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クズはどちらも

 以前からセックスができないこととその理由は説明していた。自分を触られる感覚も耐え難いし、人のものに触れるのもゾッとする。手を繋ぎキスをすることはできるけれど、自分から求めることはきっとない。気持ちが悪いし、性欲がない。そんな人間が人を縛っていいわけがない。だから恋人は作らない、と。
 それでもいいから私を愛しく思うのなら恋人にしてほしい、と言ったのは彼女だ。押しに押され、私の詰めの甘さも相まって恋人同士にはなったものの、やはりそうするべきではなかった。
 初めは私の状況を理解しようと努めていた彼女も、付き合いが長くなるにつれて友人たちの「求めないのは愛していないからではないか」「愛していれば自然と欲しくなる」「いいように隣に置かれているだけでは」といった言葉に不安と不満を駆り立てられ、しばしば求めてくるようになった。彼女と友達だった半年に何度も説明した内容を改めて繰り返し、愛と身体的接触はイコールではないと言葉を尽くすしたところで意味は成さず、日を追うごとに彼女はエスカレートしていった。

 埒が開かず、彼女を抱くことにした。私から手を握り、引き寄せ、キスをした瞬間、彼女は泣いた。何を泣くことがあるのかと困惑していれば、彼女はいつの間にか泣き止んでいてにっこりと笑った。「やっぱりできるんじゃん」と言いながら、着ていたシャツを脱ぎ、「こんなことなら綺麗にしてくればよかった」と少し恥ずかしそうにしていた。いつだって綺麗にしていたくせに。恥ずかしそうにするのに自分から服を脱いでしまえる感覚は理解できなかった。
 そこからは知っている手順を踏んで、だいたい今だろうと思うタイミングで全部脱がせて、自分も脱いで、いつだかの映像で見たとおりに彼女に触れた。早く夜が来て朝が来ればいいのにと思った。

 私のお腹に頭を乗せた彼女は、うつらうつらとしながら私の臍の淵をなでていた。冷えるからと彼女に脱ぎ捨てられた服を渡すと、「もう?」と言いながらもいそいそと下着を身につけ服を着た。なぜセックスをする時は服を脱ぐのだろう。他人のお腹の肌が私は大嫌いだ。犬やカエルの腹と同じに見えて気持ちが悪い。
 また彼女は「できるじゃん」と言った。その振動が耳に入って音になった瞬間、自分の中の最後の一滴が落ち切ったのを感じた。

「愛してるって気持ちだけじゃだめ? 抱きしめて、キスして、セックスしないとだめかな...」
「愛してるなら、犠牲も厭わないものじゃない?」
「壊れてでも?」
「いいよ。壊れても私が愛してあげるから」
「私は壊れた君は愛せない。だからごめん」

 私は潰してなかった段ボールを持ってきて、彼女が持ってきては勝手に置いて増やした彼女の服を投げ入れ、バッグと一緒に玄関先に放った。私の洗面台の収納のほぼ全部を占領していた彼女の化粧品をビニール袋に詰めて、服の上に置いた。割れられても困る。
 彼女は短時間の間に怒ったり、泣いたり、私を宥めたり、縋ったり忙しそうだったが、ずっとそこにそんな顔でへこたれていられても邪魔だから腕を掴み上げて立たせ、追い出した。彼女のカバンから合鍵を回収するのも忘れずに。
 彼女は、女の私でも難なく投げ飛ばせてしまえるほどに軽かった。

 恋は覚めるものかもしれないが、愛は冷めるものだ。
 彼女からは謝罪や怒り、恋しさや寂しさを含ませたありとあらゆる連絡が送られてきたが、どれにも目を通すことなく、ブロックしてプロフィール自体を削除した。彼女との関係性によって広がった交友関係の全ても断った。元々彼女とはSNSで知り合って、電話もLINEだったから、彼女は私の絶対の連絡先を知らなかった。知っているのは絶対の所在である家だけだったが、押しかけられて面倒だったから彼女が仕事をしている平日の昼間に引っ越した。行ったことも話に出したこともない街に。もちろんSNSも全て消した。もう彼女の知っている私について、インターネット上の情報が更新されることはない。

 涙は最後まで出てこなかった。むしろ、今までずっと便秘で下っ腹が張っていたのを下剤で全部出しきったような、二度と関わることのない女とのそれまでごとが流れていったような、そんな清々しさがあった。そうしてできた空間に欲が収まってくれたら、なんてあり得もしないことを考えたりもした。
 もうこれ以上、このことについて思い出すことは何もない。

たのしく生きます