「変わり者メルヘン」第21話

 赤ずきんの話を聞いてから、グレーテルは大きな家の女の子と話すようになりました。

 ほんのわずかな時間でしたが、その時間はグレーテルの心の支えになりました。

グレーテルがお菓子の家の話をすると、女の子は深く同情しました。

森の奥に去ってゆくグレーテルを見送るたび、女の子は胸を痛めました。

あたたかく恵まれた家の中で、寝込んでばかりいる自分が情けなくなりました。

姉である赤ずきんを犠牲にしてまで、自分が生きる意味などあるのか。

女の子は自分を責め続けました。

 でも、一つだけ意味はあるわ。

 女の子は泣きはらした目で森を見つめました。

 生きてなきゃ、お姉さまが帰ってくるのを迎えられないもの。

 それが、女の子がいつも窓を開けている理由です。



 ある日、グレーテルは川に水を汲みに行きました。川のほとりに一軒の家が建っています。

小さな可愛い木の家です。

窓からレースのカーテンが覗いています。そのカーテンを開ける人影が見えました。

「え?」

 グレーテルは自分の見たものが信じられませんでした。それは赤ずきんだったのです。



 ヘンゼルとグレーテルがお菓子の家に来てから、三週間が経ちました。

 魔女は骨に触れ、イライラと呟きました。

「いつまでたっても太らないじゃないか。

もう待ってられないよ。今日だ。今日、お前を食ってやる」

「待って! 待ってちょうだい!」

 グレーテルは泣いて魔女にすがりました。

「うるさいね。調理するのはあんただよ。

早くかまどの火を起こしてきな!」

 魔女はグレーテルを炊事場に追いやりました。

 グレーテルは己の運命を呪いました。

兄が魔女に食べられる手伝いをしなければならないなんて。

 グレーテルの目から涙があとからあとからこぼれます。

 こんなことなら森のオオカミに食べられた方がよかった。そうすれば、せめて二人一緒に死ねたのに。

いいえ、いっそのこと、私もかまどの中に入ってしまおうか? 

兄さんのいない魔女の家でこれ以上生きるなんて耐えられないもの。

 グレーテルがそんなことを思ったのは、目の前のかまどがとても大きなものだったからです。

子ども二人なら楽に入れるでしょうし、大人だって入るくらい。

 大人だって? 

グレーテルの涙が止まりました。ある考えが浮かんだのです。

 その頃、魔女は檻の鍵をもてあそびながら、ヘンゼルに話しかけていました。

「さあ、どうやって食ってやろうか。やっぱり丸焼きがいいだろうねえ。

うちのかまどが大きい理由を知ってるかい? 太った子どもでもこんがり焼き上げられるようにさ」

 ヘンゼルは唇をきつく噛みしめました。

何か、何か方法はないか。

必死に頭を働かせましたが、まるでいい考えが浮かびません。恐怖で気が狂いそうです。

そのとき、炊事場からグレーテルの声がしました。

「ねえ、魔女のおばあさん。このかまど、どうやって使うの?」

 魔女は舌打ちをしました。

「使えない子だね! いったい今まで何をしてきたんだい!」

 魔女はグレーテルを罵りつつ、火の起こし方を詳しく指示しました。

グレーテルは言われた通りにしながらも、まだ首をかしげています。

「これ、ちゃんとできてるのかしら? 全然熱くならないわ」

「はぁ? まったくどんくさい子だね。あぁもう邪魔だよ! そこをおどき!」

 魔女はグレーテルを押しのけると、腰をかがめ、かまどの中を覗き込みました。

「なんだ、ちゃんとできてるじゃないか。

これだけ熱くなれば十分だ」

 グレーテルは返事をせず、ドンッと魔女の背中を押しました。

 魔女は不意を突かれ、かまどの中に落ちました。

この世のものとは思えない絶叫が響き渡りました。

グレーテルはすばやくかまどの戸を閉め、外からかんぬきをかけました。

お菓子の家には甘い香りが漂っています。そこに肉が焦げる臭いが混ざりました。

魔女の叫び声はすぐに聞こえなくなりました。

 グレーテルはかまどの脇に置かれた鍵を拾いました。

グレーテルは鍵を回し、ヘンゼルの檻を開けました。

「グレーテル! 何があったんだ?」

 ヘンゼルは檻から出て、顔をしかめました。

「このひどい臭い……魔女はどうした?」

「死んだわ。かまどの中よ。私がやったの」

「……お前が?」

グレーテルはぞっとするほど落ち着いていました。

「ええ。二人で逃げる方法が浮かんだの。出ましょう、兄さん」



 寄りたいところがあるの、とグレーテルは言いました。

二人は川のほとりの家に辿り着きました。

小さな可愛い木の家です。

 グレーテルは迷いなく扉をノックしました。中から出てきた相手を見て、ヘンゼルは驚きました。

なんと、いつかの赤ずきんです。

 赤ずきんも目を見開きました。

「あなたたち、あのときの……」

「話したいことがあって来たの」

 グレーテルは赤ずきんをまっすぐ見つめました。

「あなたの妹さんのところに帰ってあげてほしいの。ずっと心配してるわ」

 赤ずきんは戸惑いながら、家の中に二人を通しました。

家には優しそうなおばあさんがいました。おばあさんは子どもたちにあたたかい紅茶を出してくれました。

「あなた、妹を知っているのね」

 赤ずきんはつとめて柔らかな口調で言いました。

「あの子は元気にしてる? 体が弱いの。季節の変わり目だから心配だわ」

「元気よ。私が森に出るたびにお話してくれた」

 グレーテルは今までのことを話しました。

自分たちが両親に捨てられたこと、お菓子の家のこと、魔女のこと、

女の子と出会ったときのこと、川に水を汲みにきたとき窓越しに赤ずきんを見つけたこと、

そして、どうやってお菓子の家から出てきたか……。

グレーテルが話している間、赤ずきんは静かに耳を傾けていました。

 ヘンゼルも初めて聞く話ばかりです。

たまらず、口を挟みました。

「わかってんのか? お前の母親はお前を――」

「知ってたわ」

 言葉をなくす兄妹の前で、赤ずきんは淋しげに微笑みました。

「おかしいとは思ったの。この赤ずきんは森の中じゃ目立ちすぎるもの。

でも、理由を知ったのはオオカミのお腹の中。オオカミの独り言が聞こえたの。

『あの母親の頼みを聞いたのは正解だった。あのやせっぽっちの妹より、こっちの方がずっと上等だ』って」

 赤ずきんの頬に一筋の涙が伝いました。

「助けてもらったのにこんなこと言っちゃだめだけど……家に帰るのが怖い。

お母さまの顔を見るのが怖いの。

だって、どんな顔をして会えばいいの? 

こんな想いをするくらいならいっそ、私は食べられた方がよかったんじゃないかって――」

「いいわけねえだろ!」

 ヘンゼルが叫びました。赤ずきんは驚きました。

「お前が死んでたら、妹はどうなる? 

今までの楽しい思い出も全部哀しい思い出に塗りつぶされるんだぞ! 

自分のせいでお前がオオカミに食べられたって一生後悔しながら生きなきゃいけねえんだぞ。

それでいいのか?」

 赤ずきんの瞳にハッと光が射しました。

そんなことは思ってもみなかったのです。

ヘンゼルはうめくように続けました。

「帰るんだよ。助かったんだから」

 それはヘンゼルが檻の中にいる間、ずっと考えていたことです。

身動きがとれない自分の代わりにグレーテルがつらい目に遭うのを見るのが苦しくてたまらなかったのです。

いったい何度、代わってやりたいと願ったことでしょう。

 赤ずきんは俯きました。

「わかった……家に帰るわ。でも、お母さまや妹とはもう一緒に暮らせない」

 次に顔を上げたとき、赤ずきんはにっこりと微笑んでいました。

「私、これからもおばあさまと暮らすつもりよ。やっぱり森の中での一人暮らしは危ないもの」



 三人の子どもたちは森を抜けました。

森の入口で赤ずきんと別れ、ヘンゼルとグレーテルは懐かしい家路を辿りました。

両親が住む家が見えてきたところで、二人はぴたりと足を止めました。

「なぁ、俺たちが帰っても母さんは喜ばないだろうな」

「父さんは喜ぶでしょうね」

 グレーテルは低い声で続けました。

「でも、明日になったらまた森に行くことになるかもしれないわ」

 二度も両親に捨てられた哀しみを忘れることはできません。

二人はしばらく黙って、我が家を見つめました。

「俺もそう思う。だから、こうしないか?」

 ヘンゼルはグレーテルに向き直りました。

「おかえり、グレーテル」

 グレーテルは驚いた顔で兄を見つめました。

「どうしたの?」

「家に着く前に言おうと思って……俺は心からおかえりって思うから」

 グレーテルはヘンゼルの言葉の意味を悟りました。

心からのおかえり。それは二人の家には用意されていない言葉かもしれないのです。

でも、グレーテルはわかっていました。

目の前の兄は、他ならぬ一番大切な相手は、自分と同じ気持ちだということを。

グレーテルは柔らかく微笑みました。

「おかえりなさい、ヘンゼル」

 二人は手をつなぎ、家の扉を開けました。


第3章【おかえり】おわり

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