マガジンのカバー画像

金沢ピープルファイル 002

5
002: 吉岡璋
運営しているクリエイター

記事一覧

金沢ピープルファイル 002: 吉岡璋①

金沢ピープルファイル 002: 吉岡璋①

▶︎かっこいい大人◀︎
仕事にがむしゃらになっていると(それはそれで幸福なことではあるのですが)なかなか他のことに目を向けることができなくなってしまうものです。
「Aozora Factory」に初めて参加した頃というのはまさにそんな状態で、「金沢区を盛り上げていこうとしている人たちがこんなにたくさんいるのか!」と驚かされ、同時に励まされもしました。
そこで出会った方々の中でも特に心を掴まれたのは

もっとみる
金沢ピープルファイル 002: 吉岡璋②

金沢ピープルファイル 002: 吉岡璋②

▶︎ 結果オーライ ◀︎
〈ヨコハマ機工〉の仕事はファスニング、つまり「打つ、締める、綴じる」のプロフェッショナルだということ。しかし吉岡さんの家業は本屋でした。四谷で営まれていた〈吉岡書籍株式会社(通称:吉岡書店)〉では販売だけでなく、出版も行なっていました。
吉岡さんはその3代目となるはずでしたが、そうはなりませんでした。そこには例えば山田太一が描いたりしそうなドラマがあるのですが、それはまた

もっとみる
金沢ピープルファイル002: 吉岡璋③

金沢ピープルファイル002: 吉岡璋③

▶︎職人は速いが機械はもっと速い◀︎
〈ヨコハマ機工〉を創業する前、吉岡さんは2年半の間〈マックス(株)〉という会社に勤めていました。
「入社したての頃、希望する営業先を聞かれて神奈川を選んだのは京浜工業地帯があったから。長野を選んだ先輩に理由を聞いたときの答えが印象的だった。『ドライブしに行くようなもんだから』って言うんだ。そんな給料分しか働かないような発想の人もいるんだってびっくりしたよね。ぼ

もっとみる
金沢ピープルファイル002: 吉岡璋④

金沢ピープルファイル002: 吉岡璋④

▶︎プライド◀︎
〈ヨコハマ機工〉の創業は昭和43年、吉岡さんが24歳のときのこと。
「〈マックス〉での営業成績はトップだったんだけれど、先輩に辞めて失敗したなって言われても、またどこかに勤めればいいやと思っていた。でもそんなのは何もわかっていないってことなんだよ、負債を抱えることになるわけだから。
最初は経験を詰めるだけでもプラスになると思っていた。4畳半に机を二つ並べて、土間に釘を置いてね。結

もっとみる
金沢ピープルファイル002: 吉岡璋⑤

金沢ピープルファイル002: 吉岡璋⑤

▶︎チャーミングな大人◀︎
これまで、吉岡さんのような立場にある、様々な業種の方にお会いする機会がありましたが、吉岡さんのようにチャーミングな大人はあまり見たことがありません。
「人が好きなんだろうね。どこか店に入っても初めての人と会っても、もう何年も前から付き合っているみたいな感じになっちゃう。
吉岡さんは怖いもの知らずだね、なんてことも言われるけれど自分じゃわからないなあ。怖いのは奥さんだね(

もっとみる