【小説】天翔けるかぼちゃの馬車(あまかけるかぼちゃのばしゃ)
街中の小さなビルを二階にのぼると、入り口に看板が出ている。
「ストーリーカウンセラーMASAMI 完全個室・完全予約制 1時間5万円/2時間8万円」看板には、これらの文字とスニーカーで走っている女性の姿が描かれていた。
木目調のドアの向こうでは、カウンセラーMASAMIが本来の姿である恋愛小説家・黒田真沙美(くろだまさみ)に戻って、大きく深呼吸していた。
「ふう」
五分前に、今日のカウンセリングを終えた。
真沙美は、もう一度大きく深呼吸をすると、肩をさすった。肩は、固かった。
お風呂にはいってゆっくりすれば、肩こりは解消できるか。それよりも、この心に抱えたストレスはどうしてくれようか。
いつのもあれか。
看板をドアの中に入れると、真沙美は周りを片付けた。肩がけのバッグにスマホと財布とタオルハンカチを入れた。シューズボックスの上の段から、紺色のスニーカーを取り出して履く。スニーカーは、底が厚い作り。
「よしいこう」
ドアから外に出ると、真沙美は階段を軽快にリズムよく降りていく。
夜の街は、メインの通りには常夜灯が輝いていて、帰宅する人や駅前のスーパーに行く人が通ってゆく。「ねえ、今度隣の駅のカフェ行こうよ」「今月のフレーバー、まだ食べてないね」「夕飯のおかずは何がいい?」「何でもいいって、じゃ、あとから食べないって言わないでよね」通り過ぎる人の会話が、自然と耳にはいってくる。
この人は幸せだろうか。幸せな自分を、ちゃんと妄想できているか。
歩き出してからひとつ角を曲がって、住宅街に入る。
常夜灯の数が減り、明るいレベルがふたつ、下がった。
角の一軒家は、門の前にコキアの植木鉢が三つ並んでいる。そろそろ赤くなってくる季節なんだと、真沙美は思った。
自転車が後ろから、追い越していった。高校生くらいの男の子が運転していて、後ろにクラスメートなのか女の子を乗せている。女の子は安心しきった顔で、男の子の背中に顔をくっつけていた。
向かいから、犬の散歩をしている人が来る。六十代くらいの女の人が、黒い柴犬を連れていた。ゆっくりゆっくり歩いている。じっと見つけていると、いつまでも近づいてこないと、不安になってしまうくらい、ゆっくりと。
真沙美は、飼い主と犬とすれ違って遠ざかるのを待った。
住宅街の一本道を、歩いている人がいないかどうか確かめる。少し待って、誰も来ないことを確かめる。
そして。
ぽん、と勢いよく一歩を踏み出した。
続けて、ぽん、ぽん。
すると、スニーカーが真沙美の体を浮かせてくれた。
空へ続く見えない階段を上るように、真沙美の体はどんどん地上から離れていった。
スカートでなくてよかった。
そんなことを思いながら、真沙美は空へ上る。
ぽん、ぽん。
ぽーん、と一段と勢いがついた。
あ。
真沙美の体は、くるりと前に一回転した。
次の一歩は、後ろから蹴り上げてみた。
真沙美の体は、くるりと後ろに一回転した。鉄棒で逆上がりはできないけど、このスニーカーがあれば空中で自由に回れる。これがもし小学生の時に手に入れていたら、体育がいつでも「2」にはならなかったなあ。
ぽん、ぽんと蹴り上げて、身体が一回転して、真沙美は空を上っていく。一歩一歩回るのが、遊園地のアトラクションみたい。ひとりジェットコースター? こわくないし、体が軽くて面白い。面白くて、真沙美はひとりで回りながらげらげら笑った。
笑うと、楽しくなる。また笑う。また楽しくなる。
単純は楽しい。
それにしても、と、真沙美は思う。現代人って、総妄想欠乏症症候群(そうもうそうけつぼうしょうしょうこうぐん)なんだよなあ。
今日、カウンセリングを受けに来た人もそう。自分の未来の人生ストーリーが、まったく描(えが)けないというのだ。未来はその人の自由なんだから、遠慮しないで思いっきり妄想しちゃえばいいのに。誰に遠慮しているんだか。自分に、家族に、仕事仲間に、もうひとつ自分に。
遠慮しちゃうなんて、もったいないなあ。
あの人、アフターケアサービスのメール相談、ちゃんと送ってくれるかなあ。七日以内なら何通でも受け付けるって言ったの、わかっているかな。何通来るかな。自分の中で、悩み解決できたかな。わたしが言ったことがちょっとでもわかってくれたかなあ。
カウンセリング内容を思い出しながら、真沙美はだんだん気が重くなってきた。
同時に、ぐるんぐるん回っていたのが止まり、勢いよく一歩を踏み出せなくなった。
体は、いつのまにか地上に戻っていた。
ストレス解消のために紺のスニーカーを履いてきたのに、まったくストレスは解消できていなかった。
はああ。
真沙美は、大きな大きなため息をついた。今日溜めこんだストレスは、ストレスのメーターを振りきりそうなほどなのだと、知った。
「もう、今日はスペシャルバージョンいっちゃおう。でなきゃ、眠れない」
バッグからスマホを取り出すと、午後十時から一時間と予約を入れた。メールに「予約受付ました」の通知が来た。
駅前のスーパーに行き、トップスとボトムス、ストッキング、靴をひととおり買った。わざわざ袋も買って、紺のスニーカーを入れた。服と靴のタグをすべて切ってもらって、すべて着替える。
メインの通りに出て、タクシーで予約場所に向かう。
服や靴を自由に買えることとタクシーで移動することと、これからいく場所に予約をいれられることが、成功者の醍醐味だと、真沙美は思っている。
タクシーで着いた場所は、周りからは木々に囲まれていて何の場所なのかわからない。タクシーの運転手も、森の中で降りた真沙美を、不思議そうに見ていた。
入り口の門の前で、名前と予約時間を告げる。門を入ってからしばらくは木々の間を歩いていく。
遠くから、こっとんこっとんと一定のリズムで音がする。
木々の向こうから、白い馬を二頭従えた馬車がやってきた。車は、丸いかぼちゃに似た形で、真っ白だ。
真沙美の目の前で馬車が止まると、御者が下りてきておじぎをした。真沙美もお辞儀を返した。
「黒田真沙美様。お迎えに参りました」
黒いスーツを身にまとった御者は、かぼちゃの馬車の扉を開けて、真沙美に乗るように促した。
かぼちゃ型の馬車は、赤いふかふかのソファ。座ってそのまま寝ちゃったら幸せかも、と思えるくらい。
真沙美は、「シンデレラ」の物語が小さい頃から好きだった。
童話は複数の種類を読破して、何度も読んた。もちろん有名なアニメも何度も何度も観て、セリフも歌もマスターした。さらに、中学生になると、オペラにも「シンデレラ」があると知り、誕生日のプレゼントにDVDをお願いした。これも、何度も観た。
日本にも「シンデレラストーリー」といえる「落窪物語」があると知り、現代語訳を読んだ。さらに、古典でも読んだ。
何より好きなのは、かぼちゃが馬車に変わる場面。かぼちゃは似て食べるものと思っていたのが、大きくなって人を乗せる馬車になるとは。もちろん、好きな食べ物を聞かれたら、真沙美は何よりも「かぼちゃ」と答える。煮物も好きだし、いとこ煮もいいし、プリンにもできるし、ペーストにしてかぼちゃのパイを作るのも好き。
馬車は、大きな倉庫の前で止まった。御者が扉を開けてくれると、真沙美はゆったりと降りた。
倉庫のシャッターが上がり、中が見えてきた。
倉庫には、「天(あま)翔けるかぼちゃの馬車」があった。
これだ。と、真沙美はうっとりとかぼちゃの馬車を見つめる。幼いころから挿絵やアニメでみてきたかぼちゃの馬車。今さっき、門から倉庫まで乗った馬車。それらの形を網羅して作られてのが、この「天翔けるかぼちゃの馬車」だ。
かぼちゃ型の馬車は、空を飛ぶことができる。簡単にいうと、ヘリコプターなのだ。
真沙美が乗る部分は、丸いかぼちゃ型。外側は真っ白。かぼちゃの前方、運転席ともいう部分は馬が二頭横に並んでついている。馬の内側が運転席で、馬の目の部分から前方が確認できる。
御者は、地上をゆく馬車を倉庫の裏側にいれて、「天翔けるかぼちゃの馬車」を倉庫から出した。
それから、真沙美のためにかぼちゃ型の部分の扉を開けてくれた。真沙美が上りにくそうにすると、すぐに台を持ってきてくれて手を添え乗るのを助けてくれる。
身分のあるプリンセスの扱いをしてもらっている、と、真沙美はうれしくなった。日頃なかなか完璧にエスコートしてもらえるチャンスは少ない。ここへくると、お姫様の扱いをしてもらう。
かぼちゃの馬車部分の内側は、えんじ色の落ち着いたソファ。テーブルの上には、「ようこそ黒田真沙美さま しばしの空中散歩にておくつろぎください」とメッセージカードとウエルカムドリンク。
ちょうど午後10時。予約した時間。
「では、これから1時間の空中散歩に参ります」
御者に、真沙美は深く頭を下げた。
「天翔けるかぼちゃの馬車」が夜空に浮かび上がる。
ヘリコプターのようであって、ヘリコプターよりも音が小さく、動きもゆったりとしている。揺れも少ないので、乗り心地はとてもいい。
夜空に、馬車が浮かんで飛んで行く。
窓の外は、夜景が広がっている。
下を向くと、遠くの街には灯りが星のごとく。
上を向くと、本当の星が。
星の一つ一つに物語があると思うと、心穏やかに見つめていられる。
南に見えるあの小さな星は、男の子がお母さんを恋しがっている涙。
北に見える星は、女の子が片思いの彼への想いが輝いたもの。
東にあらわれている星は、はなればなれになった二人が相手に知らせるために光らせているもの。
西のあの星は、単身赴任のお父さんが、家族に自分の無事を知らせる光。
こんな風に、星を見つめているだけで物語が想像できる。
星座の物語が正解かどうかなんてわからない。
ただ、今、星を見た真沙美がそんな風に想像したなら、それが正解。
想像するだけなら、自由。
わくわくしながら想像するって、自由。
がたん。
突然、馬車が揺れた。
「え? 何これ?」
馬車は明らかに下降していた。
まだ帰る時間でもないのに。
操縦している御者は、何も状況を言ってくれない。
どうなる。
どうなる。
どうしよう。
何もわからない。
何も想像できない。
こんなことって。
と、馬車が地上に着いた。
御者がドアを開けてくれる。
「1時間の空中散歩が終了しました」
時計を見ると、午後11時。
真沙美は、気持ちが落ち着いているのがわかった。
今日のところは、ストレス解消成功。
また、この馬車を予約しよう。
これで明日からまた、カウンセリングにも執筆にも、集中できる。
おしまい
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