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ダイアログ | 対話

コロナと共存する道を必死に探す2020夏の終わり。握手もハグもできない私たちの最終手段は対話なのではないか、と気づいた昨日の体験について記します。昨日、私は「ダイアログ・イン・ザ・ライト」を体験しました。

一筋の光もない暗闇を体験する「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」についてはご存じの方も多いはず。視覚障害者に導かれ、歩き、食べ、対話する。そんな未知の領域に身を置き、新しい気づきを得ようと世界全体で800万人(2015年調べ)の人が暗闇のアトラクションに足を運んだそうです。けれど、新型ウィルス感染症が席巻している今は、そんな暗闇体験ができなくなり、休業を余儀なくされました。

未曾有のコロナ禍で、そもそも一寸先が見えにくくなってしまっている今。そのせいでよろけたり、ころんだり、怪我したり、傷つけあったりしている私たちには、あえて暗闇を作り、その中で隣の人と肩が触れ合い、それがきっかけで笑い合ったりするなどということが不可能になってしまったのです。

そんな中、「ダイアログ」が「イン・ザ・ダーク」から「イン・ザ・ライト」として復活。暗闇ではなくて、光の中でのダイアログになったわけです。友人が体験ツアーに誘ってくれたので、久しぶりに浜松町のミュージアム「対話の森」まで出かけてみました。

「イン・ザ・ライト」はある意味、withコロナへの果敢な挑戦だったように思いました。暗闇という未知の領域を体験することはかなわないけれど、握手したりハグしたりすることが制限されている私たちには、対話=ダイアログという最後の手段がある。対話を使って人と人がつながる可能性を手探りで積み上げていく作業のようでもありました。

6〜8人がグループになって3つの部屋をめぐります。

最初のファシリテーターは、生まれたときから全盲のネパール人のニノさん。月と星について話しました。場所は夜の高原という設定です。月を一度も見たことがない子どもに、ニノさんのお母さんは大きくて深いタライに水を溜めて、満月を移し「触ってご覧、これが月よ」と教えたと言います。小学生だったニノさんは、月は丸くて深くて遠くて、冷たい、と知ったそうです。

そんな話を聞くうちに、私は母の背中で見た満月のことを思い出しました。銭湯の帰り、幼い私は母に背負われていました。たぶん、1歳か2歳。母の肩越しに満月が見えました。どこまで歩いても巨大な満月がついてきます。怖くなって私は泣きました。何度もその話を聞くうちに、私の記憶になってしまった満月の話です。

次の部屋は「ノイズの森」という設定の部屋。ファシリテーターはハチさんと呼ばれる女性でした。ノイズについて話していたのがいつの間にか、自然の音の気持ち良さに展開していきました。夜のテントで寝ているときに聞こえる鹿の甲高い鳴き声。止むことのない川の流れる轟音。声に出して話さなかったけれど、私はぺんぺん草の音を思い出していました。①ぺんぺん草についているハート型の種を、取り去ってしまわないように注意しながら下に1センチくらいひっぱり、種のすべてをブランブランとさせます。②茎をグルグルと回すと、種がぶつかり合って、パラパラパランという感じの音がします。楽器のように響く音を思い浮かべているとがっかりするくらい小さな音なので、耳のそばで鳴らします。草で音を鳴らせると知ったときのワクワク感は半端なかったことを思い出しました。

初めて出会った人との対話。知らない人同士で過去、現在、未来の時間軸をみつめる不思議。視覚障害の人と、用件以外のことをじっくり話すのも初めてで、自分とはまったく異なる体験を持つ人と同じテーマで共振しあうワクワク感がありました。その場で声を出さなくても、出さなかったからこそ自分の中でいつまでもこだましている話もあります。

人と人がマスクで顔を覆い、足早にすれ違うことの多い昨今。焦りは禁物だけど、ここぞというときに、希望の矢を放っていけたらと思う対話の体験でした。


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