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ニューオーリンズの娼館で育まれた娼婦に愛されたジャズ

1.コンゴ・スクウェア

ニューオーリンズは、ミシシッピー川河口に位置し、三角貿易の拠点であり、またアフリカから連れてこられた黒人奴隷が売買された場所で、重要な港都市として発展しました。

多様な人々が集まり、音楽・食文化・言語など様々な文化が混ざり合い、独自の文化が生まれます。【ニグロ・スピリチュアル(黒人霊歌)】【カリブ海の島々の陽気な踊り】【スペインの民謡】【フランスのダンス音楽】【イギリスのマーチや賛美歌】などが混在していた街でした。

ニューオーリンズは早い時期から、他の南部都市と比べると黒人奴隷に「自由」を与えていて、諸権利を明確にしていました(日曜日と宗教上の祝日には強制労働の免除など)

19世紀前半から1860年代まで、ニューオーリンズのフレンチ・クォーターの北西に位置する『黒人の広場(Place de Negros)』として知られるようになった『コンゴ・スクウェア』では、黒人奴隷や自由黒人たちが、日曜日の午後に集まり、ダンスや音楽を楽しむための場所でした。

当時の法律で、奴隷たちは休日に自由時間を過ごすことが許されていたため、多くの黒人たちがこの場所に集まり、西アフリカから持ち込んだ楽器や、自分たちで作った楽器を演奏し、音楽とダンスを楽しんでいました。

黒人たちは、白人の音楽やダンスに影響を受けながら、独自の音楽やダンスを創造しました。

この場所は、黒人たちが文化的なアイデンティティを維持し、白人支配からの解放を求める場所でもあり、自由に楽しめる唯一の公共の場所でした。

南北戦争が勃発して、ニューオーリンズも戦場となりましたが、南軍敗北した後、解放奴隷たちは、この場所で自由に音楽を演奏し、集会を開き、自分たちの文化を再興しました。有色クレオール人たちも、ここでブラスバンドのコンサートを開催するようになりました。

この場所は黒人社会の中心地として機能し、教育や組織化の場としても利用されました。


20世紀初頭に入ると、「ジム・クロウ法」の導入が進み、黒人たちが自由に公共の場で集まることが制限されるようになっていき、音楽やダンスのイベントも制限されるようになったことで『コンゴ・スクウェア』の存在感が低下していきます。

2.クレオールの存在

【クレオール】
フランス人・スペイン人とアフリカ人やネイティブ・アメリカンを先祖に持つルイジアナ買収以前にルイジアナで生まれた人々とその子孫が【クレオール】と呼ばれる人々です。

【クレオール】は、奴隷解放までは白人階層の各家庭の家族として、黒人奴隷と比べるとある意味特権的な生活をしていました。ニューオーリンズ市民として教育を受けることも 商売することもできて クラシックのオーケストラの楽団員や音楽教師といった人も存在していたのですが、、、
 
<1876年:ジム・クロウ法(1964年まで存続)成立>

このジム・クロウ法には、一滴でも有色人種の血が流れているのであれば有色人種としてみなすという「一滴規定(One-drop rule)」が盛り込まれていたことによって【クレオール】の身分は急落します。

<1894年:【クレオール】を黒人と同じく処遇するという法案が成立>

【クレオール】は、公職から追放され、家業を奪われ、カトリック教会から登録が抹消されて街の中心部からも追い出されるようになりました。
白人からの黒人からも敵対視され【クレオール】は奈落の底に落とされました。


南北戦争に負けた南軍楽隊の楽器が、安い値段で売られるようになって、貧しい黒人でも管楽器など手に入れる事ができるようになります。

黒人も【クレオール】も何か仕事をしてお金を稼いでいかないと生活できないので、手に入れた楽器でブラスバンドを始めましたりしました。

『西欧音楽の素養があった【クレオール】』『楽譜は読めないが独自のフィーリングとリズム感を持っている黒人』が交じり合って独特の音楽表現が生まれていきます。


<世界一明るいニューオーリンズの葬儀>

ニューオーリンズの黒人葬儀は、2段階に分かれ、ブラスバンドが雇われました。

【ファースト・ライン】:棺を抱えた遺族の列が、賛美歌などで故人の死を悼みながら墓地まで歩きます。

【セカンド・ライン】:埋葬後は、軽快なリズムに乗ったトランペットなどの管楽器の音が響き、参列者が踊り、見る人を楽しませるパレードを行います。

死者の魂が天国に迎えられるように、明るい曲が演奏されました。

3.ストーリーヴィル

【ストーリーヴィル(Storyville)】

「ストーリーヴィル」は、ニューオーリンズのフレンチ・クォーターの一部に、1897年に設置され1917年に閉鎖されたレッドライト・ディストリクト(飾り窓地区)です。

「ストーリーヴィル」が設置された最大の目的は、売春が蔓延することを避けるため、特定の地区に娼館を集め、ニューオーリンズ市議会が定めた公娼制度で管理することでした。

「ストーリーヴィル」の娼館は、一般的に「露店」と呼ばれる2階建ての建物にありました。

客は1階のバーで飲み物を注文して、娼婦を選び、交渉するために2階の部屋に案内されます。
ここで、客と娼婦は、料金やサービスの内容などについて話し合いを行い、合意が成立すれば、部屋で性的な行為が行われました。
娼婦と客の取引は、一律ではなく、場合によっては値段やサービスの内容が交渉可能であったとされています。

娼館は、金持ちの客を引き付けるために、女性たちは衣服や装飾品を厳選し、高級な品物を身に着けさせて、高級なサービスを提供しました。
娼婦は特定の客に専念することが許されており、その客から多額の報酬を得ることができました。

娼婦は、黒人やクレオール、白人など、さまざまな人種の娼婦がいましたが、白人女性の娼婦は少数派であり、白人の娼婦は一般的に黒人やクレオールの娼婦よりも高い値段で取引されていました。

一方、娼婦たちは妊娠や性感染症の危険にさらされていました。娼婦たちは定期的に健康診断を受けることが義務付けられていましたが、現実としては効果的な対策ではなかったようです。

【ストーリーヴィル娼館の音楽】

ストーリーヴィルの娼館で演奏された音楽は、初期には『ラグタイム』「ブルース」「マーチ」など様々なジャンルが演奏されていました。
1900年代になり「ブルース色」が強くなっていったようです。

ここでニューオーリンズ・ジャズ創造されていきました。



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