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帰途にて

東京が近い。あと30分で着陸態勢に入るだろう。

動悸がする。


怖いことが嫌いだ。恐怖心は私を子供にする。かすかに震える身体にガチガチの腕を添えて耐えるしかない。本当は頬のあたりに重たく溜まってきた涙を出してしまいたいし、エチケット袋に吐いてしまいたい。
心が強くないバージョンの私が、みぞおちで大声で叫んでいる。「帰りたくない、ひとりになりたくない、誰も帰ってこないところにひとりはこわい」と。
怖くない、怖くないよと背中をさすってやっても、そう声をかけている心を強くあろうとするバージョンの私だって本当は怖い。これから帰る場所が真っ黒な口を開けて待っているような気がする。飲み込まれて、暗いところに送られて、毎日雨の降る前の分厚い雲に包まれるような映像が頭の中を支配していく。


休むとはなんだろう。とても休んだし、まだ休むことになっている。不安になることはしばらく起こらない。気にしなきゃいけない他者も社会も組織もない。まっさらでいていいと四方八方から言われているのに、何を怖がることがあるだろうか。
でも怖い。不安。薬に依存しやすい自分を知っているから、頓服になった不安解消の薬は今はまだ飲みたくない。家についてからでいい。預けたキャリーケースに入っているから、どのみち空にいる間は手元にない。

自分が何かの病気だと診断されたから何だ。今までの私もおそらくそうだっただろうし、それまでは病名がついていなかったのだから、今の私だって、正直どっちだっていい。ああそうですか、と言う気持ちしかない。
ただ、明らかに怖いと感じた時に私の中の子供が前面に出てくるようになっている。たぶん、しっかりしていようとする私が薄れたのだと思う。無理をする私の存在感を薄くして、可能な限りなくすことが私が4月にやりたいことだった。おそらくこれはうまくいったのだと思う。

今飲んでいる薬のおかげもあってか、(幸か不幸か)、集中力の第一段はまず1時間で切れて、第二段以降は30分以上持たない。
切れそうなのを押して続けようとしても、怠けバージョンの私が出てきて「やーーーめっぴ!」と大の字で寝転ぶのだ。
信じられないけれど、本当に私の中で起こっていることで、私が一番信じられない。没頭すればどこまでも集中できる人間で28年間生きてきたし、集中力が切れて戻せない人が理解できなかったから。
まさかこんなことが自分で可能になるなんて、思ってもみなかった。


恐怖の感情に怯える子供を私は今まで力で抑えて生きてきたから、この子供との付き合い方がわからない。寂しい苦しいと泣く子供とは、散々対峙してきたので無視するなり相手するなり何かしらの対応は取ることができるのだけれど、怖いと固まり涙を堪える子供は初めて認識したから、どうしたらいいかわからない。正直お手上げだ。

3月に急に私の前に出てきて、それもそこそこ大きな子供で、ガタガタと震えて移動させることもできないくらい身体が固まってしまっている。目は私を見ないで真っ暗な穴のようになっているし、口はギュッと結ばれているし、指の一つも動かないし、己を守るように抱きしめている腕はぎゅうぎゅうにされて血の通りが悪い。青白い大きな子供が、ガタガタと震えている。


着いた。全然大丈夫じゃない、怖い。
大丈夫じゃない私が、今の私は受け入れられない。
嫌いだ。

嫌いな私が増えていく。

たのしく生きます