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1969年はRock“ビックバン” 2020年は音楽ビジネス全体の“ビッグバン”?

イーグルスの歴史的名曲 “Hotel California”(1976年)に、こんな歌詞がある。

So I called up the Captain “Please bring me my wine”
He said, “We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine(1969)”

「私どもでは1969年以来スピリットは在庫しておりません」

“spirit”を「蒸留酒」と「魂」との掛け言葉を用いて、当時のロック界を揶揄したものと解釈されることが多いようだ。


2013年4月25日にイーグルスの記者会見がロンドンにて行われ、グレン・フライとジョー・ウォルシュがインタビューに答えている。

「ドンがその歌詞を書いたんだ。でも僕らも意味は知っているよ。当時何が起こったかと言えば、誰もがあの時代理想を信じ平和を望んだ。そんな希望に満ちた時代は60年代と伴に幕を下ろした。

68年ロバート・ケネディが次期大統領になると聞いたときの希望、また彼が暗殺された時の落胆。

続くマーチン・ルーサー・キングの暗殺と、理想は破れ、純粋無垢な理想を失ったというのかな。

76年に僕らは厳しい現実を知り、60年代にあった純粋無垢な理想を失った。ドンはそういう風に感じてあの歌詞を書いたんだと思うよ」



ロック・スピリットの終わりの始まり


ロック・フェスティバルは、1960年代後半にアメリカで始まったと言われている。

広大なエリア(野外)に複数のステージと多数のアーティストが出演し開催されていた。


モントレー・ポップ・フェスティバル


1967年6月16日から18日までの3日間、カリフォルニア州モントレーで開かれた、ロックがメインで行われた大規模な野外コンサート。

オーティス・レディングのステージは大絶賛された。


ハイドパーク・フリーコンサート

1969年7月5日ローリング・ストーンズの2年ぶりのコンサートで、6月8日に脱退したブライアン・ジョーンズに変わって加入したミック・テイラーのお披露目コンサートとして開かれる予定だった。

ところが開催2日前にブライアン・ジョーンズが自宅のプールで溺死したことから、急遽ジョーンズの追悼コンサートとして行われた。(あのキング・クリムゾンが前座で出演した。)

ストーンズの演奏の出来はイマイチだったが、観客が暴徒化しけが人が出る事もなく(数人の逮捕者が出たが、)大きな混乱もなく平穏無事に終った。

このイベントで警備を担当したヘルズ・エンジェルスが、セキュリティ面で大きく貢献したと評価された。


ウッドストック・フェスティバル

1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間(あるいは、18日午前にかけての4日間)アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた約40万人の観客を集めた、アメリカの音楽史に残る大規模な野外コンサート。

(このコンサートの模様は、『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』というドキュメンタリー映画として1970年に公開され、アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。)

ジミ・ヘンドリック / Jimi Hendrix

ザ・フー / The Who

ジャニス・ジョプリン / Janis Joplin



オルタモントの悲劇


1969年12月9日、カリフォルニア州のオルタモント・スピードウェイで開催されたローリング・ストーンズのフリーコンサート。

4人の死者(1件は殺人事件)を出すというロック史上最悪のコンサート。

コンサートの警備係はウッドストック・フェスティバルと同じヘルス・エンジェルスで、この判断が悲劇を招くことになった。

コンサートの混乱は殺人の様子を含めた記録映画「ギミー・シェルター」として公開された。

この映画は当時の狂った雰囲気を知るには必見のドキュメンタリーで60年代のアメリカを知るには必見だ。

しかし、私にはミック・ジャガーの“思い上がり”だけが伝わってきて後味が悪いものでしかなかった。


ヒッピーが唱えた“愛と平和”はウッドストック・ファスティバルの成功で最高潮に達したが、オルタモントの悲劇によって終わったといえる。

70年代に入り、巨大プロモーションを背景に“音楽”はビッグビジネスに変わっていった。

ポール・マッカートニーとリンダ・イーストマンは1969年3月12日に結婚

ジョン・レノンとオノ・ヨーコ1969年3月20日に結婚


2020年以降のライブミュージックの未来


音楽がビジネス化していった1970年から50年後の2020年を振り返ると、コロナ禍という誰もが想像していなかったパンデミックによって、音楽ビジネスが何もかも様変わりした。

ライブビジネスが消滅してしまって、レコード会社やアーティストから起業家たちまでの音楽ビジネス関係者の誰もが、新たな収入源とファンとの繋がり方を模索しなくてはならなかった1年だった。

●  バーチャル・コンサートの大衆化

●  従来の大規模プロモーションも必要としないTikTok等を活用したバイラルヒットの多発

といった新しいムーブメントも起こったが

●  ビッグアーティストが楽曲を売却

という動きもあった。


アメリカレコード協会(通称RIAA)が発表した年次報告書によると、2020年の音楽業界全体の収益は前年比9.2%増の120億ドル(約1兆3,000億円)で、そのうちの83%にあたる101億ドル(約1兆700億円)を音楽ストリーミングサービスが占めていたことが分かった。

CDの収益は前年比23%減の4億8,300万ドル(約515億円)だったが、アナログレコードは前年比29%増の6億1,960万ドル(約660億円)

アナログレコードがCDよりも収益の多いメディアになった。



2021年の大規模なライブやツアー、大型フェスは、安全かつフルキャパシティの動員数で再開するまでは、まだまだ時間がかかるだろう。

大きな収入源であったライブ関連グッズ販売、企業スポンサーシップの仕組みも、新たなアプローチが必要だ。

ライブビジネス業界での収益化と成長が再び始まるのは2023年からではないだろうか?


アーティストは、ライブでどうやって収益をあげるか?ということよりも、“デジタルツール”の活用が重要になってくるだろう。

バーチャルライブイベントやライブ動画配信サービスによる収益性も伸ばさなければならない。

音楽ビジネスというよりも、アーティストビジネスとして様々な分野にチャレンジしていくことだろう。

また、インディーアーティストにとっては、バーチャルライブや各種“デジタルツール”によって収入を得られるチャンスは広がるはずで、一夜にして“ビックヒット” “有名アーティスト”を生み出す可能性はある。

いつの日か

“We haven't had that spirit here since 2019 ”

と誰かが歌うのかもしれない。



独断による1969年発売のベストアルバム


The Beatles / Abbey Road


Led Zeppelin(1969/1/12)

Led Zeppelin II(1969/10/22)


イギリスの音楽雑誌「Melody Maker」の人気グループ投票で8年連続(1961年~1969年)1位に君臨していたザ・ビートルズだったが、1970年にレッド・ツェッペリンが1位の座を奪われた。


King Crimson / In The Court Of The Crimson King


The Who / Tommy


Grand Funk Railroad / On Time

The Rolling Stones / Let It Bleed




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