「変わり者メルヘン」第14話

 誰かの視線を感じて、真珠作りは顔を上げました。戸口から誰かが覗いています。

それは幼い人魚姫でした。

「あなた、誰?」

 幼い人魚姫は人魚らしい澄んだ声で尋ねました。真珠作りの胸はかすかに痛みました。

自分もかつては持っていた美しい声です。

真珠作りはしわがれた声で応じました。

「こんなところに入ってはいけませんよ」

「あなたは誰と聞いているの!」

 幼い人魚姫は気の強そうな声で叫びました。人魚の姫君には珍しいことです。

 この子は何番目のお姉さまの子どもかしら。

 真珠作りはちらりとそんなことを考えました。

「私は真珠作りです」

「真珠作り?」

 幼い人魚姫は大きな目を丸くしました。

「あの美しい真珠はあなたが作っているの?」

「そうです」

「すごいわ! 私、真珠って大好き」

 その笑顔を見て、真珠作りはハッとしました。

あぁ、どうしてすぐに気づかなかったのでしょう。そのきらきらした瞳は、大好きな六番目のお姉さんにそっくりです。

「私、もうすぐ八つの誕生日なの。

お母さまと約束したのよ。とびきり美しい真珠の耳飾りを贈ってくださるって。

ねえ、私の耳飾りはもうできた?」

 たしかに城の者から耳飾りの注文を受けていました。なるほど、あれはこの幼い姫に捧げられるものなのでしょう。

真珠作りは不思議な感じがしました。

もう帰ることの叶わぬ愛しい城と目の前の小さな姫を喜ばせる真珠は他ならぬ自分の魂なのです。

「今、作っているところです」

「とっても楽しみ! ねえ、真珠ってどうやって作るの? 私に見せてくれない?」

「それは……」

 真珠作りはためらいました。

「できません。

真珠作りはあまりに哀しい仕事です。お姫さまのように高貴な方には、とてもお見せできるものではありません」

「哀しいの?」

「ええ。真珠は私の涙の結晶です。真珠とは、真珠作りの涙なのです」

 幼い人魚姫は息を飲みました。

「じゃあ、あなたが泣かなきゃ真珠ができないってこと?」

「そうです」

「そんなのあなたが哀しいじゃない」

「それが私の仕事です」

 幼い人魚姫は首をかしげました。

「おばあさんは、ずっとここで真珠を作っているの?」

 真珠作りの顔はフードで隠れています。

年齢不詳の黒いローブ姿にしわがれた声。たしかに老婆としか思えないでしょう。

「そうです。今までもこれからも、私の涙が枯れるまで」

「哀しくないの?」

「哀しいですとも。けれど、私はそれだけの罪を犯したのです」

「一生泣いて暮らさなきゃいけないほどの罪って何よ!」

 あぁ、あの頃の私に聞かせてやりたい。

真珠作りはおそろしい老婆の声で答えました。

「人魚の声を捨てたのです。人間の足と引き換えに」

 幼い人魚姫は両手で口を覆いました。

「私は陸に行きたかった。人間の国の華やかさに魅せられたのです。

でも、本当の自分を偽る生き方はたくさんの人を裏切ることになります」

 真珠作りの言葉の意味をよく考えるためか、幼い人魚姫はしばらく黙っていました。

重苦しい沈黙ののち、ぽつりと呟きました。

「私にはまだよくわからない……でも、お父さまやお母さまを哀しませるのは嫌よ」

「では、こんなところにいてはいけません。明るいうちにお帰りなさい」

「そうするわ」

 最後に、幼い人魚姫は小さな店の中をぐるりと見回しました。目に映るすべてをそのきらめく瞳に閉じ込めるように。

きっと彼女も城で待つ誰かに今日の話をするのでしょう。遠い昔、真珠作りが彼女の母親であるお姉さんから聞いたように、幼い日の冒険の思い出として。

やがて、幼い人魚姫は真珠作りに向き直りました。

「さようなら、真珠作りのおばあさん!」

 真珠作りは目を細め、遠ざかる小さな背中を見送りました。

幼い人魚姫は光の膜に包まれているように見えました。あたたかく優しい愛情の膜に。それはかつての真珠作りも包まれていた光の膜です。

その光の膜は内側から針で刺さない限り、けして破れることはありません。好奇心という名の甘く残酷な針で刺さない限りは、けして。

 あの幼い姫がひたすら幸せに時を過ごしてゆけますように。

そう願わずにはいられませんでした。

 真珠作りはいつしか目の縁に浮かんでいた涙に触れました。

手のひらの上に二つの大粒の真珠が転がります。

その出来映えに溜息を洩らしました。

角度によって色を変えるまばゆい真珠は清らかな虹色のベールをまとっています。それはまぎれもなく、とびきりの真珠でした。

どうしてこんな真珠が? 

そう考えたとき、真珠作りは気づきました。

 ただ哀しくて流す涙より、哀しみの限りを過ぎて流す涙の方が美しい真珠を作るようです。

それは真珠作りが初めて流した、誰かの幸せを願う涙です。

 海に帰ってきてよかった。私はまだこんなに美しいものが生める。

 ささやかな誇りが真珠作りの胸を満たしました。

真珠作りは店に戻りました。とびきりの真珠を幼い姫の耳飾りにするために。



第2章【人魚の涙】おわり


第15話↓第3章【おかえり】


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