見出し画像

過ちては改むるに憚ること勿れ(過ちを犯したことに気づいたら、体裁や対面などにとらわれず、ただちに改めるべき)

過去の発言の責任はいつまで背負い続けるものなのか?


2021年6月、ビリー・アイリッシュ(当時13歳か14歳)自身がTikTokに投稿しビデオを、第三者が編集した上でTikTokに投稿したものが大炎上した。

ラッパーのタイラー・ザ・クリエイターが2011年に発表した曲「Fish」の歌詞に出てくる“アジア人に対する蔑称”を不自然なアクセントで話すカットが映っていたもの。


ビリー・アイリッシュは、人種差別的な言葉を口にした過去の動画が拡散したことを受け、自身のインスタグラムで謝罪した。

「当時の私の無知や年齢に関係なく、人を傷つけてしまった事実に言い逃れはできません。そしてそのことを申し訳なく思っています」

「自分があの言葉を口にしたことに愕然とし、恥ずかしく吐き気がします。私の周りでは家族の誰もこの言葉を使ったことがなかったので、その言葉を耳にしたのはこの曲だけでした」

当時のビリーは、蔑称であることを知らなかったという。

ビリーの本件に対する真摯に向き合い態度と、しっかりした謝罪によって炎上はおさまった。


しかし、誰が過去のTikTok投稿を今になって、何の意図で拡散したのか?知らないが

有名人だからといって、その言動が“蔑称”であることも理解していなかった子供時代の発言の映像を、第三者が引っ張り出してきて世間の目にさらすことに、何の意味があるのだろうか?

筆者は、この投稿者の行動が理解できない。恐ろしいことだと感じる。

現代もこれからも、過去の自分の言動は、映像という形で永遠に残る時代だ。


発言があった当時の年齢や環境と時代背景などは考慮する必要はあるが

過去の発言の責任はいつまで背負い続けるものなのか?



『武士に二言はない』


武士は、「儀」を重んじ、自分の発言に対し最大の責任を持っていた。

「発言したことと行動が伴っていること。その発言から発生した一切のことの後始末が出来る。」

発言に反することをしてしまったときには、生き恥をさらすことになる。


「先日の発言は不適切だった。謝罪して撤回したい。」

このセリフをTVの記者会見報道で見かけるのは日常茶飯事。


一度「発言したこと」を”撤回”すると表明しても、事実として永久に残る。

無かったことにすることはできない。

取り消すこともできない。



出来るのは”謝罪”と”釈明”だけ。


人間心理から言えば、最初に言った言葉がその人の“本心”。

表現の良し悪しは別としても、周囲から何かを言われる前に放った言葉こそが、その人の“本心”。


「撤回してお詫びします。」

おい!おい!偉いさん 何回 “撤回”しとんねん!


軽々しく"撤回"という言葉を使う人は、自分の言動に責任を持てない人。

社会的にも個人的にも信用できない人。


日本人には、武士道精神に基づく教育が必要だろう。



自分の発言を後悔することほど無駄 とはいえ・・・


日頃の生活において

「あの時、感情的に発言してしまって失敗した。」

「あの発言で、相手を傷つけてしまったかも…」

と過去の自分の発言を振り返って、後悔して落ち込むという経験は誰にでもあるはず。


自分の発言を後悔することほど無駄なことはないと思う。


理由は極めて簡単

① 過去の発言は変えられない

② その発言を不快に思うのか?どうかを判断するのは他人

③ そもそも他人は貴方のことにそこまで興味がない


とはいえ・・・


自分の発言で、相手を傷つけてしまったのでは?と感じたら、無神経ではいられない。


その際は、素直に謝罪すればいい。

「自分が悪かった。ごめんなさい。」

と反省している姿を見せることだ。



許すも許さないも相手が決めること。



世の中には外に向かって言って良い事と、悪い事がある


偉い人の“発言撤回・謝罪会見”を見るたびに

『本当は、自分は悪いと思っていない。』

『撤回と言って、早くこの問題を終わらせたいだけだ。』

としか感じられないのは、私だけだろうか?


本人の意図が違う風に伝わってしまって、誤解を招くことは多々ある。

個人個人間でもそうなのだから、公に向けて言葉を発する人は

“自分の発言に責任を持つ”

ことは意識しておかなければならない。


特に、テレビなどに出たりする人はなおさらだ。

”自分の言葉に責任を持つ”

これが出来ていれば、軽々しく撤回などという醜態にはならない。


もしも発言の意図が間違って伝わったのであれば、自分本来の意図をちゃんと自分の言葉で説明することだ。


「思ってもいない事が突然口からでてしまった」のなら、脳や心の疾患と思われるので即刻病院に行くべき。


「あの時はこう思っていたけれど、自分の考えが間違っていることが分かった。」

というのならばまだ分かる。


発言の撤回

軽々しく使う言葉ではない。



政治について話すのは「自分の責任」


ビリー・アイリッシュは米人気トーク番組『The Tonight Show』で、民主党全国大会に出演したことに関して「本当は政治にかかわりたくなかった」と前置きした上で語った。


「無視して、黙ったままではいられないというところまできたの。

とりわけ、自分にはプラットフォームがあって、それを無駄にはしたくないから。

死んだほうがマシだとしても、話し合って、声をあげることが大切だと思う」


アーティストとして成功を収め、影響力を持つ存在になったことで、政治について話す責任が芽生えたと。



東京オリンピックが私に教えてくれたこと


『お・も・て・な・し』 という言葉から始まった東京オリンピック

仕事でもなんでも最初にケチがつくと、最後までケチがつくのが常


新国立競技場建設計画を白紙撤回~デザイン・エンブレムが盗作疑惑で使用中止

JOCの竹田恒和元会長が贈賄疑惑で辞任~東京の猛暑を問題視してマラソンと競歩の会場が札幌に変更。

そして、オリンピック・パラリンピック史上初となる1年延期が決定。


組織委員の森喜朗前会長が“女性軽視発言”で辞任。

開閉会式で演出総合統括クリエーティブディレクターの佐々木宏氏が、芸能人容姿侮辱演出案を出したことを巡り辞任。

開会式の作曲担当の小山田圭吾が、過去に雑誌のインタビューで明かしたいじめ加害に対する批判を受け辞任。

公式文化プログラムに出演を予定していた絵本作家ののぶみが、過去の不適切発言で出演を辞退。

開会式のショーディレクターを務める予定だった小林賢太郎氏が解任。


「感動」「感激」「感謝」という素晴らしいプレゼントをくれたアスリートに対しても、誹謗中傷の嵐は起こっている。



“言葉”は 『言刃』


心無い言葉によって、他人に傷つけられたり、他人を傷つけたりしてしまうもの。


“言葉”は、人を幸せにすること、元気にすることもできる。

“言葉”は、人を不幸へ突き落す事もできる。


“言葉”は 『諸刃の剣』 ともいえる。


東京オリンピックが私に教えてくれたこと

それは

「自分の言葉には責任を持つ」

「発言したことと行動が伴っていること。その発言から発生した一切のことの後始末が出来る。」



ビリー・アイリッシュのショート・フィルム「NOT MY RESPONSIBILITY(私の責任ではない)」


do you know me? really know me?
you have opinions 
about my opinions about my music about my clothes about my body

私のこと知ってる?ほんとに?
あなたには意見がある
私の考え 私の音楽 私の服 私の身体に対して


some people hate what I wear some people praise it
some people use it to shame others some people use it to shame me
but I feel you watching Always and nothing I do goes unseen 

私の着ている服を嫌いな人がいる 褒める人もいる

それを、他人を傷つけるために使う人もいるし 私を傷つけるために使う人もいる

でも、私は見られている いつも 人の目にさらされないものは何もない


so while I feel your stares your disapproval or your sigh of relief
if I lived by them I’d never be able to move
would you like me to be smaller? weaker? softer? taller?
would you like me to be quiet? do my shoulders provoke you? 
does my chest? am I my stomach? my hips?

だから、私はあなたの視線 あなたの不安 あなたの安堵のため息
それを気にしながら生きていくことになれば もう動くことができなくなる

私に小さくなってほしい? それとも弱くなってほしい? 柔らかく? 背が高く?

私に黙ってほしい? 私、肩で挑発してる? 
それとも胸で? あとお腹? お尻?


the body I was born with is it not what you wanted?
if I wear what is comfortable I am not a woman
if I shed the layers I’m a slut

私が生まれてきた身体は あなたが望むものではないの?
もし私が着心地いい服を着てたら 私は女ではないのか
露出したら 尻軽なのか


though you’ve never seen my body you still judge it
and judge me for it why?

あなたは私の身体を見たことがないのに いまだに批判する
そして決めつける どうして?


we make assumptions about people based on their size
we decide who they are we decide what they’re worth
if I wear more if I wear less who decides what that makes me?

私たちは人のことをあれこれ推測する ボディサイズで
勝手に決めつける どんな価値がある人かを決めつける
私がたくさん着たら 私が露出したら 誰が私のことを決めるの?


what that means?
is my value based only on your perception? 

or is your opinion of me
not my responsibility


それってどういうこと?

私の価値はあなたがどう思うかで決まるの?

それとも、私に対するあなたの意見なんて

私の責任ではない



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?