学生が受ける生活支援の重複受給についての雑感

一部界隈では話題になっている「博士課程の生活支援,重複受給が4割に達し,財務省がムダを指摘している件」について「ベテラン重複受給学生」が駄文を残そうと思う.官僚の方々がこの文章を読むわけはないと思うが,学生側からの証言としてネットの海に投げておくことにしよう.

  • 筆者はこんな人間 ↓

  • 学部時代・・・「民間給付奨学金と日本学生支援機構の給付奨学金ダブル受給かつ4年間授業料免除」で個人の実質出費ほぼゼロで大学卒業.

  • 現在・・・大学院修士課程在学中.「大学独自の給付奨学金と民間給付奨学金のダブル受給」で新卒の手取り(大卒基準)に近い金額を得て生活.

まさに,「ベテラン重複受給学生」だろう(笑).財務省からは「こんなやつがいるから〜」と槍玉に上げられるレベルかもしれない.

実際,上記を読んだ方の中には「お前,奨学金で楽して生きてるやんw」と思った方もいることだろう.

正直,それは一面の真理だ.全否定はできない.自分より苦しい思いをして大学に通っていた人たちをたくさん知っているから,その指摘に表立って反論はしない.(現状,給付奨学金をもらうには厳しい家計条件が〜とかはあえて言わないでおこう.)

完全な主観になってしまうのだが,今の学生で,最もお金に苦労するタイプの人間は「中途半端に実家が裕福」で「弟妹がいる」の片方ないしは両方を満たしている人な気がする.

こうした人たちは実家が少し裕福であるが故に(民間含めた)給付奨学金制度からこぼれ落ち,授業料免除も採用されにくく,されとて親からは「あまり仕送りは送れない」「弟妹のことも考えて」「留学?自分でバイトして」と言われてしまい,「自分のやりたいこと(学業etc)」を満喫できないまま就職していく.

こうした人たちは例外なく,優しくてかつ,優秀な人たちだった.自分たちが対して金銭的支援を受けられないことを知ってもなお,「それでも成し遂げてやる!」という強い思いを持った人たちに出会うたび,「将来の軸もない,こんなつまらない自分がたくさん奨学金をもらってしまっていて良いのだろうか?」と思わされたものだった.

だが,受給をしている側からすれば,奨学金には「明日の生活がかかっている」から,自分が複数受給している分が他の学生に回ったら,多くの学生に支援が行き届くだろうとわかっていても必死になって譲らないし,譲れない.自分が採用された代わりに不採用になってしまった人に対して,心の中で申し訳程度に「どうもすみません」を呟くだけだ.

結論を言ってしまおう.現状学生をしている人間から官僚の方々に,(あるいは学生への金銭的支援をしてくださっている財団の方々に)お願いしたいのは,「一人でも多くの学生がちゃんと学業に臨める環境支援」.たったそれだけだ.

今一度この基本に,金銭的支援を行う根本目的に立ち返ってほしい.この目的に対して,あなたがたの提言は,支援はマッチしているのだろうか?改めて考えてもらえると学生としては非常に助かる.


2.複数の支援の重複受給について 各大学の本部において、他の経済的支援の受給状況を 勘案しながら、各経済的支援への推薦等を実施すべき。実質的には給付に相当する無利子奨学金の返還免除は、フェローシップ事業等との重複を原則として認めず、できるだけ多くの学生に支援が行き渡るようにすべき。

令和4年度予算執行調査の調査結果の概要(7月公表分) 財務省

最初の一文は一見わからなくもないように見えるかもしれない.予算が限られる中で多くの学生に支給するためには,重複支援はまずいという主張は,良さげに聞こえる.

しかし,すでにネット上で数多く指摘されている通り,「支援金額から年間授業料を除いた分が手取り」だから,「複数受給しなければ生活できない*」というのが学生の現状である.(博士課程の学生ではないが,私もそうだ)

重複受給を認めないとするのであれば,それ単独で生活できるレベルの金額が支給されなければ学生は安心して学業(研究)に取り組むことはできない.

複数の金銭的支援制度を利用するのは,修士・博士課程学生が自活しようとするなら常識なのだが(少なくとも自分にとっては),どうやらそこは官僚の皆様には全く知られていない(か見てみぬふりをされている**)らしい.

重複受給を認めなかった場合の「対公務員指数」を一度計算してみてほしいものだ.

口が悪くなってしまったが,要するに「現状の支援金額のまま」「重複受給を認めない」という方針にしてしまうと,学生側には「安心して研究(=やりたいこと)ができなさそう」という印象を与える,ということだ(これから先,博士課程に進学しようと考えている学生に対しては特に.少なくとも自分はそう受け取ってしまう).

単純に,金銭的支援の「質か量か」の議論に落とし込むなら,両方に決まっているはずなのだ.いみじくもこれからの日本社会を背負って立つような人材を育成するための投資なのだから.ただでさえ高くない質を下げてまで量を増やす必要があるのかどうか,これを第一優先にして,慎重に検討し直してほしい.

ぶっちゃけ,「経済的支援の受給状況を一元的に把握する体制の構築」に突っ込むお金があるならそれを学生にまわしてくれよっていうのが本音.また,その一元的管理体制を維持する事務負担の追加予算の当てはありますか?頼むから大学側の事務負担を増やさないであげてよ?・・・

よろしくお願いします.(誰にお願いしてるんだよw)


*実は在学確認だとか追加の募集が云々だとかで,自分が今年の6月からもらうはずだった給付奨学金の支給が7月末までずれ込んだ.我々学生はこうした「ちょっとしたアクシデント」で詰みかねない,ということはあまり知られていないように思う.日々目減りする貯金と来月の生活費とを照らし合わせ,時に,友人達と「今月大丈夫?」「やばいかも」と確認しながら,不安を覆い隠して研究する.こうした実情は生存バイアスに阻まれて表に上がってこないことも多い.だが,見ている学生は先輩のそうした姿をしっかりと見ている.だから,ひっそりと,だが確実に,「自分の研究でいつか社会の役に立ちたい」,あるいは,「何か真理を解き明かして後続の研究の土台に」,という思いは集団的にすり減らされてしまうのだ.

**毎度「少しずれてない?」というお役所提言を見るたびに何か表立って言えない圧力とかの影響があるのかな〜と勘繰ってしまう.一応,官僚には優秀でないとなれないわけで・・・
自分なんかが言っていることぐらい考えなくても分かりそうなもんなのだが.

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