日本刀に興味をもつようになったきっかけは?一部、小説『沙高樓綺譚』の一編のネタバレあり
日本刀の美しさに魅了されています。日本刀は武器だと思っていません。一等級な美術品、芸術作品であると思っています。もし単なる武器であるなら、美術館や博物館に展示されることもないと思います。拳銃などは博物館には展示されていることもあるかもしれませんが、美術館には展示されているのは稀だと思います。
また、単なる武器であるなら、国宝に指定されたり、高値で取引されたりすることはないと思います。
日本刀に興味を持つきっかけとなったのは、浅田次郎の『沙高樓綺譚』(2002年、徳間書店)という短編集の1つめの「小鍛冶」という作品を読んだことだったと思います。「小鍛冶」とは、コトバンクによると
とあります。小鍛冶は、もともと刀匠の三条宗近のことを指します。浅田次郎の小説では、主人公が東京国立博物館の展示室で日本刀を鑑賞しているところに、知古の刀剣鑑定家の当主と出くわし、その後のあるイベントに誘われるところから話が始まります。刀剣鑑定家の徳阿弥家ということになっていますが、これは本阿弥家をフィーチャーしたものと思われます。
そこには、小竜景光が登場します。楠木正成の佩刀であったという伝説もある御物です。これは現物を見たくなります。
この刀剣鑑定家の当代が沙高樓という会場で不思議な話をします。刀剣鑑定で何度か、贋作の日本刀を鑑定した(鑑定した時点では贋作と見極めることができなかったわけですが)時に、「郷義弘」という刀工(作者)の刀の真作(本物)と結論を出そうとするわけですが、そこでの説明に「郷と幽霊は見たことない」という格言が出てきます。幽霊を見る機会はまずないわけですから、世の中に出ていない刀で、急に出現する郷義弘作刀の刀に出会えることはないという例えの格言なのだそうです。当代は病床の身の先代にこの刀を見てもらうことにしました。先代は一言「せいぞうち」という謎の言葉を伝えます。
「せいぞうち」とは何であるのか。徳阿弥家の世襲が関係していることになります。
この作品で、日本刀というものの来歴の深さ、日本刀に関わる家の問題に深く感銘を受けたからです。
そこから、日本刀に関する書籍を漁り、知識をある程度つけてから、東博に通ったり、他の美術館の展示を鑑賞しに行くようになりました。
一遍の短編小説によって、日本刀の魅力にはまったのでした。
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