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セックス依存症者の私から見てジャニー喜多川氏がセックス依存症であっただろうと推測する点。


はじめに

🔴私は医療従事者ではありませんので、ジャニー喜多川氏がセックス依存症だっただろうという話は、あくまで私の推測の域を出ません🔴

私は性的なトラブルや不倫、性犯罪などには性依存症を疑っています。
それはお酒の飲みすぎで事件を起こす人に対してアルコール依存症を疑うのと同じです。
世間でも薬物事件ではほぼ100%薬物依存症を疑うのが当たり前になっていますよね。
(中には薬物で逮捕された人の中にも、依存症ではない人もいるはずなのにです)
私は性依存症について知れば知るほど、性的な事件に対してはまず性依存症を疑うことが正しいと考えるようになりました。

話します。私は性依存症者の津島隆太です。

普段、性依存症自助グループではこのような挨拶から話し始めます。グループの仲間たちは、その挨拶を受けて「ハイ!津島!」と返します。
これも海外自助グループの流れから来ている習慣のようです。

さて、昨日ジャニーズ事務所がジャニー喜多川氏の性加害について公に謝罪をしました。
現在取締役の藤島ジュリー景子社長は「知らなかった」との回答でした。
その謝罪動画はつらくて直接観れておりません。書き起こした文字だけを読みました。
取締役なので当然ではあるものの、姪が叔父の性加害について謝罪するという状況が私には心情的に見るに堪えないものでした。

これは依存症者の家族が依存症者の犯罪や問題行動について謝罪する構図を想起させるものだからです。

痛々しい。
悲しい。
やるせない。

いまさら家族が謝ったところでどうにもならない。
証拠も残りづらく、過去の性犯罪は解明されないまま終わってしまいます。

せめてこの事件がきっかけで性依存症の認知でも広まってくれれば、まだ救いはあるのに…。

と思わずにはいられません。


なぜ、私がジャニー喜多川氏が性依存症であっただろうと思うのか。


ミソジニー・ミサンドリー(異性嫌悪)


私はセックス依存症者であり、自分自身もこのままなら性犯罪を犯していたに違いないと強く感じたことがあります。

性欲が怒りになった瞬間

これはもちろん「性欲過多」で怒りになったわけではありません。
現在、私は6年以上セックスをしていませんし、自慰などをしていなかったり、性的表現を見て性欲が強くなったとしても全く怒りにはなりません。自己憐憫にもならなくなってきました。

そもそも、このときまで過剰な性欲が怒りになったことはなかったんです。

このときはハンマーちゃんから暴行を受けたあと、浮気の疑いを晴らす弁解の余地すらなく、一方的に悪者にされたことから「女性への怒り」ミソジニーが強くありました。(現在もまだあるかもしれません)

話し合いの機会を設けようとしても私の方から会おうとすれば「ストーカー」と言われ、ハンマーちゃんの親からは「もう会ってはいけない」と言われていました。
しかしその後、ハンマーちゃんの方から私の前に現れてハンマーとバリカンで襲ってきたんです。
その暴行ですら「なんで抵抗しなかったんだ」「愛があるから暴行した」「ただのケンカだ」と言われました。
これが男女逆ならあり得ません。
はっきり言えばハンマーちゃんが男性なら、このときにストーカーや殺人未遂犯として逮捕されていたことでしょう。

私は「男性だから」で一方的に悪者にされて、それを当たり前のように受け入れてしまっていました。
このマンガの読者でも私が男性だからという理由で「性犯罪者・性加害者である」と思っている人はとても多いです。
Twitterでも何度か「え?あんたは加害者だろ?」と言われたことがありました。
自尊心を取り戻した今だからこそ言えますが、私は加害者でも犯罪者でもありません。

話はジャニー喜多川氏から少し逸れましたが、この異性嫌悪(ミソジニー・ミサンドリー)は性依存症者にはよく見られる傾向なんです。

かつてジャニーズ事務所に所属していた木山将吾氏が出した暴露本「Smapへ」では、ジャニー喜多川氏が子供たちに裏ビデオを見せて女性器は醜い!と言ったというお話があります。

小さいこと(?)かもしれませんが、まずジャニー喜多川氏にもミソジニー(女性嫌悪)があったのではないかと思うのがひとつあります。

通常の性欲を逸脱している

私はつい「通常の性欲とはなんじゃい…?」と定義について考えてしまいそうになりますが、ここでは生殖のための生理的欲求とさせてください。
私個人的には40歳を過ぎて、性欲自体は減ってきたなと感じています。

前回も性依存症と性欲はあまり関係がないというお話をしましたが、性的な問題行動を客観的に観察するとき、性依存症とまではいかないまでも人間の性行動には性欲以外の欲求が関与していることが多いです。

・寂しいから
・自分に自信を持ちたくて
・仕事のストレス解消に
・新しいプレイを興味本位で
・相手を支配・復讐するため

性的な問題行動には主にこのような理由が絡んでいたりします。

これって…性欲とはちょっと違うと思いませんか?

もちろん性欲0というわけでもないのですが、例えば仕事のストレスや悲しいことがあってドカ食いしてしまうのは食欲ではないですよね?通常の食欲を逸脱していますよね?

人間はなぜか性的な問題行動については感情的になってしまうからか、性欲以外の問題に目を向けることができなくなってしまいます。
「あいつはエロい変態だ」
それで済ませてしまうんです。

ジャニー喜多川氏の事件についても、ジャニー喜多川氏が単なる変態であるという話に矮小化されていないでしょうか?
おそらくそれはジャニー喜多川氏自身も自分はこういう人間なんだと思い、自身の心の病や問題に目を向ける発想すらなかったのではないでしょうか。

これは同性愛の問題でもありません。
稀に同性愛者だから強制性交をしたという考え方をする人もいますが、それは同性愛に対する偏見であり、同性愛の方々に失礼なだけです。
異性愛者だからといって強制性交はしませんし、同性愛者だからといって強制性交もしません。

では、私がジャニー喜多川氏のどこに通常の性欲を逸脱した箇所を見出したのか

それは年齢と回数と人間関係です。

年齢

年齢については、私以上の年齢の方に反論されてしまえばそこで終わりな気もしますが、やはり高齢になって憑りつかれるように性行動をするのは通常とは考えていません。

私が性依存症自助グループにつながったとき、性依存症の仲間には70代以上と思われるご高齢の方々がいらっしゃいました。

性依存症のグループセッションに入る津島
性依存症のみやびさん63歳
木目さん

私のマンガには年齢によって性的に不能になっている方は出て来ておりませんが、実際の自助グループでは「もう性的には不能になっているけれどやめられない」という方もいらっしゃいました。

そこで私は「ああ…性依存症は永遠に続く不治の病なのだ」とショックも受けました。

これも私が性依存症は性欲とは無関係ではないかと考える要因のひとつです。
つまり勃起はできないけれど、オーラルセックスや道具などを使った性行為がやめられないんですね。
ジャニー喜多川氏も昔の性被害告発では挿入行為がありましたが、最近の性被害告発ではオーラルセックスにとどまっているようです。
かなり高齢になってもその性行動は止まることがなかったんです。
もう、これって通常の性欲じゃなくないですか…?
私自身も、年齢から落ちた性欲とは無関係にストレスや虚無感からの性衝動を感じることが強くあります。

回数

ジャニー喜多川氏から受けた性被害告発では、ジャニー喜多川氏が寝ている少年たちに次々に襲い掛かるというお話もありました。

私も耽溺していた頃はどんどん回数は増えるばかりでした。
私だって昔から性依存症だったわけではないので、前回も話しましたが若い頃は1日1回が限度でした。
オーラルセックスだとしても、やはり1回したら普通は満足しないでしょうか?
回数が多い=性依存症ではないのですが、疑う部分のひとつではあります。

人間関係

これは性依存症者の認知の歪みについて着目したとき
だいたいついて回るのが、歪んだ人間関係の作り方です。

先にお話した性欲ではないセックスの中に
・相手を支配・復讐するため
というものがありましたが、それです。

性依存症者から聞く逸脱した性行動の理由には、相手を支配したいという支配欲が絡んでいることが多いです。

私自身にも思い当たるフシがあるのですが、新たに人間関係を構築するときに
性がないと安心できないんです。

なにいってんだ?と思われる方も多いと思いますが、これはかつて性被害に遭った人間に見られる兆候でもあるそうです。

性被害を受けた人が性で対人関係を築こうとしてしまう
成人後もそれは続く

ジャニー喜多川氏がかつて性被害を受けたかどうかは、もう確かめようがありません。
ただ、ジャニーズ事務所の新人に対して性行為での関係を作ろうとしていた部分(拒否されれば諦める)は、対人関係を性で築かなければ安心できない・気持ち悪くなってしまうという状態だったのではないかなと私は思ってしまうのです。
ただただ若い人が好きだったという話だったのなら、特に反論もありません。
もちろん性欲も0ではないでしょう。
できればジャニー喜多川氏が生前に確かめる機会があれば良かったのにと思います。

また、BBCの取材でジャニー喜多川氏がグルーミングをしていたという説もあり、被害者のハズの男性が「私はジャニー喜多川氏は嫌いじゃない」と言っていた件もあります。
グルーミングとは性行為を狙って人間関係を優しくしてコントロールしてゆく行為ですが、グルーミングって全てが意識的ではないと思うんですよね。
何十年も意識的に用意周到な犯罪なんて疲れますよ。
そこまでいけばもはや依存症による習慣化ではないかなと思うんです。
あと、依存症者あるあるで「飲んでないときはいいひとなのに」というのがあります。
私も普段は物静かなタイプですが、性行為になると豹変するとよく言われました。

相手を性的に支配しないと安心できない

私が普段からひとに優しくするのは「優しくしなければ嫌われてしまうから安心できない」という部分から
私がセックスのときに異常に過激になるのは「相手に強い快楽を与えなければ嫌われてしまうから安心できない」という部分がありました。

セックスでは相手が気持ちよくなかったら普通に終わりじゃないですか…。セックス下手とか、性的に弱いなんて思われてしまったらどうしよう…って。

つまり対人関係で常にビクビクしているんです。
嫌われたくないんですよ…。

こうして歪んでしまった性行動は、認知の歪みによって強化されてゆきます。


性依存症における認知の歪みとはだいたい問題的な性行動の正当化に使われます。
性依存症の仲間から不倫などでよく聞くのが「稼いでいるからいいんだ」です。
不倫や問題的な性行動が過酷な労働の対価だと言い張るんです。
まあそんなワケはないので普通に離婚裁判になって負けています。
または経済的な理由で逆らえず、必死に耐えたり諦めている配偶者の方々もいらっしゃると思います。

ジャニー喜多川氏の場合もジャニーズ事務所という会社が大きくなるにつれ
誰も逆らえなくなってゆきました。
告発者が出てもテレビ局はことごとく無視しました。
ジャニー喜多川氏が死去してからようやく最近報道されるようになったぐらいです。

依存症はこのように社会的な認知の歪みも大きく関与しています。
(お酒で言えば”飲みにケーション”や”飲んで鍛える”という社会的な認知の歪みがありました)

この「金のため」という思考に陥っている方は現在も大勢いるので、未だにこの性加害とジャニーズの経済効果を絡めて擁護する人もいるのではないでしょうか。

認知の歪みは加害者を更正させる機会を奪ってゆきます。
もはや本人に問題行動を止める力は失われてゆくんです。

ジャニー喜多川氏が死去するまで性加害がずっと続いてしまったことも依存症がもつ社会的な背景があるのかなと思っています。




おわりに


ジャニー喜多川氏が私と同じような人間であったかなんて、私からは全くわかりません。
性依存症ではないか?という疑いをかけることが時に人を傷つけることもあると思います。
ただ、すでに被害者が出ている事件、不倫でもそうだと思います。
こんなことはない方がいいんです。

被害者が出ていることについては性依存症を疑うことを許して欲しいです。

厳罰化しよう!
防犯に気を付けよう!

それも結構だと思います。

でも、どうでしょう。
もうみなさん充分防犯について頑張っていると思います。
これ以上、怯えて暮らさなきゃいけないんでしょうか?
少年少女がもっと性犯罪被害に気を付けて生きていかないといけないんでしょうか?

それよりもこれからするべきことは、加害者側に向けたアプローチではないでしょうか。
それは性依存症に関する認知を広めることです。

厳罰化で犯罪を防ぐことも難しいんです。
厳罰化の末、より危険になってしまう側面もあります。

私自身が性犯罪者になってしまいそうだと感じたからこそ
そして今なんとか踏みとどまれているからこそ
これらを強く思うんです。

被害者を生まないために、加害者を生まないことから始めましょう。
お願いです。


私のマンガ
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