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『共創術』試し読み④「Murder of George Floyd」が問いかけたこと

フロイドさんの拘束現場に居合わせ、当時17歳だったダーネラ・フレイジャーさんがその様子を撮影した動画は、ピューリッツァー賞の特別賞を受賞しました。

裁判の審理でダーネラさんは「何も出来なかったことを、フロイドさんに謝り続けている」と語ったそうです。


 2021年6月25日:有罪評決を受けたデレク・ショーヴィン元警官に対して、裁判所は実刑22年6か月の量刑を言い渡されました。

また、フロイドさんの拘束現場にいた他の3人警官、トーマス・レイン被告は第2級故殺罪で有罪判決を受け、アレクサンダー・クング被告とトウ・サオ被告は、2022年3月8日に開始された裁判で有罪判決を受けました。

 

本事件に関連する様々記事を読んでいくと、さらに多くの疑問が浮かんできたのです。

そもそもフロイドさんは偽札と知っていたのか?

フロイドさんの数多い犯罪歴報道は真実なのか?

デレク・ショーヴィン元警官の首を押さえつける行為は、やりすぎと思えるが、拘束現場にいた他3人の警官は、デレク・ショーヴィン元警官の行為を止めることが出来なかったのか?

 

現場にいた元警察官の一人であるトウ・サオ被告は、マイノリティであるベトナムのラオス山岳地帯出身の少数民族「モン」をルーツに持つ移民の子孫です。

ベトナム戦争でアメリカ側についていた「モン」の人たちは、終戦後ベトナム国内で激しい迫害を受けることとなり、70年代以降にアメリカに渡ってきた移民です。

アメリカ各地でも定職につけず、長年、差別や偏見を受けながら厳しい生活を強いられてきた「モン」の人々にとって、警察官は憧れの職業なのです。

 

マイノリティの気持ちが痛いほど分かるだろうと想像できるトウ・サオ被告は、どんな思いで拘束現場での職務に当たっていたのでしょうか?

差別の被害者とされてきたはずのマイノリティの立場の警官が、加害者の側に立った事件としての視点に変えると、全く異なったアメリカのマイノリティを取り巻く社会問題が見えてきました。

 

アジア系アメリカ人をはじめとする移民たちにとっての「良いマイノリティ」は、黒人のように扱われないように、白人の利益につくのかそうでないのかという”立ち位置”の問題であるという見解もあります。

 

この事件は、白人対黒人に限らないアメリカの複雑な差別の構図をあぶりだすことになったのは間違いないでしょう。

 

ピューリッツァー賞選考委員会は、ダーネラさんが撮影した動画が受賞した理由を

「彼女が勇気を持ってジョージ・フロイド氏殺人事件を記録した動画は、警察の残虐行為に対する抗議運動を世界中で引き起こし、ジャーナリストが真実と正義を探究する上で市民が果たす重要な役割を浮き彫りにしました」

と述べました。

 

この事件が、問いかけた最大のポイントは?

「傍観や無関心は、暴力そのもの」

ということであったと思います。

 

しかし、筆者自身が、この事件現場に何らなの立場で遭遇したときには、どんな対応をとったのか?これは、正直、分かりません。

何もせずに「傍観」しているだけだったかもしれません。


アフリカ系アメリカ人の音楽史を通じたワークショップは、理解と共感を深め、潜在的なバイアスに対処するための有効な手段となり得ると確信しました。

人の数だけ「普通」が存在しています。
その人にとっての「普通」が、他者にとっての「普通」とは限りません。
 
人は「分かり合える」という考えを起点にするのではなく、「分かり合えない」を起点するのでしょう。

「違い」を認めて、受け入れて、その上で協力して共同で、それぞれの個性を奏でながら、全体としての最適解を見つけながら、新しい創造をしていける環境作りは極めて重要なのでしょう。

 
フロイドさんはかつて、ヒューストンの伝説的DJであるDJ Screwの楽曲に「Big Floyd」という名義で参加するラッパーとして活動していました。
DJ ScrewのクルーScrewed Up Clickに関わっていたのです。


 



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