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子猿と寝ていた?!🐒動物も人も愛した川合玉堂。しっとり優しい空気はシューベルトに通じる?!

日本画家、川合玉堂は東京・奥多摩にアトリエをかまえ、渓谷の自然に身をうずめながら制作にいそしんでいたそうです。山種美術館で開かれている「川合玉堂」展を訪ね、墨の味わいに満ちた日本画の本領を楽しみました。

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川合玉堂《猿》(1955〜56年頃、紙本・墨画淡彩、山種美術館蔵)展示風景

つあお 川合玉堂が猿の絵を描いてるなんて意外でした。

まいこ 私も初めて見ました。会場で目立ってたので、駆け寄って見ちゃった!

つあお なんか、かわいくないですか?

まいこ かわいい!! 木の上で3匹が遊んでるみたいです。

つあお ひょっとしたら子どもの猿かも。

まいこ 子どもっぽいはしゃぎようですね。

つあお 玉堂は自然が好きだったっていうのは聞いたことがあるけど、この猿の絵は楽しいなぁ。

まいこ 自然とともに、そこにいる動物や人も、小さく描き入れている作品が多数ありますね。

つあお 実はたわくしはかなり昔、東京の奥多摩にある玉堂美術館に何度か行ったことがあって、玉堂はその辺りの地域に住んでいたらしいんですけど、多摩川の上流の渓谷の中にあるんですよ。

まいこ わあ、行ってみたい! 玉堂の世界がそのまま広がっていそう!

つあお まさにそう。猿が出てきても不思議じゃない。

まいこ さっき学芸員の方に聞いたんですが、玉堂は何と子猿を飼っていたことがあるんだそうです!

つあお 初耳! 驚き桃の木です。

まいこ 伊藤若冲の鶏など、絵を描くために画家が動物を飼ってたという話は時々聞きますが、猿って珍しいですよね。

つあお 確かに。猿って飼えるんですね。そういえば、昔「反省猿の次郎」っていたなぁ。人間が次郎に向かって「反省」って言ったら、反省のポーズをする猿。縁があって飼っているスタジオに行ったことがあるんですよ。うん、飼える飼える。でもやっぱり、自然の中で生きてもらったほうがいいと思う。

まいこ これもさっき学芸員さんにちらりと聞いたんですが、赤ちゃん猿が一匹でいて玉堂がかわいそうに思って、家で飼ってたみたいなんです。

つあお へぇ。玉堂って、すごく優しい人だったんだ!

まいこ 玉堂は温厚な方で、人間にも人望があったとか。今回とても気に入ったコーナーのエピソードからわかりました。3巨匠である横山大観・川合玉堂・川端龍子による松竹梅(合作)のコーナーが、それぞれ個性がありつつも調和がとれててカッコよいな~と思ったのですが、この貴重な共演は、玉堂なしにありえなかった! 院展問題などで疎遠になりがちだった大観と龍子を玉堂がうま~くとりもったそうです(^^♪

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横山大観・川合玉堂・川端龍子・「松竹梅」合作(1957年)
左から横山大観《梅(暗香浮動)》、川合玉堂《松(老松)》、川端龍子《竹(物語)》

しかも、飼っていたお猿さんとは一緒に寝てたみたいですよ。

つあお もう家族だったんですね。猿と一緒に寝られる人は、世の中にはあまりいないでしょう。

まいこ そのエピソードを聞いて、この猿の作品がますます好きになりました。この作品自体は、その時飼っていた猿ではないらしいのですが、描き方に愛情がこもっていますよね!

つあお だからこの猿たちはこんなにかわいいんだ。渓谷に住んでいたということでは、水車! これはもう玉堂の代名詞のような存在かもしれません。

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川合玉堂《水声雨声》(1951年頃、絹本・墨画淡彩、山種美術館蔵)展示風景

まいこ この水車の掛け軸は、迫力ありますね! 水の勢いが凄い。まるで、目の前で見ているみたいに感じます。この角度から見たら、自分のほうに向かってざあざあ流れる音まで聞こえてきましたよ。

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川合玉堂《水声雨声》(1951年頃、絹本・墨画淡彩、山種美術館蔵)部分

なんと、玉堂は水車が好きすぎて、家にも水車を作っていたんだそうです。

つあお 「美しき水車小屋の男」(※)と名づけてあげよう! この絵では、水の流れだけじゃなくて、雨が降ってる感じもよく出てますね。

※つあおは、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」という歌曲集をしゃれたつもりになっている。

まいこ つあおさん、シューベルトの引用とはお洒落ですね♪ 玉堂さんが描く霧が煙るような空気感や水辺の風景ともマッチしています!

つあお こういう空気感って、日本画特有のもので、たわくしもとっても好きです。

まいこ 下の方に、傘をさしている女性が2人いますよ!

つあお すごくちっちゃい!

まいこ 急な土砂降りで一生懸命帰ろうとしてるというよりも、和気あいあいと大きな傘をさして話しながら歩いてるのかな? 袋を持っているし、買い物の帰りかも。

つあお ひょっとすると、昔の日本人は雨をそんなにうっとうしいものとは思わず、こうやって楽しみながら暮らしてたのかもしれませんね。雨は自然の恵みだし。

まいこ 玉堂は、優しい目線で近所に住んでる人たちも見てたみたいです。ことあるごとに、馬を引いたり荷物を背負ったりしている近所の人々を描いてる。

つあお そうか、全体としては大きな風景画なのに、人を意識してるから温かみを感じるんだ!

まいこ そう思います。一見、人なんていなそうな大きな山岳風景でも、よーく見ると人が歩いてたりするんですよね。なので、つい探しちゃいます。

つあお よく見ると、人は結構細密に描写してますね。

まいこ 省略形じゃないところに、また愛情を感じます。


【まいこが感動した一点】

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川合玉堂 《虎》(1943~45年頃、山種美術館蔵)
自分が寅年なので、虎の絵があるとす~っと引き寄せられてしまうまいこ。ちょっとぽっちゃりしてるけど、目ヂカラでがんばってる感じがかわいい!と思って解説を見ると「玉堂は第二次世界大戦下では特に多くの虎を描いたのだが、それは「千里往還」といわれる虎の絵をみんなに贈って無事帰還を祈念したから」とのこと🐅 そして、玉堂の虎を贈られた人は皆無事帰還したと言われているそうです!
また、寅年同士でとても気が合った祖母の名前が「千里」なので、もしかして。。。と思って聞いたらやはり「千里往還」から来ていることが判明。
ダブルで感動しました~🐅

※掲載した写真は、プレス内覧会で主催者の許可を得て撮影したものです。

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【今日のラクガキ】

美しき水車小屋の男

Gyoemon作《美しき水車小屋の男》
水車小屋に美しい男がいたっていいじゃないか! とか言った人がいたとかいなかったとか。玉堂の虎とどっちが怖いかな? Gyoemonはつあおの雅号です。
※本作品は、「川合玉堂」展には出品されておりませんが、ご了承ください。

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2021年2月6日〜4月4日、山種美術館

[同館ウェブサイトより引用]
日本の自然や風物を叙情豊かに描き出した川合玉堂(1873-1957)。このたび、山種美術館では、玉堂の約70年にわたる画業を振り返る展覧会を開催いたします。

愛知に生まれ、岐阜で育った玉堂は、京都で望月玉泉、幸野楳嶺に師事したのち、23歳の年に東京に移り、橋本雅邦のもとでさらなる研鑽を積みました。玉堂は、京都で学んだ円山四条派の基礎の上に、雅邦が実践した狩野派的な様式を取り入れ、伝統的な山水画から近代的な風景画の世界へと画風を展開していきます。また、官展で審査員をつとめ、東京美術学校教授、帝室技芸員に任命されるなど、東京の画壇における中心的な役割を果たし、1940(昭和15)年には文化勲章を受章しました。

当館創立者である山﨑種二 (1893-1983) は、玉堂と親しく交流し、戦時中にもしばしば奥多摩の玉堂邸を訪れるほどの間柄でした。その縁から当館の所蔵となった玉堂作品は71点を数えます。本展では、初期の代表作である《鵜飼》、雅邦の影響が色濃い《渓山秋趣》などの明治期の作品から、古典的な筆法と写実的な風景表現を融合させた昭和初期の《石楠花》、自然とともに生きる人々の姿を穏やかに描き出した玉堂芸術の真骨頂ともいえる《春風春水》や《早乙女》、戦後の第1回日展に出品された《朝晴》まで、名品の数々とともに、玉堂の画家としての足跡をたどります。また、支援者であった山﨑種二、玉堂の師である望月玉泉や橋本雅邦、弟子の児玉希望など、玉堂をめぐる人々にも焦点を当て、交流がうかがえる作品やエピソードをご紹介します。

本展を通じ、玉堂の自然に対する真摯なまなざしや、多くの人々に慕われた温かな人柄に触れ、玉堂芸術の魅力を味わっていただければ幸いです。


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