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2024年4月13日(土)イランからの攻撃の夜

「そろそろ大攻撃が来るかもしれない」毎日毎日そう思いながら過ごすのはあまり気持ちの良いものではありません。

4月5日ラマダンの最後の金曜日が終わり、大きな衝突もなく土曜日の朝を迎えた時は少しほっとしたことを覚えています。
それでもそれもほんの一瞬のこと。イランからの大攻撃があるだろうとの予想はどんどん高まっていきました。

13日(土)。主人は朝から友人たちと一緒に南部死海のほとりに泊りがけで旅行に出かけました。子供達も私もそれぞれに異なる予定が入っていて、珍しく家族バラバラの休日でした。

この時期、イスラエルでは翌日から学校はペサハ休みでということで、親の仕事は通常通りですが、小さな子供がいる家庭は学童保育や習い事といった長期休暇用のプログラムに子供達を申し込み、近づく祝日に気持ちが浮きたってもいる時期です。
私の子供達も明日からキャンプへ、サッカーの合宿へとそれぞれが浮かれた気持ちで休暇の予定を楽しみにしていたのです。

この夜、私は友人のライブを聞きにテルアビブに行きました。
攻撃の緊張が高まっていたので子供達だけを家に残してテルアビブに夜遊びに行くのは不安な気もしたのですが、戦争で一度は中止になったライブです。まだ来てもいない、来るかもわからない攻撃にひるんで日常生活を放棄するのはテロリストの思うつぼ。やはり楽しめる時に楽しめる人が楽しんでおかないと!と思い、ライブが終わったらまっすぐに家に帰ればいいと心に決めて出かけたのでした。
 
ライブはアマチュアバンドながら本当に素晴らしい演奏でした。ライブが終わってすっかり良い気持ちになって駐車場に向かう途中、主人から電話がありました。
「ニュースを聞いた?イランからの無人攻撃機がイスラエルに向かってきてるって。イスラエルに到着するまでは何時間かあるみたいだから大丈夫だと思うけど、今どこにいるかなあと思って。
子供達は隣町までそろって出かけてたらしいから、すぐに家に戻るように伝えたよ」と。
せっかくのライブの余韻に浸るまでもなく、イラン大攻撃の現実に引き戻されました。
 
テルアビブから自宅までは車で約1時間。イランからの無人攻撃機がイスラエルに到着するのは少なくともあと4-5時間、場合によっては7時間くらいかかるだろうということであまり焦りは感じませんでしたが、それでも子供達のこともあるので、絶対に攻撃機よりは先に家につきたいと思い、車を走らせました。

主人は今いる場所にとどまる方が安全ではないかということで死海のほとりの村にあるペンションのような貸し部屋で泊まることになりました。
 
家へ帰る道すがらは車を運転しながらずーっとラジオを聞いていたので、頭の中はすっかり戦争一色になってしまいました。
「何百もの無人攻撃機がイランを発ってイスラエルに向かっている」
「あと何時間でイスラエルに届くか正確なことはわからない」
「無人攻撃機だけでなく、ミサイルも発射されることが予測される」
「ミサイルの方が速度は速いから、ミサイルと無人攻撃機が同時にイスラエルに到着するように、時間差で発射されるのだろう」…

ラジオの解説者はちょっとわざとらしいくらい緊迫した声を出しています。
車を運転しながら町の様子に目を向けると、テルアビブ周辺はとてもではありませんが、何百もの攻撃機がこちらに向かってきている場所のようには見えません。
パブは人でいっぱい、自動車が町を行きかい、レストランの入り口には行列です。どう見てもみんな人生をエンジョイしています。
 
とはいえ、そうは見えなくとも、ついにラスボスの登場なのです。やはり多くの人は予定を少し早めに切り上げて、攻撃機到着前には帰宅するのだろうと思いました。
帰りの道すがらも道路は特にいつもと変わりなく皆落ち着いたものでしたが、都会を抜けて田舎の家に帰ろうとする車が多いような、自分がそうだからかも知れませんが、勝手にそんな気持ちでいました。
 
家に着いたら、父親の指示に従って隣町から戻って来た子供達は皆暢気なものでした。
私は子供達に明日の予定はすべてキャンセルになったことを告げました。子供達はそれが不満なので、その腹いせに今日は家で夜更かしをしてテレビを見たりゲームをしたりしたいということだったので、それは構わないといいました。

友人がやってきて、家はさらに賑やかになりました。
あまりにも通常運転の子供達に、先ほど明日の予定がキャンセルになったこととその理由を告げたばかりなのに、彼らはもしや、イスラエルが置かれている今の状況を知らないのでは?という気になり思わず「ねえ、ニュース知ってる?」と聞いたほどです。とりあえず、状況は知っていても落ち着いた振る舞いの子供達には一安心ではありました。

私はこの日は早朝からイスラエルのあちこちに車を走らせていたので疲労がピークに達していました。
睡魔に襲われ、子供達には空襲警報が鳴ったらシェルターに入るように言って、私はシェルターで眠ろうかどうしようかちょっと悩みましたが、自室に入り眠りました。

すぐに眠ることはできましたが、眠りは浅かったです。
眠っていても何度も周りの様子に耳を澄ましていました。
子供達の笑い声も聞こえたけれど、私の聴覚はそのさらに奥から聞こえてくる飛行機の音に集中していました。
それは今までに聞いたことのない音でした。

この戦争が始まってすぐの時も、夜は戦闘機が何度も何度も上空を通り過ぎていく轟音を聞いていました。
その音は本当に絶え間なく、大きくて怖くて、眠れませんでした。
「これは、味方の飛行機の音なのだから大丈夫」と何度も自分に言い聞かせましたが、飛行機が一機遠ざかったと思ったら静かになる間もなくもう一機が接近してくる、それが何時間も続いていることにうんざりしていました。
独立記念日の飛行ショーでは毎年、我が家の上空は北に向かう戦闘機の航路なのでそのイメージが強く、私にはすべての飛行機が北に向かって飛んでいるように聞こえていました。もちろん空軍に行っている友人にはそんなことあるわけないと一笑に付されましたが、私の頭には何百機もの戦闘機が北部の基地に順々に到着していく(そしてそこから南には戻らない)というイメージがあったのです。

けれど、今回は違っていました。
同時に、異なる種類の飛行機の音が、様々な方向から聞こえてくるのです。
半分眠っている脳が認知しているので夢のようなものだったかもしれません。それでも飛行機の高さや速さが違うのがわかりました。
いつまでも深く低くゴロゴロと唸るような音や、比較的近くから位置を変えずに聞こえてくるブーンという音、ゴーッとジェットをふかして通り過ぎていく音、ヘリコプターが連なって飛んでいくような音も…これほど疲れていなければ外に出て空を確認していたことでしょう。こんなにたくさんの飛行物体が一度に上空を飛んでいて、事故は起こらないのだろうかそんな風に思いながらウトウトとしていたのです。

夜2時に主人からメッセージがありました。
「家の皆はどうしてる?」というものでした。
「皆寝てるけれど、そっちは?」
「空襲警報があって、迎撃がすごかった。シェルターに移動したよ。そっちの近所のアラブ人の街にもミサイルが落ちたって聞いたけど、何かあった?」
「こっちはとても静かだけれど、本当に?」
「とにかく、こっちは大丈夫だったから」
「アラブ人の街って、どの街?」
返事がないままでしたが、とりあえず大丈夫だったということで私はまた、眠りにつきました。

結局私は空襲警報を聞くこともなく、シェルターに移動することもなく、朝を迎えました。
子供達は友人と一緒に夜遅くまでゲームで遊び、おしゃべりに興じ、今はぐっすり眠っています。
とりあえず、普通の朝がやってきたのでした。

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