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yup9849
2024年3月16日 18:03
今年95歳になる父から、昭和20年8月6日の話を聞いたのは新型コロナが蔓延していた最中だった。原爆投下時、広島駅近くにいた事。すぐさま北の方角に歩き続け、辿り着いた芸備線の駅から貨車に乗り、岡山県まで帰り着いたと。驚きだった。併せて、あえて戦争や原爆を子どもの私たちから遠ざけて育ててくれたのだとも感じた。偏見や差別から守ろうとして。私は父があの日見た風景を感じたく、芸備線に乗りに行きたいと思うよう
2021年8月15日 11:31
私は焦っている。赤字ローカル線のひとつ、芸備線の存続問題のニュースを耳にしてからは、この気持ちが一層強くなっている。 それは一昨年、父が初めて口にした、昭和20年8月6日の自身に起きた話に始まる。16歳の父は陸軍経理学校受験のため列車で岡山から広島へ。そして早朝、広島駅から北西の小学校に向かった。試験開始までの時間を、日差しを避けるため校舎に挟まれた日陰の校庭で整列して待っていた。一瞬、瓦やガラ