「変わり者メルヘン」第11話

 魔女は骨ばった長い指を三本立てました。

「まず一つめ。好いた男を刺し殺すのがいちばん手っ取り早い。

この方法なら、あんたはまた人魚姫に戻れる。城の連中にはこってり絞られるけどね」

 ――王子を刺すなんて……。

 人魚姫は呆然としました。

 ――できないわ。私の好きな人ですもの。

「その好きな人のおかげであんたはこんな厄介な状況になってるんじゃないか」

 ――お願い! 私の声を返して!

「返す? 人聞きの悪いことをお言いでないよ。まるであたしが、あんたから不当に声を奪ったみたいじゃないか」

 魔女はにたりと笑いました。

「あたしたちは正当な『交換』をしたんだろう?」

 人魚姫の目から涙がこぼれます。そうです、とっさに魔女のせいにしたものの、本当は痛いほどわかっていました。

自分にないものをほしがり、自分のいちばん大切なものを気安く手放したのは、他ならぬ人魚姫自身です。

 ――お願いします。いただいた足はお返ししますから、私の声を返して。

「それはできんね」

 魔女はゆっくりと首を振り、煙草に火をつけました。

「だってそうだろ? あんたにとって人間の足はもうお荷物でしかない。

こないだは、あんたの持ちものとあんたのほしいものの価値が釣り合っていた。だから交換が成り立ったんだ。

さんざん使って飽きたものをただで引き取るほど、あたしはお人よしじゃない。それにだ」

 魔女は煙草の煙を吐きました。

「もう物語は引き返せないところまできている。

あんたがあたしの店を訪れた瞬間から――いや、もっと前かねぇ。あんたが王子を助けたところか、あるいは……そんなことはこのあたしにもわからない。

物語ってのは誰も気づかないうちに歯車を回し始めるのさ。誰が泣いても笑っても歯車は回り続ける。

そう、この物語は死を望んでいる。王子かあんた、どちらか一つの死だ」

 人魚姫は背筋が凍りました。私の死?

「王子を殺せないなら仕方ない。代わりにあんたの命を捧げるしかないよ。

海に飛び込みな。すると、あんたは海の泡となって消える。それだけさ」

 人魚姫はさめざめと泣きました。魔女はその姿をじっと眺めていました。

「しかし……何かを失えば何かを得るというのは本当だ。人の話は最後までお聞き。

あんたはまた声と交換できるものができた」

 このときばかりは人魚姫も泣き止み、すぐに尋ねました。

 ――何と交換できるの?

「その涙さ」

 人魚姫は頬に手を当てました。冷たく濡れてパリパリとしています。

「あんた、人魚姫だった頃に涙を流した覚えがあるかい?」

 言われて気づきました。人魚姫はほとんど泣いたことがなかったのです。こんなに毎日哀しいのは、人間の娘になってからのことです。

「あんたの哀しみはとてもとても深かった。だからこんなに涙が美しいんだ。

あんたも聞いたことがあるだろう。人魚の涙は高く売れる。あんたの耳飾りのそれさ。美しい真珠になるからね」

 人魚姫を見つめる魔女はもう笑っていません。その目には哀れみが浮かんでいます。

「陸にいるのはつらいかい?」

 人魚姫は頷きました。

「あたしが海の底に帰してやってもいい。ただし、人魚姫としてじゃない。

これが三つめの方法だ。あんたが王子を殺さなくても人魚の城とつながりを持てる、唯一の方法。

それは涙の真珠作りになることだ」

 紫の空に一番星がのぼる頃、人魚姫は西の塔の窓辺にいました。

人気のない塔の窓から下を覗くと、海の水面が見えます。夢の中での約束通り、六番目のお姉さんは現れました。

久しぶりに見るお姉さんはげっそりとやせていました。人魚姫は胸が痛みました。

「時間がないの。小言はあとよ。今日あんたを呼んだのは、これを渡すため」

 そう言って、お姉さんは何かを投げました。人魚姫は両手で受け取りました。

ずっしりと重いそれは、鞘に収まったナイフです。

「それで王子を刺すの。今夜よ。明日、またここに迎えにくるわ」

 ――お姉さん。

 妹の口が見慣れた形に動くのを見て、お姉さんは首をかしげました。

「なに?」

 人魚姫は微笑み、ゆっくりと唇を動かしました。

 ――ありがとう。

 その笑みに、お姉さんは胸がざわめきました。まるで妹がどこか遠くに行ってしまうような気がしたからです。

ナイフのお礼ではなく、まるで別れの言葉のような――その不吉な考えを振り払うため、お姉さんは明るく笑いました。

「何言ってんのよ。また海の底で楽しくやりましょ」

 人魚姫は哀しげな瞳を伏せたまま、もう何も言いませんでした。

 翌日、お姉さんは自分の予感が当たったことを知りました。

 人魚姫は塔の窓から姿を見せ、ナイフを掲げました。

ナイフは赤い血で染まっているはずでした。染まっていなければならなかったのです。

しかし、ナイフは銀色の冴えた輝きを放っています。

 人魚姫は窓から身を投げました。お姉さんは声にならない悲鳴を上げました。

 人魚姫の体はまっすぐ海へ落ち、海面に触れた頭からしゅわしゅわと溶け、海の泡になりました。

お姉さんが窓の下に辿り着いた頃には人魚姫はどこにもいませんでした。

寄せては返す波は、海の泡の名残りさえ残してはくれません。

 ……きっとここまでが、誰もが知っている人魚姫の物語。

でも、この世界の人魚姫は泡となって消えてはいませんでした。


第12話↓


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