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トヨタ物語 ウーブン・シティへの道|第35回 池渕浩介の記憶

■トヨタ生産方式は完成されていた

 ――僕が入る前、昭和25年(1950年)から30年の間に大野(耐一)さんはずいぶんと力を入れて、トヨタ生産方式を導入したんです。最初は機械工場を中心に猛烈にやった。昭和27年に役員になって全工場を見るようになってから、塗装から車体、組み立て工場まで、うまくつなげるようにした。僕らが入った時には本社工場の流れは全部できてました。

 ベルトコンベアだけではなく、上から吊り下げるチェーンコンベアやキャタビラコンベアを駆使して、大型トラックやランドクルーザーを混載で流してたんです。本社工場のレベルは高かった。トヨタ生産方式の指導は今よりも、むしろ徹底していた。

 ただ、ラインを止めるのが難しかった。昭和28年頃には(第5代社長を務めた)豊田英二さん、大野さんがラインを止めろと言っても、現場はなかなか止めずに「ただ傍観するのみ」。そこだけが大野さんは悔しかったんじゃないかな。

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