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ACP(アドバンス・ケア・プランニング)?人生会議?を勉強してみた

【Advance Care Planning(アドバンス・ケア・プランニング)以下ACPと略す】とは?


もしものときのために、自らが大切にしていることや希望する人生の最終段階における医療・ケアについて、前もって考え、家族等の信頼できる人や医療・ケアチーム等と繰り返し話し合い共有する取組のこと。

「人生会議」とは?


厚生労働省が募集して2018年11月30日に決定したACPの愛称。

タレントの小藪千豊氏を起用したPRポスターが、患者団体等から、
「患者や遺族を傷つける内容で配慮がない」いった意見があり、数日間でポスターの掲載を停止したことで話題になったのは記憶に新しいはず。

私は、この騒動によって

「“ACP=人生会議”って考え方があるんだ。」

と初めて知った。


反対派も多かったが、一方で、

「関心がない人に『刺さる』ことを優先しているんだから当たり前だろ」

「正直、これの何が問題なのかよくわからん」

といったポスターの掲載停止に疑問を呈する人も多かった。

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そもそも?ACPとは?


1990年代に米国を中心に始まった動きがもとになっている。

当時、過度な延命治療が問題視され、本人が望む形の治療を求める声が高まっていった。

そこで広がったのが、

「人生の最終段階において望む治療を事前に決め、書面に残しておく」という『アドバンス・ディレクティブ(事前指示書)』

の取り組みだった。


しかしその後、

「一度決断した後でも、意思は変わりうる」

「元気なうちに書面を作るのは、ハードルが高い」

といった課題も指摘されるようになり、

『ACP=(話し合いによる共有)』が必要で、
“決める”ことにこだわるのではなく、自分が大切にしている価値観や望む治療・ケアを、家族や医療関係者と繰り返し話し合って共有しておくことが大事

という考え方になった。

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なぜ?「人生会議」という名称になったのか?


ACPは、“患者” と “家族”、そして “医療従事者” の3者が意見を交わす、自発的な取り組みだ。

厚生労働省は、このACPを、もっと親しみのあるものにしようと、小藪千豊氏を起用したポスターを作成して“啓蒙活動”を行うのに

「人生会議」

というネーミングにしたのだろう。


“患者”の目に触れる病院内に掲載するポスターとしては、ちょっと刺激的で、当然、“不謹慎” “配慮が足りない”という批判はあるのだろうが、私にとっては非常に分かりやすいメッセージだった。


まてまてまて俺の人生ここで終わり?
大事なこと何にも伝えてなかったわ
それと おとん、俺が意識ないと思って隣のベッドの人にずっと喋りかけてたけど全然笑ってないやん
声は聞こえてるねん。
はっず!
病院で おとん のすべった話聞くなら家で嫁と子どもとゆっくりしときたかったわ
ほんまええ加減にしいや
あーあ、もっと早く言うといたら良かった!
こうなる前に、みんな「人生会議」しとこ


このメッセージによって“会話のネタ”になるという意味では、ポスターの効果はあったと言える。

しかしながら「人生会議」というネーミング自体が、いかにも役人が考えそうな“ダサい”。

流行るとは思えない。

まず「人生会議」というよりも、「“家族会議”を行おう!」と勧めて、【在宅医療】を推進しているのか?とも感じた。

そして「#人生会議勝手にポスター」と名付けられ運動が広がっていって、新たな発信の形が表れた。

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コロナ禍は改めてACPを考えるキッカケ?


患者を巡る環境は、“家族の有無” “親子関係” “経済状態”などで一律のものではない。

“死”に対する考え方・捉え方こそ千差万別だ。

医療関係者にも浸透していなくて、ACPの保険適用といった法整備も不十分なのに、国家がポスター作製して“啓蒙活動”するというのは、何段階ものプロセスを吹っ飛ばしているように感じる。


しかし、コロナウィルスに感染してしまって、隔離病棟に入ってしまい、家族などと十分な連絡が取れなくなってしまう可能性がある。

人工呼吸器がつけられ、会話ができなくなってしまい、短期間のうちに生死を彷徨状況になるかもしれない。

こんな状況になった時に

「家族ともっと“死”について話し合っておくべきだった。」

と後悔するだろう。

コロナ禍は、私に、真面目に自分の“死”に対して考えるキッカケとなった。

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ACPを考える“キッカケ”は?“破壊的イノベーション”


お上にお節介を焼かれるまでもなく、
『常に“死”を自ら考え、家族と話し合い、エンディングまで見通して生きること』が正論なのだが、何かの考える“キッカケ”になる出来事がないと、動かないのが現実。

人生において“自分のライフプラン”を考え直すターニングポイントは何度かある。

例えば

家族や身近な人の“病気”や“死”に直面するのは、“自分のライフプラン”を考え直す“キッカケ”になる。

サラリーマンにとっては、定年を迎える時期は“セカンドライフ”に向けて、“病気”や“死”についても考えて話し合う“キッカケ”になるだろう。


あくまでも私見ではあるが、

残念ながら役人と医療関係者とボランティアが話し合ったところで、多様な“キッカケ”作りを見つけて、“死”について考えて話し合って、動き出す“アクションプラン”を考え出すことはできないだろう。


真面目な学級委員タイプばかり集まって考えても“破壊的イノベーション”は生まれない。


マーケティング関係者等と連携するなどして“ZEROベース”からの“仕組み作り”“仕掛けづくり”を行わなければ、何も変わらないでしょう。

”善意” や ”慈悲の心” だけでは解決できる問題ではない。


考えてください。「なぜ?大手企業が手を出さないのか?」

今のやり方では、規制だらけで“投資パフォーマンス”が低すぎる事業だからではないでしょうか?

そもそも ⇒ なぜ?必要なの?

しみじみ ⇒ 他人事から自分事化


まず、”そもそも” ”しみじみ” を

【伝えて】⇒【伝わって】⇒【人が動く】


そんな”仕組み作り””仕掛け作り”が出来るのは?

”破壊的イノベーション”しかありません。



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