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大きな公園

大きな公園にいつも私は救われる。

友人たちが「就活」「ES」「御社」しか喋れなくなったとき。
忘れかけていた嫉妬という感情にふたたび出会い、そんな自分に混乱したとき。
好きな子の些細な一言が小骨のように胸につかえたとき。

大きな公園の、できれば天気のいい水曜日もしくは土曜日の昼下がり、
ベンチに座って、はたまた刈り揃えられてお行儀のよい芝生に寝転んで、
私のほとんどは大きな公園で回復する。
いや、回復というより、悩みやもやもやを受け入れる体制ができあがる。
悩むことはあってもいい、それがなんだと撃ち返し、ぼんやりと解決策が浮かび、意味なしと無視もする。

もしも、小学生の私、中学生の私が大きな公園の効用を知っていたなら。
学校と家しか知らず、家から出られなかった私が大きな公園に行くことができたら。
その時々に私に漂っていた澱みやくすみは換気されていたかもしれないね。

なんていう想像を芝生の上で思い描いたこともあった。

行きつけの大きな公園はあるけれど、
東京都内にはまだまだ行ったことのない大きい公園があるらしい。
電車でちょっと遠出すれば、私好みの大きな公園はまだまだあるとみた。
悩んでいい、落ち込んでいい、迷ってもいい、そんな感情に陥っても受け入れてくれる大きな公園。これから先も、悩んで落ち込んで迷っていい。

今日もまた。

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