法廷遊戯

本作の解は「誰かを愛し生きて行くことは
違う誰かを遠ざけること」だった


※当方これまでレビュー等も閲覧しているため、素晴らしい方々のレビューから気づきを与えられていることを注記する。いくつかを引用させていただく。
※敬称略


清義はピュアだ

冒頭シーン

セピア色。駅のホームのシーンから始まる冒頭。
所見では何を意味するシーンかわかりかねるだろう。
ホーム階が下で、改札階が上だ。
美鈴と佐久間悟が揉め、逃げる美鈴を追う佐久間悟。
それを後ろから見ている清義。

本作の主軸「無辜ゲーム」の提示

「無辜」という一般的には聞きなれない言葉を、清義がモノローグで説明。

法都大学の学生内で流行っているという「無辜ゲーム」。
戸塚純貴演じる藤方賢二が飲食物を取りに行った2分の間に、自らのスマートフォンが地面に落ち、液晶が割れていた。本件について藤方が無辜ゲーム開催を要請し、その場で被告人を訴えた。
原告が証拠品の提示、被疑者を指定し、その被疑者が有罪と認められれば被疑者が罰を受けるが、無罪であれば告訴した側が罰を受ける。
正式な法的手続きではないため「倫理観」などとすれば危ういが、
裁判の演習という名目は保たれる。

冒頭で簡単に、無辜ゲームが何か、その流れを聴衆に提示できるシーンである。
藤方は狂気だ。戸塚氏の演技の迫力も去ることながら、「テラス席の近くを通った」「自分を嫌っている」などの抽象的かつ憶測に基づく主張で「スマートフォンを落として割った」犯人を断罪しようとしている。
細かく言えば、「誰かが故意に落として割った」のか「通りかかった誰かの荷物が触れて落ちて割れた」のか、そもそも落ちただけでは割れず「落ちた後に誰かが踏んで割れた」のか。そもそも、藤方がテーブルの端に置いて離れたために不可抗力的ファクターが関係していた可能性もある。
その様々な要件を排除し「誰かが故意に落として割った」という持論に固執し、その動機を憶測で断定している。
エビデンスの提示は一つもなく、論理的な事実の提示もゼロだ。
これを見ると「狂気だな」「その主張には無理がある」と思うだろう。
だが、今の日本では全体的にこのようなことが横行しているのではないか。
主語を大きくすることはしたくないが、エビデンスなし・お気持ち・主観の憶測で他者の考えや動機を決めつけてさもそれが「事実」かのように報道する。日本のマスメディアやインフルエンサー、SNSの多くを具現化したものが「藤方賢二」なのではないか。

清義の過去と無辜ゲーム

下宿先の朝。グレーのトレーナーを着て歯を磨く清義。
前髪が下りていて、前髪の隙間から視線を投げている。
かわいい。かわいいしかない。
上着を着て階下に降り、大家さんが作ってくれたおにぎりを選ぶシーン。
※本旨から逸れるが、彼の人生で「選択ができる」シチュエーションが垣間見られる。
映画では清義の親についての描写はないが、幼少期から施設で育っていることから、一般家庭のような自由は少なかっただろう。児相が決めた施設で育ち、高校もその制限の中で通ったと思われる。弁護士を目指すため大学へ入り、司法試験を突破するための勉強(単位を落とさず進級)をしながら学費を払い続け、衣食住を自分で整えるのは非常に大変なことだ。親の仕送りもなくすべて自らで賄う。施設を出てからの居住にあの下宿先を選択したこと、そして大家さんが作るおにぎりは"2つ以上の選択肢から好きなものを選べる"というのは、清義によってとても貴重な経験だったのではないか。


奈倉教授に呼ばれて、「詳しくは分かりません」「すみません」と微笑みながら返答する声色は紛れもなくソーニャだった。

ソーニャ

自習室に帰ってくると空気が変わっていた。
清義の過去(喜多施設長を刺した)を暴くビラが撒かれていたからだ。

このとき、清義を見つめながら「ドンドンパッ」と机を叩く周囲の学生たちは、好奇の第三者だ。無辜ゲーム中、清義が反証に詰まった時も、足で地面を蹴りつけていた。
実際の当事者ではない第三者が、提示された情報を鵜呑みにして安全なところから石を投げる。自分が手を下すわけではないことをいいことに、このような周囲の空気や圧力が束になって、巨大化した悪意として当事者を襲うのだ。
悪質なのは誰がとどめを刺したかが見えないこと。
清義は喜多施設長を刃物で刺し、流血した証拠もあることから、「久我清義が凶器で刺した」と物理的に明白であり、久我清義を逮捕しその罪について裁くことができるが、メディアやSNSはじめ第三者の空気や悪意は目に見えずいつ誰が刺したのか明示できないが、確実に当人を蝕み、死に追いやれるということ。
また本旨から外れてしまったがそのようなことを考えるシーンであった。

誰がビラを撒いたのかを特定するための証人尋問に織本美鈴を選んだのは、美鈴なら確実にヒントをくれるという確信があったのだろう。

藤方を特定し、彼と二人のシーン。
藤方が「一つ聞いてもいいか」と清義に尋ねる。
藤方主導ではなく、藤方を操った人間がいると気付いているとは言え、
清義の表情は、このようなことをされても恨みや怒りを滲ませるのではなく、純粋に「なぁに?」と問いを待っている表情。
永瀬廉は本当に受けの芝居が巧いなと思いながら見入ってしまった。
清義はピュアなのだ。

上記で清義はピュアだと記述したが、
前髪を下ろしているロースクール生時代、ピュアさとそれ故の危うさや鋭さが特に感じ取れた。
・下宿で歯を磨きながら前髪の間から外を見ているときのアンニュイさをもつ目
・過去を暴くビラを見つけたときの怒ったような雰囲気
・無辜ゲーム会場でビラを証拠物として提示するときの怒りを内包する雰囲気
・美鈴の家を訪ねて美鈴に抱き着かれアイスピックや犯人への怒りを醸し出す雰囲気


美鈴の弁護準備と馨との向き合い

弁護人として美鈴の弁護準備のため、事件の調査・資料の精査を行いつつ、並行して清義個人として馨と向き合っていく。

ロースクールで「もし僕に何かあったら竜胆の花を持って父さんが入っている墓参りをしてほしい」という馨の保険が効いてくる。
あの時、自分のロッカーに突き立ててあったというナイフも、最後のゲームを仕掛けたときに凶器として準備したナイフも同じものだ。
ロースクールで開催していた「無辜ゲーム」も、清義の過去を暴き、美鈴を脅迫し、自作自演の脅迫、最後の「無辜ゲーム」もすべて馨の計画の内だ。馨の手の内で皆が転がされていたのだ。

  • 1度目の接見シーン
    「着替えを差し入れたよ。他に何か必要なものがあれば言って。」優しい清義。幼き頃、ドロップをあげ、草むらで寝転がっていた美鈴を迎えに来た頃の関係を彷彿とさせる。

  • 接見シーンの回想
    SDカードの中身を尋ねる。内容が不明では証拠としても提出できないというが、美鈴は沈黙を続ける。

  • 結城家の墓参りをしたが、馨の父親の名前が刻まれていないことに気づく。馨の実家に行き、伯母の話を聞きながら衝撃を受ける。
    伯母越しの佐久間家の家族写真はぼやけていた。だから、観客はその時点で、馨の両親について知ることはできないが、伯母を見れば否応なく視界に入る位置に家族写真が飾られている。清義が喋っている伯母を見ると必ず視界に入る位置に。
    次に映る清義の顔。
    そう、伯母の話を聞きながら、ちょうど目に入る位置にある家族写真を目にして、そこに写っている人物に驚愕していく。伯母の話で徐々に点と点が線で繋がっていき、馨の父親こそが、自分と美鈴が嵌めた人物だったことを知るのだ。
    最初からダイレクトに写真を見せるのではなく、清義の表情から"何に驚愕しているのか""伯母の話でゾワゾワと清義と美鈴の過去"を考え…そして写真を写して答え合わせ、という何とも言い難い情報の与え方、撮り方だと思った。そして、あの視覚と聴覚から与えられる情報でどんどん驚愕の色を濃く、怯えを濃くしていく様を表現した永瀬廉の演技に舌を巻いた。(お前は誰だ。何目線)

  • 2度目の接見シーン
    焦燥し生気を失った清義の表情。
    馨の父親が佐久間悟であったことを知っていたのか、佐久間悟が自殺したことを知っていたのか問い質す。
    黙秘している美鈴を問い質しつつも、やはり何もしゃべらないんだろうなと諦めの瞳だったが、美鈴が身を乗り出し口を開こうとする素振りで我に返る。
    「これは結城くんが最後に仕組んだゲーム。ゲームのプレイヤーはあなたなの」というのを取り零さないように受け取る。

  • 第二回公判前整理手続き
    清義、ボーっとしているわけではないが、色々ありすぎて焦燥。
    「それは検察側が立証することではないのですか」と清義、おこ。
    しかも、検察側は美鈴と佐久間悟の過去の事件のことに気づき、動機の主張を変更してきた。ここで出してきたのも、流石リーガルミステリーなのだと思った。起訴したら99.9%有罪。第一回公判前整理手続きのときに、清義に「そもそも殺害する動機がない」と反論された。弁護側の証拠提出は非常に不十分で状況証拠、物証で美鈴の有罪は決まりそうなものに思えるが、有罪を立証するために一分の隙もなく固めようと、片っ端から調べ動機についての主張も変更し補強してきた。

  • 3度目の接見シーン
    検察が美鈴と佐久間悟の件に気づいたことを話す。
    裁判の争点となり、美鈴の過去も法廷で明らかとなるため「美鈴、大丈夫?」と気遣う。
    接見のシーンでずっと無表情、堅くしていた美鈴の表情がここに来て徐々に徐々に柔らかくなり、ほほ笑みを浮かべる。
    この直後に、清義と美鈴の過去のシーンが入る。
    過去の回想シーンで色がついたのはこのシーンのみだ。美鈴が笑った大事な思い出。清義が唯一。

  • 第一回公判期日
    弁護人が被告人の過去の虚偽告訴を告発するというトンデモ展開。
    その後、接見室でなぜか晴れやかな顔で「過去の冤罪を暴露しようとしたら妨害されるかもしれないから今まで言えなかった。でも結城くんはお父さんの無実を証明しようとしている。だからSDカードを持ってきて」
    今までの堅い表情とは変わり、すっきりとした表情・声。
    それを聞く清義の表情は「美鈴、何を言っているんだろう…他人事みたいに…」と見えた。「結城くんのお父さんの名誉を回復できる」とニコニコしていた美鈴を冷めた目で見ていたのが印象的。

  • 第二回公判期日
    佐沼の証言と場外乱闘。
    清義が言った「面白いものをお見せしましょう」の「面白いもの」が何か気になっていた。あれは、法廷での裁判員裁判のことではないのか。佐沼のような斜に構え、茶化し野次を入れ、相手を揶揄って楽しむことに遊興を見出す佐沼にとって、真面目に取り組む裁判官、検察、裁判員、裁判そのものが「面白いもの」「滑稽なもの」と思うとみて、出廷させたのではないだろうか。(見当違いかもしれないが)

  • (第二回公判期日の前か後か記憶が不明瞭だが)佐久間家の墓参り。
    そこでUSBメモリを見つけ、中身を確認する。
    佐久間悟の同僚であった警官を尋ねる。
    公判を持たせ、依頼人の利益のため弁護方針を練りながらも、馨と佐久間悟との向き合いを続けている。

  • 第三回公判期日
    SDカードの内容が明らかになり佐久間悟の冤罪と美鈴の無実が証明される。


「美鈴、一緒に行かないか。抜け出そう、こんな世界」

美鈴の世界には清義しか居なかった。

他者を介在せず清義との二人の世界を生きる美鈴。
治安の悪い地区で、寂れたアパートに住む美鈴。
「清義さえいれば、他は何もいらない」を体現するような最低限の生活環境だ。

一方、清義の部屋は「沖縄旅行土産です」「久我先生へ。いつも優しく教えてくれてありがとうございます」など家庭教師先の生徒からの手紙を大切に留め、整っている上に箒を立てかけてあることから小綺麗にしている様子も伺える。大家さんから朝のおにぎりや夕食の提供を受け、寝ぐせを直してもらう。
「おはようございます」「いってきます」と挨拶を交わす他者が清義にはいる。
ロースクールでは友人として馨がいる。

自分と清義だけの世界で生きてきた美鈴と異なり、清義には他者との繋がり、外の世界があった。
美鈴のように遮断することもできたはずだが、住まいについては他の住人や大家とのかかわり、バイトでは生徒とのかかわり、大学では友人を作るなど、自ら人と関わり外の世界の関係をつくることを自ら選んだのだ。
おそらく、この清義の人柄、考え方が、馨自身、自分と馨との関係、先の人生を大きく変えたのだろう。


養護施設で初めってあった日「ドロップ食べる?」とドロップを渡す。
草むらに寝そべって空を見ているときに現れて、「大丈夫?死んでるのかと思った。(中略) ご飯の時間だよ」と迎えに来る。
喜多施設長から辱めを受けていた自分を、自ら罪を犯しても救い出してくれた清義。そして、その清義を守るために動く。
周りの大人を信用できず、自分とお互いのみの共依存関係。
美鈴の元々の地頭の良さや、年齢以上に諦めを覚えたところはあれど、「清義と生きるため」にロースクールに入り法を学び弁護士となった。
ある意味、美鈴の清義への執着、執念の強さに戦慄するほどだ。
おそらく清義が弁護士ではなく、他のことを提案したのであればそれに着いて行っただろう。

理不尽な世の中で生きていくために法を志した清義と
清義とともに在りたいがために法を志した美鈴。

そのため、馨と法律論や法整備についてディベートを交わす清義と、美鈴では相容れない部分ができただろう。美鈴は成績は優秀だったと思われるが、馨と清義との会話には入れなかったのではないか。ロースクール生時代、二人は繋がり・関係を隠し、ただの同級生として振舞ってはいた。だから会話に入れなかったということを抜きにしても、"志からの熱い論議"へは入れなかったのではないか。アイスピックが刺さっているシーンから、ロースクール外では清義がアポなしで美鈴の家を訪ねていたことがわかる。そのように二人で会っていたとしても、馨と清義のような法についての議論をする様子は想像できないと思った。

美鈴には清義のような"法律家"としての志や信念はなかったのではないか。
ラストシーン、美鈴と清義の対比でもあるが、実際ロースクールで馨と清義の関係を見ていた美鈴はあのポジションだ。自分が清義の世界の外野。清義の瞳に映り、優しいほほ笑みを投げ、語らっているのは馨。自分と清義の世界だったのに、そこに外野が加わった。それどころか自分が清義の世界の外のよう。かなりの嫉妬が生まれたのではないか。

馨に「美鈴が打ち合わせ通りに演じなくても保険を掛けている。そのときは、君が一番望まない方法で君の無実が証明される」。
ある意味、馨から投げられた挑戦へ、美鈴は人生をかけたのではないか。
清義のためなら、清義と二人で生きていくためなら他には何もいらない。清義と美鈴の二人の世界を取り戻すために。自分は清義を守るし、そこまでやって守った自分を清義は見捨てない。清義を自分に取り戻すための「ゲーム」。悲しいかな、それに負けたのだ。


「誰かを愛し生きて行くことは
違う誰かを遠ざけること」

判決前の美鈴との接見室でのシーン。
弁護士バッジを外した清義はスキッとした表情をしていた。
入ってきた美鈴は、外れされた弁護士バッジですべてを悟ったようだ。

裁判を開くためには、馨が死ぬ必要はなかったことを指摘する清義。
美鈴が裏切り、死に至らしめたため馨は死んだ。
佐久間悟の冤罪を明らかにする再審請求ができるのは、本人か親族か検察。美鈴の読み通り、検察は過去の過ちを認めたくないため積極的に再審請求はしないだろう。本人は亡くなっているため、結城馨のみだ。
結城馨を生かしておけば、清義が犯した傷害事件も明るみになる。
だから、清義を守るために馨を殺したのだ。

大事な美鈴が自分を守るために、これもまた清義にとって大事な友人である馨を手にかけた。
施設長を刺し(殺人未遂)、佐久間悟を落とし(傷害)と、暴力で美鈴を守ってきたことが、結城馨を殺し(殺人)美鈴も清義を暴力で守るという形で返ってきてしまったのだ。

釘宮弁護人に「どんな理由があれこの国で暴力を振るったら罪になる。この先生きていく上で不平等なこと、理不尽なことに遭った時に君を助けるのは暴力ではなく知識だ。知識を身につけなさい」(趣旨)と言われ、法を学び知識をつけたが、その前に自分が犯したことで美鈴も馨も守れなかったことに気づく。


繰り返すようだが、美鈴は清義さえいればいい。二人で生きていく。
それが顕著に現れたのが「弁護士辞めてどうするの。もう結城くんもお父さんもいないのに」という言葉だ。

この言葉を聞いて、清義はUSBメモリを仕舞い、席を立つ。
その前の会話では確か「馨が残してくれた日記、美鈴も読む?」と尋ねていた。清義は、美鈴にも一緒に罪と向き合うことで、共に生きてほしかったのだ。馨が日記を託した意味、家族の記憶を残した意味を考え、罪に向き合ってリスタートさせる。それが、今生きている自分たちの償いだと。
馨の殺害容疑についての裁判は結審して判決は変わらない。もう馨を殺害した(止めを刺した)美鈴が罰を負うことはないから、真実を話して一緒に向き合ってほしいという清義の優しさと願いだ。
だが、美鈴はそれを否定した。
美鈴は自分が罪を負ってでも清義を守りたいのだから、同意するはずがないのだが。

馨の想い、それを受け取った清義の想いは美鈴には伝わらないことを感じ、ある種の諦めのような表情を感じた。

美鈴が清義を愛し生きていくことは、馨の想いや佐久間悟を遠ざけること。
清義が罪を向き合うということは、美鈴とは道を違えること。
美鈴と取り合っていた手を外し、馨の想いを背負っていくということ。

主題歌「愛し生きること」のMVが解禁されたとき、この歌詞の部分が強烈に惹きつけられ、でもMVの世界観とはどこか合わない感覚を覚えゾワゾワしたのが、ここまで本映画の解となるとは思わなかった。
しかも、永瀬廉の歌唱パートである。


清義が出て行ったときに美鈴が絶叫していたシーン。
なぜ上を見ているのか気になっていたが、以下の考察が興味深く、ストンと胸に落ちた。


清義を救った「法律論」と美鈴を救えなかった「正しい」「綺麗事」などの「感情論」

社会の隙間から零れ落ちた子どもたち

親に棄てられ、施設では施設長に性的虐待をされ、通学中には痴漢に遭った美鈴。
清義は「特待生」と呼ばれていることから、学費免除などの措置があるのだろう。だが、原作では「施設出身者は連帯保証人になる人がいないため通常の奨学金を借りることが難しい。給付型も多少あるが、額が少ない」という記述があった。清義も美鈴も親や身寄りがいない境遇ながら、通常享受できる社会福祉の仕組みからも取り零されたのだろう。

「親御さんが悲しむよ」「大丈夫。君ならやり直せる」

これらは佐久間悟が駅で美鈴にかけた言葉だ。
「正しく」はあるが「優しく」はない。むしろ「残酷」だ。

美鈴には悲しむ親がいないどころか、実の親にネグレクトされ蛆虫が身体を這っている中、一人きりで助けを求めることもできなかったのだから。
それに、施設では施設長に裸の写真を撮られていた。
他の職員が気づかなかったのか、気づいていても「見て見ぬふり」をしていたのかはわからない。人に言い難いことであるし、大人に言ってもどうしようもない、施設長に伝わって逆恨みされるかもしれないと、美鈴が清義に言ったように逃げること、抵抗することを「諦めていた」のだろう。

このバックグラウンドがあると「何が"大丈夫"だよ!?綺麗事言わないでよ。何も知らないくせに!! 」「何もかも奪ったのは大人たちなのに」「見て見ぬふりして」「大人の犠牲者にされてきて、やり直せないところまで追いつめたくせに何が」と怒りの感情になるのに、とても共感できる。


この方も考察しているとおり、「大丈夫」という言葉は、
清義からのお守りのような言葉だったんだろうと思う。

本作中で美鈴に「大丈夫」と声をかけたのは、おそらく以下の4シーンだったかと思う。※佐久間悟を除く
・蛆虫を這う身体を抱きかかえて助け出した児相(おそらく)の職員。
・幼い日、草むらで寝転がっている美鈴を迎えに来た清義。
 「大丈夫?死んでるのかと思った」
・佐沼からラーメンをかけられ、美鈴を庇ったとき。
 「大丈夫か?」
・清義が接見室で、過去の虚偽告訴が裁判の争点となり、美鈴の罪も明らかになることを伝えたとき。
「美鈴、大丈夫?」
※「3度目の接見シーン」でも触れたが、この「大丈夫」の後、徐々に柔らかくなり、ほほ笑みを浮かべ、清義と美鈴の過去のシーンが入ることからも、美鈴にとって大事な言葉だったことがわかる。

児相職員が「大丈夫」と言ったことについて、「普通そう言うだろうね」となる部分はあれど、実際にネグレクト・蛆虫から救ったのは事実だ。
初対面のときに清義がドロップくれ、その後も美鈴にとって清義が物理的にも精神的にも実際に助けてくれ、安心を与えてくれる存在になっていた。
施設長から助けてくれたのも、佐久間悟と揉めたときも、美鈴を助けたのは「大人」ではなく「清義」だ。

また、施設長に写真を撮られるのに部屋に連れて行かれるとき、腕を掴まれていた。佐久間悟にも電車内と階段で腕を掴まれ、余計「何もかも奪ってきた大人」への怒りや憎しみが倍増したのではないだろうか。


「君を助けるのは知識だ。知識を身につけなさい」

対して、少年鑑別所で釘宮弁護人に清義が言われたことは
「どんな理由があれこの国で暴力を振るったら犯罪者になる。この先生きていく上で不平等なこと、理不尽なことに遭った時に君を助けるのは暴力ではなく知識だ。知識を身につけなさい」(趣旨)ということ。

釘宮弁護士のこの言葉が清義を法律を学び弁護士を目指させることになる。
「大丈夫だ」「変われる」など安易な言葉を出さない代わりに、清義の考え方・やり方への問題点を指摘しつつ理不尽な目に合う中でどのように生きていくかを具体的に提示した。

美鈴が被害に遭っていたからそれを守るためという理由付けはあっても、自分に降りかかった被害ではなく、相手が凶器を持っていないのに清義が凶器を持って対峙すれば武器対等の原則上正当防衛は成立しない。
刺す意思があって刺したのか、止めさせようと争い揉みっているうちに刺してしまったのか、映画では描かれていないため、明確には不明だ。
ただ、回想シーンの清義の息遣いや表情から進んで刺したわけではなく、刃物を持っていることで怯ませ、ネガなど証拠に止めさせようとしていたが、あの施設長なら、「子どもがそんなことできないだろう」とでも煽って、結果不可抗力で刺してしまったという線が濃さそうだと思った。

善悪や倫理、綺麗事ではなく、法律論を語り、具体的にどうしていくのかと伝えた。原作では、清義が法律に興味を示し「君の更生に繋がるのであれば」と面会のたびに法律論を聞いていた。
庇護し養育してくれる親がおらず、頼れる大人がいない、いわば自分一人で理不尽な社会で大人相手に闘って生きていかざるを得ない子どもに必要だったことではないだろうか。もちろん道徳や倫理は必要だ。だが、大人に搾取され、大人を信用して良かった経験がない状態の清義にそれを説いても素直に受け取れないだろう。
その意味では感情論ではなく、「法治国家で正しく強く生き抜く」にはどうすればよいのかを説いたのは、清義にとって大きなターニングポイントだったろう。


馨の「同害報復」はどこまでか

佐久間悟は自信の無実を主張しても警察もマスコミにも聞いてもらえなかった。清義に落とされ、麻痺が残る身体となり、マスコミに追われ、実刑を宣告され、自殺した。
亡き妻の姉の家にもマスコミが押し掛けてきたと話していた。
父親という一番大切な人を奪われたことを「同害報復」とするなら、美鈴の一番大切な人=清義を奪うという復讐なのか。
清義は時効がまだ来ていないため法が裁くと言っていた。
法を学び、法制度を研究し、悲しみや辛さを法と司法制度へぶつけようとしていた歩みから、「私刑」ではなく「法に基づいて」清義を裁こうとしたことは理解できる。ただ、それだけなのだろうか。清義が自首し法で裁かれれば、父と同じようにマスコミはセンセーショナルに取り上げ、週刊誌も追い回す。清義が施設にいたこと、施設長を刺して逮捕されたことも、関係者である美鈴の生い立ち、虚偽告訴含め、すべて赤裸々に書かれるだろう。暴かれるだけでなく、誇張、歪曲、噂、憶測、妄想。それも込みの「同害報復」か。
そう考えると、もし自分が馨だったら、清義が父と同じように死を選ぶかもしれない、とも考えてしまう。もちろん、冤罪の佐久間悟の悲劇とある意味罪を犯した清義を同列に語ることはナンセンスだ。ただ、過ちを犯した人間は、ただ黙って殴られ続けていろ、一線を越えた中傷など、全く法に基づかない集団リンチ=私刑を甘んじて受けろということなのか。それは違う。
馨もロースクール時代の関わりを通して、清義の人柄を知り、友としての情があったと思う。憎しみに食いつくされた人間ではないと思った。
父へ行ったことへの「同害報復」、そのために清義と美鈴に近づいたのは間違いない。ただ、清義と接するうちに彼の人柄や法を志す者としてのフィーリングなどで情が芽生えたのではないか。だから「友」として、彼に罪に向き合い、その上で生きて行ってほしかったのではないだろうか。ある意味、清義が罪に向き合い、その上で生きていく人間だと賭け、自分の想いを命がけで託したのではないか。
そのためには、彼の中の真っ直ぐさ、正義感を育てる必要があった。※後述するが、それまでの清義のままでは不足なのだ。

舞台について

美鈴は"下"に居続け、清義と馨は"上"へのぼっていく。

階段含め高さの変更が、本作でかなり意味を持っていると思う。

  • 無辜ゲーム
    原作は大学の模擬法廷で無辜ゲームを開催している。そのため、結城馨は裁判官の位置に座している=一番高い位置だ。告訴人、被告人、傍聴者全員を見下ろしている。だが、映画では洞窟の中。皆、地面に立っていて、高さは同じ。
    映像化するにあたり、駅のホームの階段、ロースクールの階段と上下していることから、この無辜ゲームの登場人物の位置も意識されているのではないか。

  • 駅のホームのシーン
    ホームであれば、ホーム階を上、改札階を下とすることもできるが、今作はホーム階が下で改札階が上。下へ降りようとして転落したわけではない。上へ登ろうとして、その途中で転落。
    美鈴と清義は下にいた。下から這い上がって上に行こうと。その過程で過ちを犯した二人。その罪への向き合い方により、美鈴は下で這い上がれず、清義は上へと昇っていく。対比だと思った。
    馨は?
    駅のホームでは、上にいた。メインの登場人物では一番高い位置。
    だから「父が冤罪であったことを知っていた」のだ。その現場にいて目撃していたから。

  • ラストの馨と清義が階段を上るシーン
    「同外報復」は寛容の論理、赦すためと言う馨なら、罪に向き合った清義の手を取り一緒に上がっていこうとする心情なのか。
    位置を考えるとそう思ったりもするが、馨については無数の解釈ができる。難しい。わからない。

喜多施設長を刺した時期と、
駅のホームで佐久間悟を引っ張った時期

ホームで佐久間悟を落とした件と、喜多施設長を刺した件の時系列を考えていた。
原作では喜多施設長を刺した後、清義はこころホームから別の施設に移った。映画ではそのあたりは描かれていないが、ホームが先でも施設長が先でもどちらの可能性もある。別の施設に移ったとして、同じ市内であれば、学校への行き来などある程度かぶる可能性もあるし、当時の彼らはできる限り行動を共にしていただろう。
最初、施設長を刺したのが先であれば、釘宮弁護士の話で知識をつけ、法を学ぼうとしているから、施設長を刺したのが後なのではないかと考えた。
法を志したのに虚偽告訴や傷害を起こすだろうかと思ったからだ。
だが、今は違う。個人的には、清義が施設長を刺し少年鑑別所へ留置され、その中で釘宮弁護人との話で将来どうするかを考える。
こんな世界を抜け出すため、這い上がるため知識をつけようと。
でも、一朝一夕で人は変われない。
法を志したところで、施設出身の二人はどうやって大学のお金を工面するのだろう。清義は「特待生」と呼ばれていたことから、学費免除などの制度を利用できたのだろう。美鈴はどうだろう。学費、生活費の工面、施設を出て住むところを用意する。二人ともとても金が必要だっただろう。
ちょうどそんなときに、本当に美鈴が痴漢に遭った。慌てて「内緒にしてほしい」と金を握らされた。「あ、そう。そういう汚い大人を利用して生きてやる」「生きるためにはまず金が必要」「美鈴と抜け出すため、二人で」「佐久間と揉み合っている美鈴をそのままにはできない。一蓮托生」という心情だったのではないかと思っている。

あの瞬間を階段の上からすべて見ていた馨は、清義と美鈴の過去も調べている。どのような時系列だったか正確に知っているだろう。
そうすると、馨の保険を効かせるには清義の存在が鍵である。
清義に馨の日記を託したとて、その想いや心が伝わらなければ、彼の決断に影響を与えなければ何の意味もない。そのために、ロースクールでディベートし自分の存在を清義に大きく植え付けたのだ。
実際、清義は馨を親友とし、竜胆を携えて父の墓参りをした。裁判中、夢で馨の姿を見てさえいる。
父の汚名を雪ぎ、「佐久間馨」として久我清義に罪を償わせる「同害報復」。
「友」として罪に向き合い、過去の過ちを償った上で彼の人生を歩んでほしいという願い。
清義には馨の家族や過去の記憶を託し、その想いもろとも背負って生きて行ってもらう。
様々な感情があると思うが、清義への重い思い、それが美鈴への最大の復讐となろう。恐ろしい。だから、ラストシーンはBLのような雰囲気でという監督の演出があったのだろうか。(だって、あのタンブラー馨も清義もそのまま飲んでたよね)(趣旨違う)

役者陣の髪型

──北村さんの髪型がいつもと雰囲気が違いますね。
北村くんから「髪を上げてみようかと思います」と言ってきたのです。僕のイメージでは北村くんも永瀬くんと同じように、陰と陽でいえば陰のイメージがある俳優さん。ちょっと似たような印象を与えてしまうかなとクランクインする前に思っていたので、いいのでないかと思いました。
馨は人より先のことを考えていて、同級生から一目置かれる存在。頭も家柄もよさそうで、付け入る隙がない感じ。そういう押し出しの子なので、前髪の間から世界を見るのではなく、一歩進んだ凛々しさを表してみました。

スクリーン オンライン

馨・・・前髪を上げ、達観し自らの目的のため生きる。
清義・・・学生時代は短く、ロースクール時代は前髪の隙間から世間を見ているよう。弁護士になって前髪をセンターで分け、前を向いている。
美鈴・・・ロースクール時代は前髪を下ろし傷を隠している。弁護士(被告人)になってからは、分け目をつくり階段から落ちたときの傷が見える。わざと傷を清義に見せて、一蓮托生、忘れないで、としていたのか。

予告と本編のギャップ

レビューに「予告と本編のギャップ」や「予告詐欺」などと書かれているものもあるようだ。予告を見る限り、「冤罪や無辜について重く訴えかける」イメージというより、学生の間のゲームの延長戦の話をとれるだろう。
本編は重いテーマ、人間ドラマでありながら、このような予告展開をしたのはなぜだろうと思った。あくまで個人的な想像だが、ネットニュースなどで見出しと内容が一致しておらず、見出しで食いつかせてPV数を稼ぎたい「見出し詐欺」が横行している昨今の逆風刺としているなら面白いと思った。


主題歌「愛し生きること」と映画の世界のリンク

作中の画角とは異なるが
佐久間悟、母、佐久間馨の3人が見た朝日
(西湖津原キャンプ場公式HPより)
愛し生きること 初回限定盤A
愛し生きること 初回限定盤B

映画は西湖津原キャンプ場がロケ地で、ジャケ写は河口湖と言っているので、ロケ地自体は異なるが、背景の画角からリンクさせていることが伺える。佐久間家が見た朝日と、朝日側からこちらを見つけるKing & Prince。
大家さんが飼っている「ベタ」と二人の間の水槽にいるベタ。


髙橋海人が各種雑誌などで試写、そして映画館でも見てくれたこと、感想、King & Princeとして主題歌の位置づけて作品に寄与すること、そのためのこだわりを話してくれてとても嬉しかった。

初めて見たときは救いがないような思いになったところ、エンドロールの主題歌で救われた。最初からユニゾンではなく、永瀬廉→髙橋海人とソロで映画に寄り添い、力強い歌声で気持ちが浄化され掬い取られるようだった。そこからのユニゾン。ラストの永瀬廉の「生きていくこと」で、主題歌も含めて映画が完結したと思えた。

髙橋海人が相方の映画を見た感想で、「廉のこんな顔初めて見た!!」と言ってネタバレしないように顔の真似(◎o◎)をしたシーンはどれか。
・美鈴の部屋の前でアイスピックが突き刺さっているのを見たとき
・結城馨が倒れているのを確認した後、美鈴が奥から声を掛けてきたとき
・結城馨の伯母の家で佐久間悟の写真を見たとき
私が思う一番の(◎o◎)は結城馨の伯母の家で佐久間悟の写真を見たときの表情だ。たしかに、あの驚き様、怯えようは初めて見た。まるでゾンビか亡霊でも見たようだ。瞳だけでなく、頬や唇、気道、息遣い含め驚き怯えていた。


興味深い感想・考察

この方の感想のうち特に以下のポストを読むと「胃がねじきれそう」だった。



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