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読書の先導と先達者の声から

いろいろなあった二日間の終わりに、私の目に飛び込んできた夕焼け。


私が赤く焼けた空に触れた主観と、赤く焼けた空が私に触れた客観と、主客合一した純粋経験だった。そこに言葉は存在しない。


言葉はまだ生まれておらず、昨日を後悔する私も、明日を憂える私もない。


他の誰にも替わることのできない真実の私、他の何とも置き換えられない真実の私。


その純粋経験の後に、多くの思念が湧く。


多くの思念の前の瞬間の純粋経験、他の誰にも替わることのできない真実の私、二日間でたくさん出会った。


そして、その純粋経験は、私と他との主客合一の、他があってこの身体を通してのみ体験できる。


この身体を通してのみ言葉(思考)が生まれる。言葉は、身体的な目耳鼻口触の他からの刺激によって、その体験から生まれる。


テレビやマスコミやネットの、外からの知識は、身にまとった衣服のようなもので、いくらでも重ね着できたり着飾ったり、それを本当の自分だと思い込んでしまう。それは、借り物の私。


本当の私は、この身体を通してこの世界を体験した自分。この身体を通して生まれた言葉(思考)のみが、本当の私の言葉。

体験こそが真実の私、体験から生まれた言葉にこそ、力がある。


“行動し体験して、その体験から出た言葉で語ろう”


あの夕焼けと一体になった純粋経験が、借り物の知識よりも、こうして私の力になり言葉になっている。


そしてそれは、読書の先導があったから、先達者の声があったから。


「逆のものさし講」

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