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楽しい+しんどい=楽しんどい

先ずは前回書き忘れていた事。
これからこの先、書くことはあくまで自分の中での主観であって、それぞれにそれぞれの見解が有って然るべき事。
その違いを読者の皆さんに楽しんで欲しい。

他者と競う事で強く速くなる。
これはどのスポーツであれ、間違いない。
対人の練習でも、試合(レース)を重ねる事ででも。
(これについてはまた別の機会で話を膨らませようと思っている)

ロードバイクで一緒に所謂"強く速い人達"と練習していると、強い人は身体が強い事は勿論だけれども、対人が引き起こす事象についてとても我慢強く負けん気が強い。
最近足繫くお邪魔している練習会において、それを常々感じている。

そこが強いからこそ"強く速い"と言えるのだけれども。
聞くと、本当かどうかは別としてそんな人達も同じように練習中はキツいらしい。

ただ、そんなキツい中で耐えられるのは
”誰かに負けたくない"
”ついて行くしか道が無い"
"『絶対に』遅れたくない"
理屈抜きでそう思うから、感じるからだそうである。
因みに心拍の限界を超えオールアウトしそうになりそうな時には、それ以前に身体が勝手に反応するらしい….

恐らくその類の思いは強く速くなればなるほど、同じ様に比例して強くなるんだろうと推測する。

という事は、ツールドフランスに出場し総合優勝する様な人は、人でなしと言っていいくらいの…超人的(宇宙人)と言っていいくらいの我慢強さと負けん気で。
仮に「ファッ●ン SR△M!!!」って言ってもバチは絶対に当たらない程の(笑)
刹那的な痛みや苦しみを中でペダルを踏み続け、耐え続けているんだろうと容易に想像出来る。

"強く速くなる"って事は、その閾値を上げるという事なのかなぁと。
その閾値が具体的な数として示せるものがVO2MAXだったりFTPだったりRPEだったりして。
そこに絶対的な価値と信頼を置いて練習やトレーニングに取り組む。
それが一番の近道なんじゃないかと考え…

……

否、きっとそうなんだろうな。

でも。自分はもっと本質的なところ。
"走っていて楽しいか楽しくないか"
そこの延長線上で、"強く速く"なりたいという考えに拘りを持っている。

今自分は四十路半ば、人生の折り返し地点。
自転車を意のままに、速くも遅くも楽しく乗れる時間はそう多くは無いと感じている。
そういう意味では一番の近道を選択する事が最良なのかもしれない。

とは言えども。
自分は他者に負けたくないと強く思っていないし、FTPやVO2MAXの数値の上下にそこまで一喜一憂をしていない。
レースを重ね順位が上がって、強い人と肩を並べて走る時間が増えるという喜びは、他者と比較しての部分も有るけど、そこまでに自分が辿り着いたという喜びと、以前の自分より強く速くなったという喜びの方が強い。

それに。
"強くなるために走る"と"走るために強くなる"
"楽しいから走る"と"走るから楽しい"
目的と手段が逆になったら本末転倒、意味合いも全く異なる。

要は鬱になるほどの痛みや苦しみを感じてまで、極論寿命を縮めてまで強く速くなるのではなく、全てがギリギリのバランスのところで、

"楽しい"+"しんどい"=『楽しんどい』

ここに着地することが最良ではないかと考えている。

これを主是、モチベーションにして、他者と競う以上に自分と1分1秒でも長く競う。ここに注力する事を現在、継続中である。

彼方向こうに見得えている景色は思ったよりも近い。
でも、焦る必要も急ぐ必要も無い。
そしてその結果見得た景色が想像と違っていても、そこに至る注力の過程に後悔する事は絶対に無い。

何故なら主観だから。そして楽しいから。
楽しくない事は絶対にしない。
"楽しんどい"の先を覗きに行かない。

今週末は県外在住のチームメートと県外で練習会。
刺激多き時間になりそうだ。

昨日我が地方は春一番が吹いた。
春はもうすぐ。
2023年の春、伸びやかに。しなやかに。
昨日の自分より強く、速く。










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