見出し画像

人の記憶の価値みたいなもの

『涙の女王』を見終わった。
スチョルとダヘのカップルが最高に好き🎶
子どもへの愛を中心に置いているところとか、わかりやすいダメさと良さが打算と現実を変えていくところとか、ふたりが人としてカップルとして成長していく過程を特に応援せずにはいられなかった。

書いていて気づいたけれど、このカップルは母目線の視聴者でもドラマが楽しめるようにいてくれたんだなぁ🎶

キャラとして最高に面白かったのが、主人公ヘインのおばさま。3回離婚しているうえ、服役経験者。エキセントリックな感情表現。家族の中でお父さんが一番好きなのに、危険を発信してもまったく信じてもらえないカッサンドラでもある。韓国ドラマの中にはこういうクセが強くてどこか憎めず大好きになってしまう女の人がいる。

ここでつい考えてしまうけれど、原型があるとはいえカッサンドラ役は、なぜいつも女の人なのだろう。カッサンドラ役の男の人も、ふつうにどこかの物語で活躍してはいそう。けれど男の人がこういった役の場合、脇役ではないヒーロー譚に回収されていく気がする。たとえば、権力者である父親に信じてもらえず単独で島流しにされるけれど、いずれ敵対者を倒して父を救う。もしくは死ぬ間際に認めてもらえる。といったような。

『涙の女王』にもどるとあとは、幼少時代のヘインのお兄さんの事故死が掘り下げられていなくてよかったな。子どもが死ぬ話は、このろくでもない現実や人間史だけで十分。

いい話や世界が見たい。
自分の一番行きたい世界を夢見れるような話。
ちゃんと説得力のある。

韓国ドラマはまだ4つくらいしか通して見ていないと思うけれど、『妖狐伝』が主人公がhydeさんに似ているうえ、幽遊白書外伝のようでめっちゃよかった🎶

しかし、対関係性において「ファ、ファクトチェックが足りなすぎる!」と叫び出したくなる運びと1話120分にもなる長いお話にあきてしまった。

そこが良さなのかもしれないが、次は気にせず転がしてもらえるようなお話を見たい。

日本のドラマはといえば、宮藤官九郎作品以外はみなくなってしまった。
これも独特なミュージカル表現に慣れるまで4話くらいかかったけれど、そのあとは進みが早かった。物語もさることながら、S&Bのサトウくんが出てきた時は懐かしさでたいへん盛り上がった🎶

ネットフリックスは見ているうちに、自分が好きなドラマを見ているつもりだったのに、いつのまにかえぐみのつよい 作品ばかり推されてきて辟易する割合が多いことに気づいた。どこかスパイスだからこそ楽しんでいるうようなお話の要素だけが、わかりやすい好みの関数として肥大換算し増幅されているようだ。このあたりはお話づくりへの向き合い方とともにNetflixのあり方はあまり好きではないと感じる。ファンタジーや洋画で暴力要素を含むシーンは、本当にびっくりするほど違和感を感じる時がある。

私とは全く違う好みの旦那さんのアカウント見るとほっとする。旦那さん的な重みづけで選択された番組で気に入った作品を選んでいくと、ちゃんとした当たり作品の割合が増える。これがいわゆるフィルターバブルを抜け出すひとつの解なのかなと思う。AI時代だからこそ、旦那さんのみならずお友達でも同僚でも、他者はまったく貴重だなって思う。

しかし、ちゃんと全部見れてよかった。
そろそろ本を読む時間を作ろう。
(記憶の話はどこへ行った。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?