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私と野球 高校野球編

こんにちは、T(sba924)です。

高校野球編について書こうと思います。
中学でそこそこの結果を残した私は高校は当初私立の強豪校に進学しようとしてたのですが、どうしても親の許しを得ることが出来ず公立の中堅校に進学することになりました。(進学しようとしてた私立高校は3年の夏に石川大会決勝で星稜と伝説の試合をした某高校) 

まず入ってバッティングで猛アピール。1年の4月からA戦の試合も何回か連れてってもらえて何故かスリーベースを量産することができ、順調な滑り出しでした。

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しかしある時私を悲劇が起こります。外野をしてた私はセカンドへの近い送球、軽い返球が苦手だなとは感じてた野ですがある日大きく抜けた球を投げてそこからイップスが発症しました。キャッチボールもまともに指にかならなくなってきてワンバン、抜けるなどの症状が出てきました。授業中から野球のことを考えたら手汗がひどい、手が締め付けるような感じがするなどひどい状態でした。

野球をする前にキャッチボールをできるようにしようと思っていろんなことを試すところから始まりました。先生もいろんなメニューを考えてくれて、当時の私に効果があったメニューをいくつか紹介してみます。
・ボールを3本指で握る
二本指と比べて安定感が増し投げやすくなる為

・実際投げるより低いところ、高いところを目掛けて投げる
これはその日の症状に合わせて使ってました。
ライナーの球を投げれなくなってた私に「どこに行ってもいいから空に向かって遠投するように投げてみろ」と言われそのイメージで投げて綺麗なライナーの球が蘇った喜びは今でも忘れられません。
脳内で大きなエラーが起きてたのだと思います。

あれこれしてるうちに4ヶ月ほどでイップスはだいぶ改善されスナップスローもマスターすることができました。
ここから私のまともな高校野球生活が始まったと思います。
外野が多かった為、ファーストに回されたわけですが打力を買われ1年秋から試合に出るようになりました。

4番→6番→9番と後に打順が下がってくわけですが。笑
当時は中距離ヒッターで高校通算ホームランは1本のみでした。

私の高校は監督が野球の勉強をよくされてる方で知識のアップデートを欠かさず行ってました。
冬場はウエイトトレーニング(非線型ピリオダイゼーション)身体操作トレーニング、インターバル走、ダッシュ、ラダートレーニング、いろんなメニューで1日のトータルスイング1000本以上
知識が多いだけに色んなことをやったわけですが1日に詰め込んでたが故に効果は薄くどんどんカタボリックを起こして痩せ細っていきました。
若い先生だったのでこの頃の経験を糧に今はもっといい指導をされてるはず。

こんな感じ昭和と平成のトレーニングが混ざったような時代でしたが、みんな技術はそれなりに伸びました。
しかし私自身3年になってからは腰椎分離症で出遅れ人生初のレギュラー落ち。体がダメージに耐え切れませんでした。
いつの間にか代打の神様的なポジションになってました。全速力で走れないので打って塁に出たら代走とか。笑

三年夏は背番号は13ながら9番ファーストでスタメンに抜擢。
9番だから舐められてるのか、それなりに打って活躍することができ、2年連続夏ベスト8に入ることができました。

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良いことも悪いこともあった高校野球でしたが最後はいい思い出ができたので良かったと思います。
あまりにもきつかったので、もう2度とやりたくはありませんが。笑

高校野球で強靭なメンタルは身に付いたと思います。

多少のことでへこたれなくはなりましたね。

本来のスポーツの目的、定義とはズレてて時代錯誤な部分もあり賛否両論ある高校野球ですが、僕はやって良かったなと思います。
人生の糧になるのは間違いないと思います。

お読みいただきありがとうございました。

※この記事は投げ銭制です。

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