやることは不可能なんだと思う。
自分はそういう人間なんだ。やっと受け止められた。

だから、わたしはめんどくさいを律することができないかわりに誤魔化すことにした。
別なことを考えたりやったりするうちに、今までのしかかっていためんどくさいがいつのまにかいなくなってるの。だからといって消えたわけじゃない。あいつのことを考えるとまたすぐくっついてくる。
たぶんわたしがあいつのことを見ないようにしただけなんだと思う。見えなければ意識しないし、意識しなければ面倒くさくない。この状態のうちに行動してしまうことが自分なりに見つけた、めんどくさいとのつきあい方。

あかちゃんだって泣いてるのに、目の前におもちゃとかちょっかいだすと、一瞬泣き止むじゃん?あれと一緒。でもずっとは泣き止まなくて、思い出したらまた泣くんだ。
本当に同じ原理。あかちゃんは他人がやってくれるけど、大人なわたしは自分で自分の気を紛らわせるしかない。(誰かと話すとか、方法として他人にしてもらうことはあるけど、行動の起因になるのはやっぱり自分)

めんどくさいは絶対消すことはできないと分かった。
だからわたしはどうやって自分自身をあやすかを全力で考えることにする。

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