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人生は「一次情報」によって彩られていく

ここ数年、直接人と話したり、実際に現地を訪れてみたりすることの価値が上がってきているように思う。上がっているよいうより、再認識といった方が正確かもしれない。

コロナ禍の間移動は制限され、リモートワークが推進され、「ステイホーム」な生活が推奨された。それに加え現代ではNetflixなど家にいながらにして楽しめるコンテンツも豊富であり、仕事や娯楽を家や近所で済ませることが経済的にも環境的にも、身体負担的にも「賢い」選択であるとされてきたように思う。

しかし、パンデミックが収束した現在は多くの人が旅行に出かけ、日本に数多くの外国人が押し寄せている状況を見ても、人は「ライブ感」を求めていることは明らかである。

自分自身も、現地に赴いたり、直接人と話したりといった「一次情報」や「ライブ感」の重要性や楽しさをひしひしと感じている。

昔は、会社の研修に組み込まれていた「工場見学」とか「現地視察」などはレクリエーションの一環くらいに思っていた。しかし、やはり業務を行う上でも、ビジネスやプロダクトが生まれて流通する課程を「目で見て」「体で感じて」知っているということは非常に重要であると感じている。これらの経験をしているのとしていないのとでは、その本人の発する言葉の重みが断然異なってくるのである。

旅行などでも、本やインターネットで得ることのできる「二次情報」と現地で得られる「一次情報」との間には雲泥の差があると言える。街の雰囲気や空気、匂い、音、賑わい、活気など、身体感覚をフルに使わないと得られない情報というのが真に価値のあるものであると最近改めて思うようになった。

また、仕事の楽しさはやはりリモートワークだけでは得られないのではないかと考えるようになった。たしかにそれは楽で便利ではある。しかし、仕事の楽しさというのは、業務に関係のない雑談や終業後の飲み会など、いわゆる「業務」の外にあるものによって形作られているのではないかと、約4年間のフルリモート業務の経験によって思うに至った。

たしかに「二次情報」はコスパやタイパがいいかもしれない。しかし人はコスパやタイパのためだけに生きているわけではない。それらを突き詰めた先にはなんにも残らないのではないのかと思う。

人生は「一次情報」によって鮮やかに彩られていくのだと思う。

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