1978年:衝撃ファーストアルバムの宝庫~大御所たちのデビュー?
『炎の導火線(Van Halen)』
ヴァン・ヘイレンは、1976年にキッスのジーン・シモンズの資金援助を受け、デモ・テープを作成したがレコード会社は興味を示さなかった。
そんな1977年のある日、ヴァン・ヘイレンがレギュラー出演していたクラブで彼らのステージを観たテッド・テンプルマン(当時ワーナーの専属プロデューサー)は、圧倒的なテクニックのギタリスト:エディ・ヴァン・ヘイレンに興奮。
その翌日、彼はレーベルのトップだったモー・オースティンを同会場に連れて行き、その場でヴァン・ヘイレンと契約を交わさせた。
『悲しきサルタン(Dire Straits)』
マーク・ノップラーは、新聞記者や音楽ライター、教師などの職を転々としながら、ミュージシャンとして成功するためのラスト・チャンスに賭けて、デモ・テープを配り歩いた。
たまたまフォノグラム・レコード社員のひとりに気に入られ、見事契約が成立。
『アウトランドス・ダムール(Outlandos d'Amour)』
パンク・ブームメントに乗ってデビューしたが、メンバーの音楽的素養を柔軟に取り入れた3ピースロックバンド:ポリス
スティング : ベース&ボーカル(元ジャズ・フュージョン・バンド“ラスト・イグジット”)
スチュワート・コープランド : ドラム(プログレッシブ・ロック・バンド“カーヴド・エア”)
アンディ・サマーズ : ギター(元後期アニマルズ)
インディーズで発売される予定であったアルバムを、後にマネージャーになるマイルズ・コープランド(スチュアート・コープランドの兄)がA&Mに持ち込んでメジャー・デビュー
『天使と小悪魔(The Kick Inside)』
ケイト・ブッシュは、16歳の時にピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアに見出されてEMIと契約し、約2年間を費やしてレコーディングされ、このアルバムがリリースされた。
『愛しのニコレット(Nicolette)』
シングルカットされた「溢れる愛」は、元々はニール・ヤングが『カムズ・ア・タイム』のために録音した曲。
アルバム収録曲「あなたのとりこ」ではエドワード・ヴァン・ヘイレンがギター・ソロを弾いている。
ニコレット・ラーソンのプロデューサーもヴァン・ヘイレンと同じテッド・テンプルマン。
『頽廃的美学論(Q:Are We Not Men? A:We Are Devo!)』
このアルバムのプロデューサーはブライアン・イーノ
テクノ・ポップの成立を語る上で欠かせない、非常に影響力の強かったバンド
『ホワイト・ミュージック (White Music)』
バンド名のXTCは「Ecstasy」をもじったもの。
パンクのようにシンプルで攻撃的な演奏ではあるが、レゲエ、ポップ、ファンク といった様々なジャンルが入り混じった本作は、評論家からは高く評価された。
『ブルースは絆(Briefcase Full of Blues)』
ダン・エイクロイドとジョン・ベルーシは、テレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」で”ブルース・ブラザーズ”としてのデビュー。
その後ブルース・ブラザーズは、スティーヴ・マーティンのユニバーサル・アンフィシアター公演でオープニングアクトとしての出演を依頼され、更にアトランティック・レコードとの契約を得た。
『闇に吠える街(Darkness on the Edge of Town)』
前作『明日なき暴走』(1975年)までの作品で共同プロデューサー:マイク・アペルが、ジョン・ランドーのプロデュース参加や曲の著作権を巡って法的闘争となった。
これで、スプリングスティーンのレコーディング活動は2年間休止となった。
(ジョン・ランドーは後にスプリングスティーンのマネージャー)
『女たち (Some Girls)』
ザ・ローリング・ストーンズは、アメリカで24枚のスタジオ・アルバムを発表しているが、全米チャートに最も長くランク入りしたスタジオ・アルバム
そして、グラミー賞の最優秀アルバム部門にノミネートされたのは『Some Girls』だけ。
ファースト・シングル「Miss You」は、ツアーのリハーサルで、ミック・ジャガーが、当時ツアー・メンバーのビリー・プレストンと共に行ったジャムから生まれた “ディスコ” のリズムを取り入れた曲
『そして3人が残った(...And Then There Were Three...)』
タイトル通り、ジェネシスは本作より3人編成となった。
ポップス色を深め、アメリカでの人気を不動のものとしたアルバム
1978年11月初来日
『ニューヨーク52番街(52nd Street)』
ビリー・ジョエルの6作目のスタジオ・アルバム
1982年に世界初の商業用CDとして発売された。
『武道館(Bob Dylan at Budokan)』
2月:ボブ・ディランが初来日。その日本武道館で行われた日本公演を記録したライブ・アルバム。
当初は日本だけでリリースされたが、その後オーストラリアでリリース、やがてアメリカ・ヨーロッパでもリリースされた。
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