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大学4年の冬(つまり2022年1月)、私は焦っていなかった、卒業論文の提出期限1週間前に目利きの銀次にいたのに。

そう、大学を卒業するには、たいてい「卒業論文」、卒論を書き上げなければならない。たいていだ。

卒業論文を書く目的について、ゼミの教授は「自身の研究成果を論文として提出する事で、豊かな知識を育める」みたいな事をおっしゃっておられて、、

高校3年生の頃、大学に進学する理由は自分の得意科目「英語」をもっと深い分野で学びたかったからだ。だったと思う。

でも卒業論文に追われに追われている今現在、私は高校3年生の自分には今日の私がどう映るんだろう。

大学で何も学んで無いじゃねえか。なんだこいつ。学んだ事といえば人付き合いとお酒とタバコくらいで、本筋の学問に何一つ進歩がないって思われても、その通りかもしれない。

高校3年の頃の私は確かに「海外の文化を学びたい」みたいな目標を掲げていて、その結果、卒業というものは成果として頂けるものだったはず。今はその「卒業」自体が目的になってしまっている。卒業できればなんでも良くなっている。

「なんで卒論のある学科に入ってしまったんだろう」とさえ思ってる。中には卒論もなく、何をもって卒業するんだよって言う大学の学科もあるとかないとか。知ってか知らずか、その学科に在籍している学生の人たちを心から羨ましく、シーシャバーの店員さんがそうらしくて、本当に羨ましい、賢い選択をしている、あなたの人生を歩みたい、と大絶賛したのは記憶に新しい。

ちなみに卒業論文で扱う文学作品は、「ライ麦畑でつかまえて」、サリンジャーだ。

コレが私の大学卒業をややこしくしている。ライ麦畑を読んだことがある人ならば、なんとなく理由はわかっていただけるかと。































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