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つくる系、非つくる系/じょにー・カド

朝6時過ぎ、メシの支度をしながらふと考える。 この世は、「つくる系」の人と、そうでない人とに分かれるのではないかと。
 「つくる系」とは文字通り、なにかを創作する人だ。 そして私は圧倒的に後者の「非つくる系」だ。毎日のこのご飯を「つくる」作業がしんどい。 毎食のメニューを考えるのが苦痛だし、かなりの回数つくったはずの料理も材料や手順がどうにも覚えられず、今日もまたネットのレシピを見てしまう。
 ネットに出ているレシピもそうだが、世の中は「つくる系」の人たちの成果で溢れている。 ごはんづくりの合間に聴く音楽も、家族を送り出したのちにちょっぴり一人で楽しむゲームやサブスクで見るアニメ、寝っ転がって読む小説も。
 本当は「つくる系」の人間になってみたかった。 小学生のころ漫画を描いてみたこともあったし、高校生のころ、音楽やってみようかなと思ったこともあった。 歴史小説を書いてみようと思ったこともあったが、資料集めの段階で挫折した。 いま、こうした分野で「プロ」としてやっている人たちの成果に触れるたび、「すげえ」という思いと、「どうしたらこうなれるんだろう」という妬ましさがいつも入り混じる。 ちなみにこのnoteの場を提供してくれたツバメroofの3人は、最強の「つくる系」である。 いつもなんかつくっているし、展開がいつも予測不能だ。 私は内心、めちゃくちゃ尊敬し、憧れている(面と向かっていうのは恥ずかしいので、ここに書いておく)。
 私が「つくる系」になれないのは、「失敗は嫌だな」とかの思いが先立ち、「つくる」ことそのものを楽しめていないからではないかと考える。 もともと食への関心も薄いせいか、日々の料理も、「食えれば良くね?」との気持ちから抜け出せない。 まあ、この年齢になってしまった私はもうどうにもなるまいが、気になるのはまだ12歳の息子も「非つくる系」であることだ。 学校の勉強はけっこうできるが、新たなものを「つくる」を感じたことがない。 宿題の絵もびっくりするぐらい下手で、やる気がない。 世界でどんどんステータスが低くなる日本の出身で、「つくる系」でもない若者がこの先、どれだけ未来をわたっていけるのか。 とか考えてこの原稿を書いていたら、もう夕方だ。 さあ、今日の晩メシはどうしよう。

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