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感想文『満州とアッツの将軍 樋口季一郎 指揮官の決断』

『満州とアッツの将軍 樋口季一郎 指揮官の決断』
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樋口季一郎はアッツ島の戦いで、部下2638名を戦死させた罪の意識により、発狂や自殺をしてもおかしくなかったと思う。(日露戦争後に秋山真之が発狂したことを思い出した。)だが彼は、アッツ島放棄の交換条件として、キスカ島の即時撤退を日本軍と交渉して認めさせ、さらなる戦死者を出すことを未然に防ぎ、敗戦後もソ連軍と戦い抜いた。
 彼の精神力はどこから来ているのか。次の二点を考察した。

 第一に「決断力」である。
 本書は樋口の伝記だが、タイトルは『樋口季一郎の一生』でなく『指揮官の決断』。そのことからも、決断力の重要さが本書の主題だと分かる。
 樋口は幼少時代に両親の離婚を経験したものの、結婚後は温かい家庭に恵まれていた。だからこそ、自分の部下一人一人が誰かの大切な父であり息子であると、自らのことのように理解していたに違いない。アッツ島が日本軍に放棄された時、大切な部下達を見殺しにせざるを得ないと悟り、指揮官として胸が張り裂けそうな思いだっただろう。
 だが彼は「部下の死を決して無駄にしない。彼らや家族の痛みを背負って生き抜こう」と「断固たる決断」をしたのだと思う。状況が日本軍に不利になろうとも、自暴自棄にならず、自ら玉砕して「負けて華々しく散る」道も選ばず、被害を最小限に抑えるため冷静に判断を下せたのは、決断が彼の精神を支えたからだと思う。

 樋口と対照的なのが東条英機である。樋口は東條を「善、且つ愚」と評価する。これは樋口が「参謀長、ヒットラーのお先棒を担いで弱い者いじめ(ユダヤ人迫害)をすることを正しいと思われますか」と言い放った際、東條が樋口の話に耳を傾け、懲罰を科さなかったエピソードに良く表れている。
 東條には自分の断固たる信念が感じられない。もし彼が、ヒトラーと協力して戦争に何が何でも勝つつもりだったなら、ドイツの抗議書を受けて、ユダヤ人を救った樋口を厳重に処罰しただろう。逆に、人道的にユダヤ人迫害に賛成できないなら、ヒトラーを「内政干渉するな」と突っぱねただろう。東條はどちらでもなく、ヒトラーにも樋口にも「良い顔」をした。一見「優しくて良い人」だが、確固たる自分がないため、目まぐるしく変わる歴史や環境の変化に流され、良いように使われ、最後はA級戦犯として処刑された。「良い人」なだけでは駄目で、「決断力」を併せ持たなければ生き残れないことが分かる。

 戦争のない現代の日本にも、人生の局面やビジネスで「決断力」を要求される場面は多々ある。私が樋口の生き方から学んだのは「自分で決める」行為の重みである。決めたことを実際に守れたか、どの程度完遂できたかはそれほど重要でなく、むしろ「決断したことを意識して生き抜く」ことが、周りの状況に流されぬブレない自分を作るのだろう。(余談だが、私が子供の頃「元旦に新年の目標を言わなければ、両親からお年玉をもらえない」という家訓があった。日本全国、全ての家庭の常識だと思っていたら、私の家の独自のルールだと大人になってから判明した。私は「今年は数学の成績を上げます!」と毎年元旦に高らかに宣言したことからも分かるように、決断した目標を年内に全て達成したか?と問われると必ずしもそうではない。だが、家族の前で宣言した決断は今でもよく覚えており、それは年間を通して自分を支えた。あの我が家の習慣には意味があったと、今頃わかって両親に感謝した。)

 樋口の精神を支えた第二の要素に「救われた感謝」があると思う。
 人から親切にされ救われた時、私達は感謝の念を持つ。(中にはそれを忘れる薄情者もいるだろうが。)それは一生その人を支える糧となり、後の人生を大きく動かす。オトポール事件後、ハルビンから旅立つ樋口を見送りに来た群衆のほとんどが、樋口に救われたユダヤ人達だったという。彼らは敗戦後、スパイ容疑でKGMに捕われそうになった樋口の救出運動を起こし、アメリカ国防総省まで動かして樋口を救った。数年たっても忘れぬ「恩」は、人々を結束させ、歴史さえ大きく動かす。

 本書に詳しく書かれていないが、樋口もまた「自分は救われた」という強い思いを持ち続けたのだと思う。彼を救ったのが、若い頃から入信していた法華経の仏か、海外駐在中に親切にしてくれたユダヤ人か、あるいは日本国内外で世話になった家族や友人達か、詳細はわからない(あるいは全てかもしれない)。

 とはいえ、キリスト教徒の杉原千畝が
「私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」
の有名な言葉を残したように、樋口もまた
「自分も救われた。だから自分も人を救う。でなければ私を救ってくれた存在に背く」
という強い信念を持っていたと推察する。その信念がユダヤ人を救い、アッツ島玉砕の悲しみに押し潰されずに次の行動に切り替え、これ以上の犠牲を出さぬよう戦う道に、彼をつき動かしたのだろう。

 樋口の言葉「世の中には絶対の善も絶対の悪もない」は、多くの知恵を教えてくれる。
 戦前の日本陸軍の青年将校達が好んで用いた言葉「大善」と「小善」ほど、危険な思想はない。これは「日本の勝利という大きな目的(=大善)達成のためなら、多少の犠牲(小善)は仕方ない」の思想のもと、多くの若者達を特攻隊として死に追いやった思想そのものである。
 絶対的な悪と俗に言われるナチスは、ジェット機やロケット、現代の福祉や源泉徴収制度などの優れた発明を残した。善と悪は同じものの内部に共存する。誰もが自分を善と信じて行動し、中には自分の主義が悪だと途中で気付きつつ、歯止めが効かなくなって自滅する者もいる(ヒトラーも自殺した)。

 自分には弱さも失敗もあると認めつつ、晩年、自室にアッツ島の風景画を飾り、毎日アッツ島で失われた兵士達を思い、それでも、より良い生き方を目指して最期まで生き抜いた樋口。彼のように、戦時中に多大なる苦労をされた人達のお蔭で、今の私達の平和があることを感謝すると共に、どんな状況に置かれても、周りに流されず、小さい決断・大きな決断を積み重ね、確固たる自分を持って生き抜こうと、気持ちを新たにした。

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