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【ショートストーリー3】形勢逆転(けいせいぎゃくてん)

形勢逆転とは?
勢力などの優劣の状態が逆転すること。劣勢だった勢力やチームなどが優勢になり、逆に優勢だった勢力やチームなどが劣勢になること。形勢が逆転すること。(実用日本語表現辞典)


深夜の病院は意外に明るかった。といっても、時間外出入口からすぐの一角、救急搬送された患者の付き添いが待つ初療室の前のことだ。

初めて119番通報した。迷走神経反射で心停止に至った母は、AED (自動体外式除細動器)を使った救命処置のおかげで救急車内に運ばれる前に心拍が再開。最悪の事態を覚悟する苦しさから解き放たれ、一気に疲れを感じて長椅子にへたり込んだ。そうだ、弟に知らせなくては。

「母救急搬送でA病院」
電報みたいな文章だなとLINEを見ていると、「無事なの?」と弟。
「心停止したけど戻った」
「入院になる?」
「もちろん」
「俺、行った方がいい?」
「あと半時間くらいで担当医が説明してくれるそう。それを聞いたら帰るだけだから別にいいよ」

どうせ来る気もないくせにと思いながら返信した。弟は親のことになると必ず「主」でない側に立つ。どこまでいっても私が「主」、弟は「副」または「従」。まるで「客人」のように、「主人」の私に何でもお伺いを立て、主体的に動なかくていいサブポジションを確立するのだ。

最後のLINEが既読スルーになってから45分、ようやく別の階にあるICUに案内される。酸素マスクをつけた母と会話はできなかったが、「念のため一晩ICUで様子をみますが明日には一般病棟に移ってもらう予定です」担当医の言葉にようやく肩の力が抜けた。ほかの患者さんの邪魔にならないよう小声でお礼を言って頭を下げるともうICUに私の居場所はなく、母の衣類が詰め込まれた紙袋を受け取り退室した。

「姉ちゃん」
1時間ほど前まで私が座っていた長椅子に弟が居た。望外の行動に驚き、病院に行くべきか尋ねたことや既読スルーを責めるのも忘れ、ただ喜んで母の無事を伝えた。
「あすには一般病棟に移れるって。もう一度ICUに入れてもらえるよう頼もうか?」
「いや、面会はまたにする。一般病棟に移ったら部屋番号知らせて。姉ちゃんはあすも来るでしょ?」

「姉ちゃんは」の「は」に引っかかる。つまり自分は来ないということかと問いただしたかったが、口をついて出たのは、
「もちろん来るわよ。パジャマとか必要なもの持ってこないといけないし、何より入院手続きをしないと」

「じゃあ、早く戻って休んだ方がいいよ。家まで送るよ」
「ありがとう。真夜中はタクシー呼んでもすぐに来ないから助かるわ」

一瞬にして形勢逆転。救急車が到着するまで心臓マッサージをして、病院に付き添ってきた私にねぎらいの言葉もない弟に、なぜか私が礼を言っている。釈然としないが未明の病院で掘り下げることでもないので出口に向かうと、弟も慌てて付いてきた。

「姉ちゃん、それ持つわ」
背後から紙袋を奪い取る。
「ありがとう」
また、言ってしまった。こんな軽いものを持ってくれたからといってありがたいわけでないのに。本当はこう言いたいのに。

「あなたが持つべきは荷物じゃなくて
子どもとしての責任!」

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