8月6日 原爆の日

広島出身の今年41歳の私は

100%の被爆三世。

父方の祖父母も、母方の祖父母も4人全員入市被爆(捜索や復旧作業で広島市内に入って被爆)者です。

幼い頃より祖父や祖母、その他いろいろな人から戦争の話、原爆の話を一杯聞いてきました。

幼いころに家に遊びに来ていた『お爺ちゃんの友達』には顔面半分がピンク色になっている(熱線によって皮膚が焼け溶けてケロイド化している)おじちゃんがいたりしました。(ピカのおじちゃんって呼んでた。県外の人が聞くと不謹慎かもしれないですが、それだけピカドン(原爆)が身近だったんだと思う。)

そのおじちゃんに聞いた話は今も脳裏に焼き付いていて

「おじちゃんは原爆資料館の蝋人形(今は無いですが)みたいに手の先から腕の皮を垂れ下げて、顔を半分火傷して広島からここまで歩いて帰ってきたんで。よう今でも生きとると思う。周りにはハラワタが飛び出ても歩いとる人もおった。」など、いろんな体験を幾度となくと話してくれました。

一次資料であるそのおじちゃんや4人の祖父母に色々な話を聞いてきた私は活きた二次資料であると自覚していますが、自分の子供達だけにしか伝え聞いた話を残せないのはさみしくも思い、申し訳なくも思います。

どこかでこの経験を活かすこと、伝える事を使命と言っては大袈裟ですがやるべきこと、やらなきゃいけない事と捉えていますがまだ実行できていません。

生きているうちに何とか。。。


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