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臨川茶室方丈日記「瓢箪」2021.2.17

埼玉県八潮市 吉田普彩先生の茶道教室、二月の三回目。

今回も、お稽古の後、普彩先生のお話をお聞ききできる貴重な時間をいただきました。

本日の掛け軸「瓢箪」
何代目かの大徳寺館長のお筆です。

読み解きをお尋ねすると…

仙人が腰にぶら下げていたと伝えられる瓢箪、

瓢箪は何を表しているのですか、とお聞きすると、

このようなお話をしてくださいました。

瓢箪はキュウリやスイカなどと同じウリ科ですが、キュウリやスイカのように切られたり食べられたりしない。

瓢箪には悪意がないと、先生は仰っていましたが、作為のことかな?と私は受け止めました。

実は毒性があって、人間は食べることができないのです。

瓢箪の中は空(くう)、常なるものの無い世界。

そこには、水を留めたり酒を留めたりのハタラキの、悪意(作為)がなくハタラキの瓢箪。

また、瓢箪が幾つも蔓棚からぶら下がり、風にゆらゆら揺れる様が何ともいい、と。

そして、瓢箪の句を一つ教えていただきましたが、覚えきれませでした。

大意は、一筋のしっかりとした幹の先に実ったものが、
鈴なりの瓢箪の中でもこの上ない一つ、というような句でした。

そのように、自分を太くしっかり伸ばしていった先にこの上ないものが実る、と。

自分をしっかりつくっていくことが大事、
そのためには、良質な本を読み、位の高い人(修行を積み重ねて次元が上がった人)に会うことが大事、とも。

普彩先生のお言葉そのものも、その裏側も、遥か私には想像もつかず、理会もできませんので、

そのように私はお聞きしました、としか言えませんが、

私の心に点ったゆらゆらとした灯りは、

自分の幹をしっかり太くして、そこに実るであろう瓢箪を、

そのハタラキを、私の仕事を、
今ここから照らしています。



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