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満足の見極め

「会社を大きくしたい」「カネ持ちになりたい」「有名になりたい」といった一般に散見される具体的な欲求は、わかりやすく、それを心に保ち獲得を盲目的に目指す過程は居心地よいものと想像する。他方、「満足したい」「楽しみたい」など、心のありかたを目的に定めれば、途端に対処が難しい。どうしたらよいのか。

僕は、数年前まで前者のみを考え、以後、今日に至るまで後者にアタマを使い続けている。自分を楽しませる方法は何だろう。

たとえば僕がいま会社を創業しそれが2.5年のうちにIPOまでたどり着き、時価総額80億円・創業者持分60%相当の48億円を手にし、経済社会から称賛を受けたとしても、全く嬉しくない。カネがあっても使い所がないし、他人からの評価は煩わしい。以前の仕事柄、そこに至るプロセスは具体的に想像できる。楽しさとは無縁のストレス溢れる日々だ。いま日記に書いているような毎日、調理・芝刈り・勉強・読書・森観察のほうが、過ごし方として遥かに好ましい。

具体的な目標は、自身を強く動機づけ、それに達するために必要な努力の燃料を醸成する。悪くない。ただし、プロセスの日々に価値はあるのか。さらには願望を手にしたとき、自分がどのような気持ちに至るのか、きちんと評価すべきだろう。「つらい日々を我慢して、やっと手に入れた。...で?」

カネを使ってどうするのか。会計士試験に合格してどうするのか。出世して、IPOして、有名になって、クルマを買って、海外に出て、人と付き合って、田舎に移住して、...で?

自分がどのような状況に満足と楽しさを見出すのか、まずはよく観察する。次に、それを最も期待値高く実現する具体的な方法を考える。すぐには辿り着かない。日々、少しずつ、近づいていく。

僕はキャリアの初期に長い時間をかけて前述の発想に至り、熟考をかさねた。具体的にはもう各所に書いているね。「nagabot氏は毎日楽しそうで羨ましい」と言われることがあるけれど、それはもちろん、そうなるように生きてきたから、当然といえば当然である。目的地が遠くても、歩いていればいつかはたどり着く。多少の軌道修正があっても、想像と計算を繰り返し、とにかく満足に近づく。

自分の満足とはなにか。そんなことばかりを考え生きてきた。
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