オリジナリティの背景に広がる、大衆心理という思い込み

ヒトと違う視点を持つという事を大事にしてきたし、そういう発想自体が気持ちいいと感じていたし、そこに自身のアイデンティティなるものを感じていた。流行り物の持つ一過性の衝動のようなものが苦手で、〇〇がブームだと聞くと「ちょっとかじってみたい」という気持ちをグッと抑えて、それらを敬遠していることが多かった。ブームに乗っかって始めたものもあるけれど、「それらは心身にとてもいいんだ」なんて言い訳をしながら(本人としては、ロジカルな整合性を保っているつもりで)受け取ったりもしていた。
その代表格がサウナであって、敬遠したブームはタピオカだ。タピオカは意地でも飲まなかった。

とまぁ、なんだかブームのような根っこのない大衆心理に基づく商行動のようなものを避けたいという欲求がある。これまでは、自身を天邪鬼として形容していて、それをちょっと気持ちよく感じていた。

しかし、最近の自分の行動を振り返ってみると”アンチブーム”に偏り過ぎている気がしてならない。お祭りへの参加を避け、人がたくさんいるところに寄り着かず、新装開店の行列は行列が落ち着いてから訪ねてみたりしている。これでいいと思っていた。

しかし、まさに今朝、ハッと気づく。あえての大衆心理と呼んでいるものから避ける行動は、めちゃめちゃ大衆心理に引っ張られているではないか、と。大衆心理を避けるという深層心理には、「自身のセンスを大事にしたい。その知識や経験や感性によって、自分にとっての善悪を線引きしたい」という欲求があったはずなのに、すごくすごく表面的なレイヤーでの判断をしてしまっていた。もっと言うと、体感する前にそれら新情報を避けることで、自身のセンスを磨くことなく何年も過ごしてきてしまった。

今こそ、ブームとは情報の波であると再認識をして、一次情報を受け取りに行く活動をしてみていいのだと思った。僕が描く終末の自身「かっこいいじじい(KG)」になるために、もっと現状の心を解き放っちゃっていいんだよ、と。

今朝の夢の備忘録、偉大な経営者のかっこいいじじいに話を聞けるタイミングがあって、そのかっこいいじじいはかれこれ20年ほどソバ打ちを趣味にしていると言っていて、自分専用のそばを振舞う別荘を持っているほどだった。「僕はソバを打ち始めてから、人生が劇的に好転したんだ。これは商売ではなく、趣味で取り組んだことに凄く意味があった」と言っていて、なんだか感銘を受けたし、ソバは超絶美味しくて、自分もソバ打ちか、と思っていた。
場所は変わり、その偉大なかっこいいじじいとの車中での移動の際に、自身の身の上話を「地域のもったいないを価値に変えることをしていきたいんだ」という話をしていた。そうした時に、フードとドリンクのコンビネーションの素晴らしさってあるよね、という話題からアペタイザーを極めるのは素敵だよね、というアドバイスを頂戴した。至高のドリンクとオードブルの組み合わせを見つけていくこと、膨大な組み合わせの数々。面白そうであるし、そのキーワードに思わず涙があふれた(夢の中で)。そうした歓喜の涙の中、今朝は目を覚ましたのである。

そうした夢の跡、僕は自身のセンスというものに向き合いたかったんだなと、想いが降ってきたのである。

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